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四十三 諦めの悪い男

 体が、熱い。


 肌の表面から伝わってくる熱。

 冷え切った体に火がともる。内側から湧き上がってくる。


 倒れてる場合じゃない。

 動ける。

 体が動く。力が入る。


 俺はまだ、生きている!


 ビルとビルの間を流れるドブ川、壊れたフェンスや砕けた壁、倒れた島野さんとその傍に立っている赤江。

 そして二人ににじり寄っていく五人の赤目の連中。

 その後ろに浮かんでいる横島の姿。


 誰も、俺が目を覚ましたことに気づいていない。


 目を開けた瞬間、考えるより先に体が動いていた。

 まずは、あの四本腕を吹っ飛ばす。

 うつぶせに倒れていた姿勢から、一気に跳ね上がった。


「……お前!」


 背後からの俺の急接近に気づいた横島が振り返ったが、もう遅い。

 俺はドロップキックの真似事をして、両脚でその背中に蹴りをかました。


「ちょっと、離れててくれ」


 こいつが近くにいるとどうしようもないからな。


 俺は力任せに両脚を伸ばして、できるだけ遠くを目標に横島を蹴り飛ばした。

 横島の体は空中でもんどりをうちながら、ドブ川の反対側の川岸に墜落する。


「お前らも、あっちに行ってろ!」


 空中で一回転して、着地。

 そのまま赤江たちに接近していた赤目たちの一人にフロッグタンを撃った。

 そして、五人いる全員の周りをぐるりと一周、駆け回り、指を弾いて、フロッグタンは縮める。

 伸びきったゴムが縮めば、五人を一気に拘束できる。


 俺はピンク色のゴムに縛り上げられた五人に、もう片方の手のフロッグタンも撃ち込んだ。

 このまま、まとめて始末する。

 両手から伸びるゴムを握りなおし、ハンマー投げのように体を回す。


「ぅぅ浮かべええええええええええっ!」


 俺の体の回転に合わせて、五人の男たちの脚がじわりと地面から浮いた。

 一回転、二回転とするうちに、遠心力で勢いは増し、速度が上がる。

 ミシミシと両腕にかかる負荷が限界に達したところで、俺は振り回していた男たちを解き放った。


 狙うは、横島だ。

 川の反対側で動き出そうとしていた奴に、人間五人分の重さのハンマーを叩きつける。

 多少手荒だが、構っている余裕はない。


 全員、ただの人間じゃないから、大丈夫だろ。


「っしゃあ! 命中!」


 川の向こうで横島が再び潰れたのを確認して、俺は地面に着地した。


 これでだいぶ、時間が稼げたはずだ。


 起きてすぐ無茶をしたせいだろう。

 膝から力が抜けて、倒れこみそうになる。

 息も荒い。

 だけど、まだ休むわけにはいかない。

 他の五人はさておき、横島はあのくらいじゃ倒されてくれないはずだ。


「スゴロクン! 大丈夫か!」


 よっこいせ、と膝に手をついて立ち上がったところで赤江が駆け寄ってきた。

 焦りを隠そうともしない様子で俺の肩を掴み、顔を覗き込んでくる。


 頼むから、その泣いてるんだか、怒ってるんだかわからない表情やめてくれ。

 調子が狂うんだよ。


「すまない……私のせいでまた、キミが……」


 沈痛な面持ちでそんなことを言いだす赤江。

 限界だ。

 自分の中で太い糸のような物が切れるのを感じた。


「ああ! もう! うるせえっ!」


 腹の底で弾けた怒りをそのまま声に乗せる。

 びりびりと空気が震え、赤江がビクッと体を強張らせた。

 俺は肩にかかっていた手を振り払い、お返しに同じ場所を掴んで、怒鳴りつける。


「そうだよ! お前のせいだ! お前のせいでズタボロだよ! しんどいったらありゃしねえ! 俺の脇腹今どうなってんだよ! 内臓とか大丈夫なんだろなこれ! 嫌だからな入院とか!」

「ぁう、いや、その、スゴロクン?」

「ほんとやってらんねえよ! 俺ただの高校生だぞ! お前のせいで、散々だよ!」

「だ、だから、ごめんって」

「謝ってすむか! ほんとうんざりだ、うんざりなんだけどな! けどな、お前のおかげで俺はまだ動けるんだよ! 無茶苦茶いじめられて、鍛えられてきたからな!」

「は? キミは一体、なんの話を……」

「お前と、俺が友だちだって話だよ!」


 もういいんだ。

 細かいことはどうでもいい。

 俺は、それだけ忘れなきゃ良かったんだ。


「お前にも色々事情があるんだってな! 言いたくないことがあるのもわかった。もう聞かねえ! けどな!」


 悩むな。理解しようとするな。

 変に勘繰るな。

 信じろ。愚直に。素直に。

 真っ直ぐ、赤江を信じる。


「俺は察しが悪いんだよ! 今、これだけはちゃんと言ってくれ!」


 聞きたいことは一つだ。

 その答えが得られれば、俺は動ける。


 最後までやり抜ける。


「俺は何をすればいい! お前は、今、俺に何をしてほしいか、教えてくれ!」


 抱えていたものは全部吐き出した。

 俺は実に清々しい気持ちで、赤江の返事を待つ。

 いくらでも、待てる。


 赤江は目を丸くし、息を呑み、目を閉じて、また開く。

 その口元は数回、何かを躊躇うように震えていたが、答えはちゃんとかえってきた。


 大きく息を吸い込んで、赤江はやっと、それを言う。


「……馬鹿だな、キミは」


 おう、知ってる、と答えた俺に、赤江は目元をぬぐって、いつもの、久しぶりに見る不敵な笑みを浮かべた。


「あいつを、やっつけろ」


 赤江は川の向こう側で、再び動き出そうとしている横島を指差した。

 ビリジャンパあああああとか叫んでいるところを見ると、予想通り、まだ元気そうな様子だ。


「そして、私を助けて欲しい」

「ああ、わかった。しんどいけど、仕方ねえな」


 数少ない友達の頼みを断るわけにはいかないだろう。

 俺は右手をぐるりと回し、その場で屈伸をして横島と向き直る。

 ただ、その前に、だ。


「あのな、赤江、わかってると思うが、俺、普通にやってもあいつには勝てねえぞ」

「……だろうな。私の予想より、奴は相当厄介な進化をしてる」

「どうすりゃいい? 俺は何にも思いつかねえ。知恵を貸してくれ」


 恥ずかしげもなく尋ねる俺を、赤江は馬鹿にしない。

 そうだな、と黙って口元に手を当てて、一秒ほどで結論を出した。

 流石の早さだ。

 頼りになるといったらありゃしない。


「いいか。チャンスは一回。しくじるなよ」


 赤江は俺の耳元に口を寄せ、その作戦を口にしてくる。

 ……なるほど。

 それなら確かに、何とかなりそうだ。



「どこまでも、どこまでもイラつく奴だな。お前は」


 起き上がった横島が忌々し気に呟いて、真っ赤な目で俺を睨みつけてくる。

 その四本の手が、傍で意識を失った学生服姿の少年たちの首に回された。

 ドクン、ドクンとその腕が波打っている。


 吸血か。


 受けたダメージを回復するためか、それとも俺を倒すために力をつけようとしているのか。

 どっちにしても便利な力だ。

 人の迷惑を考えなければ。


 吸血を終えた横島の髪の間から、二本の触角が立ち上がり、背中の羽根が震えだす。

 四本の腕がわななき、甲殻と甲殻がこすれる、耳障りな音がした。


 いよいよだ。ここで決着をつけなきゃいけない。


「僕の、邪魔をするな! 脅えろ、ビリジャンパー!」

「やなこった」


 飛び上がって猛然と突っ込んでくる横島の懐に、俺も跳び込む。

 迎撃のために振るわれた横島の腕を、体を捻ることでどうにか掻い潜り、体当たり。

 お互いに衝撃で弾き飛ばされたが、俺はフロッグタンを撃ち込んで、再び横島に接近する。

 腹に蹴りを入れることには成功したが、お返しとばかりに束になった右腕二本で殴られた。


 とんでもない馬鹿力だ。

 俺は横なぎに吹き飛ばされ、川岸のアスファルトを転がる。


「僕に、勝てると思うなよ!」


 確かにこのままじゃどうにもならないな。

 どれだけ蹴っても効いてる気がしない。


 横島は俺を追って降下してくる。

 振り下ろされた腕は後ろに跳んで回避した。

 横島の一撃でアスファルトが砕け、破片が散らばる。


「僕は強くなった! 自分の血を調べて、もっと力を活かせるように改良した!」


 叫びながら横島は空いている三本の腕でアスファルトの残骸を掴んで投げつけてくる。


「そりゃ、すごい」


 俺は飛来したその破片を躱して、一つをフロッグタンで捕まえる。

 一番、でかいやつだ。


「そういう特技は、将来履歴書にでも書いたらいいんじゃないか」


 伸びきったゴムが縮む勢いを利用して、俺は破片を横島に投げ返した。

 倍以上の速度で飛んでいったそれは、横島に当たってくれたのだが、粉々に砕け散っただけで、効果は薄そうだ。


「ほざいてろ!」


 ひるむことなく接近してきた横島の四本腕の猛攻を何とか躱しながら、俺は必死で探し続ける。

 赤江に教えてもらった策を実行に移すための隙を、見つけ出さなきゃいけない。


 それまでは捕まるわけにはいかない。


「もう、お前にはどうにもできないぞ!」

「わかってるよ、そんなこと」


 殴り合い、蹴り合いでは勝てない。

 フロッグタンを使った小細工も通用しない。

 完全に自分より格上の横島に勝つためにはどうするか。


 反則技しかない。


 赤江の言った策は一つ。


「キミに渡した薬があっただろ。あれを、あいつに打ち込め」


 今のこの状況で単純かつ、効果的な攻略法。

 まともにやっても敵わないなら、相手を弱らせればいい。

 そのための手段ならあった。


 黒森さんから受け取ったあの「人間に戻れる薬」を、横島に打ち込むのだ。


「……チャンスは、一回。一回だ」


 俺は手の中に握りこんだ注射器の向きを確認する。

 これを壊されても負け。打ち損ねても負けだ。


 腹を括れ。一瞬だ。

 一瞬、腕の動きを止められればそれでいいってのに。


「くっそ!」

「捕まえたぞおおおっ!」


 力いっぱい蹴ったはずの脚を難なく受け止められ、足首を掴まれる。

 焦った時には手遅れだった。

 横島の四本ある腕のうち、下の二本が俺の脚を、上の二本が両腕を掴んで磔にでもするかのように固定してきた。


 全く、動けねえ。抜けられねえ!


「僕の勝ちだ! ビリジャンパー! 覚えてるか、僕の手は血を吸える! このまま干物にしてやるぞ」


 ぞわり、と手首と足首から自分の血が抜けていく感触が走り始めた。

 後何秒だ。

 あとどれくらいなら、耐えていられる。


 俺は腕と脚の筋肉を限界まで引き絞るが、動かない。

 横島が無様に身をよじる俺を、嘲笑った。


 次の瞬間。


「ひぎゃあああああああっ」


 ぱん、と、横島の赤い右目が弾けた。

 血しぶきが飛び散り、顔に当たるのを感じる。


 何だ、何が起こった?


「双葉さん! いつまでそうしてるつもりですか!」


 鋭い叱責の声。

 この声は、島野さんだ。


 少し離れた位置で、赤江の肩を借りながら島野さんが片手で拳銃を構えていた。

 あの状態で撃って、当てたってのか。

 横島の、右目に。


「気張りなさい!」


 島野さんの怒声で、我に返った。

 横島は撃たれた右目を右手で押さえている。つまり、俺の左手は自由ってこと。


 ほんの一瞬生まれた隙。

 島野さんを軽んじていた、横島の致命的なミス。


 俺は右手に握っていた注射器を左手に持ち替え、それを横島の右腕に押し付ける。

 俺の手首から、自分の体に血を吸い続けている腕だ。


 吸った血液は間違いなく、体の中に流れ込む!


「食らえよ!」


 カシャンと音がして、注射器の針が横島の腕に突き刺さった。

 俺は注射器を押し付ける左手に力を込め続け、待つ。

 薬が流れ込んでしまうのを、待ち続ける。


 赤江の作った薬が、本物ならこれでいけるはずだ。


「な、なんだ? お前、僕に何をした!」


 横島は自分の腕に突き立てられた注射器を、信じられないといった表情で見つめる。

 その両目は既に元通りになっていて、回復力の凄まじさを物語っていた。


 この様子だと、気づいてるみたいだな。

 流石、血の成分をいじくれるだけのことはある。

 だけど、もう手遅れだ。


「その薬な、俺たちの力を抑えるらしいぜ。吸った血がどうなるのかは知らないけど、まずいんじゃいか?」

「うそだ! そんな!」


 横島が叫んだ時には、変化が起こり始めていた。

 ぴしぴしと、音を立てて俺の脚を掴んでいる二本の腕がひび割れ出している。

 力も、もうそんなに強くない。

 これなら振り払えそうだ。


 俺は自由になっている左腕で横島の顔面を殴りつけた。

 その一撃でひるませられたのだろう。脚を抑えていた腕が簡単に外れた。


 俺は横島の胸元を両脚で蹴って、後ろに跳ねる。

 ようやく、拘束から抜けられた。


「くっそ、こんな! こんなもの!」


 横島は不快感を隠そうともせず、自分の体を搔きむしっている。

 体内を駆け巡る薬の様子が、あいつにはわかるのだろう。と、いうことは、だ。


「大丈夫だ! 残念だったな! 僕は血を操れるんだ。体に入った異物くらい自分で……!」

「その前にケリをつけさせてもらうぞ!」


 叫びながら俺は横島に向かって、跳ねる。

 力を取り戻される前に。

 互角にやり合える今、勝たなきゃいけない。


 ここが、正念場だ!


「舐めるな! お前ぐらい、まだ、どうとでも!」

「やってみろ!」


 腹を蹴りつけたら、顔を殴り返された。

 額が切れて、血が目に入る。痛え。

 それでも、蹴る。

 今度は脇腹の傷を殴られた。痛え。

 けど、歯を食いしばって耐える。

 四本の腕が、爪が、俺の体を引き裂こうと振り下ろされる。

 コスチュームが裂け、血が飛び散る。

 肌の表面をひっきりなし激痛がに走っていく。


 それでも俺は、蹴る。


 考える必要はない。

 体にしみ込んだ動きで、蹴りを放ち続ける。


 痛え、蹴る、痛え、蹴る、痛え痛え蹴る痛え蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る!


 負けるな、逃げるな、折れるな、堪えろ、譲るな、俯くな。

 前を見ろ!

 最後まで、諦めるな! 頑張り抜け!


「あああああああああああああああっ!」


 雄たけびを上げ、右脚で横島を蹴り飛ばす。

 体を折り曲げて、苦悶の表情を浮かべた横島。

 それでも俺は、まだ止まらない。


「待っ……」

「今度は逃がさねえ!」


 羽根を広げて、飛び立とうとした横島の両肩にフロッグタンを撃ち込む。

 どこにも行かせない。誰も巻き込ませない。

 俺と、お前の決着はここでつける。

 これで最後だ!


 俺はフロッグタンのひもを引き絞りながら飛び上がり、体をネジのように縦に回転させた。

 二本のゴムが螺旋状に絡まり、渦を巻く。

 限界までねじられたゴムが、そこから逆回転を始める。

 自分の体がドリルのように回り出すのを感じた。

 その速度の上昇は、もう止まらない。

 俺は膝を限界まで曲げて、待つ。


 横島の体に、蹴りが届くその瞬間を待つ。


「地面で跳ねろ! 赤目野郎!」


 両脚での一撃が突き刺さった瞬間、衝撃に耐えられなくなったフロッグタンのゴムが千切れ、グローブが裂けた。

 真下に弾き飛ばされた横島の体は地面でバウンドし、その背中の羽根や、後から生えた腕が砕けて散らばる。


 そして、その勢いのまま横島は転がり、ドブ川の中へと落ちていった。


「流石に、もう浮かんでこねえよな……」


 ゆっくりと自分の体が落下していく感覚を味わいながら、俺は大きく息を吐いたのだった。

 ヒーロー物の映画って、大抵、最後は敵の方が主人公より強いんですよね。

 それをどうにかするから格好いいと思っています。

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