三十五 興覚めのための方法
家に帰って宿題をして、授業の予習を進め、晩飯を食ったらすることがなくなった。
これまでなら筋トレでもして時間を潰すところだが、生憎部屋に転がっている器具ではもう意味をなさなくなってしまっている。
俺は自分の部屋のベッドに寝っ転がり、天井を眺め続けていた。
時間の潰し方がわからない。
今まで暇な時間なんてなかったからだ。
ただぼうっとしていると頭の中に余計な考えが浮かんできて、よろしくない。
赤江は今どうしているだろうか、とか、もしかしたら二度と会うことはないのかもしれないとか、そんなことばかりを考えてしまう。
スマホでなら連絡を取れるだろうか、と画面を眺めてみたが、馬鹿らしくてやめた。
直接顔を合わせる勇気もないくせに、ろくなことを話せるわけがない。
出なかったら出なかったで、また悩むのもわかっている。
「なっさけねえなあ、俺は」
このままじゃ駄目なのはわかってるんだ。
俺は赤江が何をやっているかが知りたかった。
この街で何が起こっているのかを教えて欲しかった。
それを知ったうえで、改めて覚悟を決めるつもりだったのだ。
その覚悟とは一体何か。
決まってる。
あの化け物を何とかしなくちゃいけない。
誰かが傷つく前に止めなくちゃいけない。
それが出来るのは、自惚れかもしれないが、俺だけだと思うから。
「そういえば、中野さんも言ってたな。繁華街が物騒なことになってるって」
ケンカのすごく強い不良が暴れまわっている奴がいる、これはおそらくリョーカのことだ。
あと、なんだったか。グループ同士のいざこざだとか、闇討ちだとか、そんなことも言っていたような気がする。
「……なんだそれ、そんなことあったか?」
俺が街で不良を相手取っていた時、複数が一人を囲んでいることはあったが、チンピラ同士の揉め事のようなものは見かけなかった気がする。
あの化け物が暴れたところで、そんな噂は立たないだろう。
何で急にそんなことが起こり始めた?
今日までの出来事と、関係がないことなのか。
「駄目だ。わかんねえ。くっそ、気になる」
俺みたいな阿呆が自分の部屋でいくら頭を捻っても答えはでないだろう。
知りたければ確かめに行くしかない。
事情を知っていそうな人間に話を聞けば、何かわかるかもしれない。
そんな人間、知り合いに居るか?
「…………いるなあ、一人だけ」
知り合いと呼べるかどうかはわからないが、一人だけあてにしてもよさそうな人物の顔が浮かんだ。
街のチンピラに喧嘩の助っ人として一目置かれている人物。
本当にチンピラの集団同士のケンカなんてものが起こっているのだとしたら、あの赤い髪の女の耳に入っていないはずがない。
「探してみるか。あのリョーカとかいう女」
幸い俺の素顔はあいつにはバレていない。
後をつけるなり、誰かと話しているところを押さえるなりしてみれば、何かヒントくらいは得られるかもしれない。
やばくなったら逃げればいいのだ。
決まりだ。行こう。
俺はランニング用のジャージに着替えて部屋を出る。
玄関口で靴を履いていると、
「あら、六平、あんた今からどこ行くの?」
母さんがそんなことを聞いてきたが、
「ランニング、二時間ぐらい走ってくる」
「ふーん、よくやるわねえ。気を付けて行ってくるのよ」
普段が普段なだけに、大して気に留められることもなかった。
繁華街近くのコンビニやゲームセンターの店員に話を聞くと、リョーカという女についての情報はすぐに手に入った。
見た目が不良っぽくないバイトの人を選んでみたのだが、誰もが名前と容姿をすぐに思い浮かべることができるほどの有名人だったようだ。
もちろん、悪い意味で。
彼女の本名は城原涼華と言うらしい。
親切なゲーセンのバイトのお兄さん曰く、この辺一帯のヤンキーを取り仕切っているだの、何十人もの不良を一人でボコボコにしただの、実はヤのつく家業の人の一人娘だの、眉唾な逸話が数限りなくあるのだそうだ。
話によれば涼華は普段、繁華街のコンビニに出入りしており、その近場の公園でだべっていることが多いらしい。
仲間らしき奴らが一緒にたむろしていることもあるが、ここ数日は荒れていて実質その公園には誰も近づけないのだとか。
猛獣かスズメバチの巣のような扱いだ。
何とも迷惑な話である。
君もできれば近づかない方がいいよ、と忠告してくれたお兄さんに礼を言って、俺は件の公園に向かった。
幸い場所の見当はつく。
何の因果か、俺が最初に繁華街で目覚めたあの場所のことだろう。
俺はゲームセンターから駆け足で公園に向かった。
そして、出入り口の門の陰からそうっと中を覗く。
申し訳程度の遊具が見え、なんとなく懐かしい気持ちになった。
あとは、ベンチだが。
「……いたよ、おい」
俺が赤江に放置された、あの時は実は黒森さんが運んだらしいのだが、ベンチに赤い髪の女が両手を広げて腰かけていた。
ホットパンツで晒した脚を組み、それをゆらゆらと揺らしている。
これでお目にかかるのは三度目だが、座ってるだけでとんでもない迫力だ。
俺は首を引っ込め、隠れていたつもりだったのだが。
「おい! そこにいるてめえ! 何隠れてやがんだ!」
ビリビリっと、空気が震えるような怒声が轟いた。
間違いなく涼華の声だ。
げええ、バレてる。
俺が言うのも何だが、どんな耳してるんだよ。
俺の隠れ方が下手だったのかどうかはわからないが、いくらなんでも早すぎる。
もしかして、本当は気づいていなくて適当なことを……
「出てこいや! 門の陰にいるのは分かってんだよ!」
……言ってるわけじゃなさそうだな。
俺は観念して立ち上がる。
これでバレないようにこっそりと情報を得るという俺の目論見は外れたわけだ。
これだけ勘のいい相手だと、今後、尾行を成功させるチャンスもないだろう。
直接話をする以外に、情報を得る手段はなかったわけだ。
門の陰を出た俺は公園の敷地に入り、涼華を刺激しないよう、そろそろと近づいていく。
「…………!」
公園の中に入ってすぐ、妙なものが地面に散らばっていることに気が付いた。
街灯に照らされているのは、赤や黄色、黒の破片。
何だろうか。
ぱっと見だとゴムっぽい材質にも見えるが。
「なあ、その、あんた、城原涼華で間違いないよな」
俺はごくりと唾を飲み、話しかけてみたが返事はなかった。
涼華は俺ではないどこかに視線を向けて、ただ黙っている。
燃えるような赤毛は前に見た時ほど逆立っていないようにも見えるが、機嫌が悪いのか。
「女の人が夜に、こんなところに一人でいたら危なくないか?」
「……殺すぞ」
社交辞令的に気遣ってみたら、ドスの利いた低い声が返ってきた。
どうしよう、すっげえ怖い。
これ脅しじゃなくて本気で言ってるんだもの。
まともな人間ならこの時点で後ろを向いて猛ダッシュだろう。
「そこに散らかってんのな、元々はここにあった遊具。車のタイヤを地面に埋め込んだやつな。イライラして八つ当たりしてたら、そうなっちまった」
車のタイヤをどうすればこうも細かくバラバラに引きちぎれるのだろうか。
刃物を持っている様子もないし、素手でやったんだとしたら、どんな腕力だよこいつ。
「次はお前が、アタシに八つ当たりされてみるか?」
涼華は初めて俺を見つめ、口の端を吊り上げる。
ぞっとするような迫力がある言葉と、仕草だ。
こいつは今、気が立っている。まともに話など出来る状態ではない。
まともな状態なら、無理だ。
まともな状態ならな。
「あんたさ、俺に見覚えないか」
「あ? ねえよ。今後も覚えねえよ」
「そうかよ。だったら、こうする」
俺は溜息を吐いて、全身に力を込める。
今日はゴーグルがないが、この肌の色のインパクトなら思い出してもらえるだろう。
俺の思惑通り、涼華は目を見開き、その表情が心底嬉しそうな笑顔に変わっていく。
「すっげえな、どうなってんだそれ」
「今日は、あんたに聞きたいことがあってきたんだ」
「まさか、てめえの方から来てくれるなんてな。緑の奴。嬉しいなあ、オイ」
うわごとのように呟きながら立ち上がる涼華。
もう俺の話なんて聞こえてなさそうだ。会話がすでに嚙み合わなくなっている。
「お前とのケンカ、まだ決着ついてないもんなあ。こないだはわけわかんねえ奴に邪魔されたしよ。不意を突かれなきゃ、あいつもぶっ飛ばしてたんだ。普通にやりゃあ、アタシが勝ってた。お前にだってそうだ。アタシが勝つ。それなのにお前らなかなか出てこねえし、イラついてたんだよ」
「俺はもう、あんたの勝ちでいいと思ってるよ。頼むから、話がしたいんだ」
「アタシは! お前とケンカがしてえんだよ!」
そこが涼華の我慢の限界だったらしい。
いきなりのフルスロットル。
たった一歩の踏み込みで、涼華はその拳の射程圏まで距離を詰め込んできた。
打ち込まれた右のストレートを俺は腕を交差させることで防ぐ。
ガードごと体を後ろに弾かれる威力だ。
この姿でも、激痛が走る。
右手を引き、次の攻撃の姿勢に入りながら、涼華は叫ぶ。
「お前、アタシに用事があるんだよな!」
「ああ、残念ながらな」
「つまり今日のお前は逃げねえってことだわな!」
その通りだよ、こんちくしょう。
逃げられないわけじゃないが、それだと情報は得られない。
ちょっとした不安と疑問を解消するためには、こいつが納得するまで相手しなくちゃいけないということだ。
何という割に合わなさ、理不尽ですらある。
相も変わらず涼華の拳や蹴りは鋭く、重い。
そのうえ単調にガードしたり、避けたりしようとすると、フェイントをかけられる。
こっちの生半可な攻撃は図抜けた反射速度で躱される。
手加減して何とかできる相手じゃない。
取り押さえて、話に持ち込むのも無理そうだ。
じゃあ、どうする?
全力で戦って倒してしまうか?
それだと話が出来なくなるだろう。
かといって俺がやられてしまってはそれこそ意味がない。
駄目だ。八方手づまりじゃないか。
俺は涼華が打ち出してきた右の拳を左手で受け止める。
すぐさま左の拳が顔に飛んできたのでそれは逆の手で対応した。
涼華はすぐさま拳を開いて、俺の両手をひっつかみ捻りあげようと力を込めてきた。
俺もそうはさせまいと腕の力を振り絞る。
ギリギリと、お互いの力が拮抗する。
「おい! 俺が本気で相手すれば、お前は満足なんだな!」
「ああ、そうだよ! 全力のお前をぶっ殺させろ!」
「わかった。その代わり、気が済むまでやったら、話ぐらいさせてくれよ」
「お前の意識があったらな! 話でも何でもしてやるよ!」
組み合いながら、俺は考える。
こいつはケンカを楽しいと思っている人間だ。
俺には理解できないが、そういう思考回路の人間もいるとして、ケンカを止めさせるにはどうしたらいい?
楽しくないと思わせるしかない。
俺の相手をするのがつまらないと思わせる。
「……嫌だなあ」
一つ、方法を思いついた。
スポーツや格闘技で、一番興ざめする行為。
「もう、やーめた」の一言を引き出せる効果的なやり方。
思いついたのはいいけれど、俺にとってはしばらくしんどい時間になりそうだ。
しかし、やらなければどうにもならない。
腹を括って、俺は決断する。
「何ぼさっとしてんだオラぁっ!」
「へぶっ」
組み合っていた手を振り払った瞬間、涼華が殴りつけてきた。
俺はそれに対して避けることも、守ることもせず、ただ受け止める。
顔面に拳を受けたことで目の前に火花が散った。そう、俺がとるべき行動は一つ。
何もしないこと。だ。
「おごっ、げばっ、がっ、んぐうううっ」
途切れることなく繰り出される涼華の攻撃にされるがまま、ただただ耐える。
悲鳴もできる限り上げない。倒れない。なぜなら、人はサンドバックとケンカできないから。
戦う意思のない人形を殴り続けたとして、訓練にはなっても、いつまでも楽しいと思う人間はいないはずだ。
抵抗する気のない俺の様子に気づいたのだろう。
涼華は凄まじい形相で攻撃の勢いを強めてきた。
「ざけんな! まじめにやれ!」「殺す!」「さっさと倒れろ!」
口汚く罵る声と共に痛めつけられる。
顎を殴られれば視界がぶれるし、鼻っ柱に蹴りを食らえば鼻血も噴き出す。
口の端が切れ、殴られた腹から吐き気が込み上げてくる。
それでも倒れない。
立ったまま、涼華に訊く。
「なあ、これさ、楽しいか?」
「う、うるせえええええっ!」
がつん、と涼華のフルスイングの拳が額を捉えた。
頭がのけぞり、顎があがる。
だけど、気絶するほどじゃない。
今の俺の体の頑丈さを舐めてもらっては困る。
この程度で、俺はやられてなんかやらない。
俺は頭をもとの位置に戻して、静かに言う。
「俺はちっとも楽しくない。あんただって、そうだろう」
「アタシが殴ってんだぞ! なんでお前は平気なんだよ!」
半狂乱になった涼華が両手で俺の服の襟をつかみ、勢いよく頭を後ろに下げた。
おい、これはまさか。
「いい加減、倒れろよ!」
涼華の最後の攻撃は頭突きだった。
俺の鼻筋に力いっぱい額を叩きつける一撃。顔の前半分が凹むんじゃないかと思うような衝撃があって、俺は二、三歩後ずさった。
やっべえ、これは効く。
鼻を両手で押さえ歯と歯の間から変な声を漏らしてしまう。
しかし、不思議なことに涼華の追撃はやってこなかった。
痛みに耐えながら、俺が顔を上げると。
「痛てえ」
涼華は真っ赤になった自分の額を押さえ、小さく呟いた。
なんだ、様子がおかしいぞ。
この感じ、どっかで見たことがある気がする。
ずっと昔に。下手したら十年くらい前かもしれない。
「おい、痛いって、あんたそりゃあ」
狼狽える俺の目の前で、涼華の表情がみるみるうちに崩れていく。
やっぱりだ!
こいつ、まさか!
「なんなんだよぉ、お前、なんでこんなに痛いんだよぉ……」
泣きやがった!
嘘だろ! さんざん好き勝手に殴る蹴るしといて、自分が痛かったら泣くのかよ!
「アタシのパンチも、キックも全然効かねえし、ほんと何なんだよおまえぇぇぇええええ」
「お、おい、落ち着けって」
「もうやだああっ! 帰れよお! あっち行けよお!」
涼華は俺に背を向けて、大声で泣きじゃくり始める。
俺は、戦慄していた。
何歳児だこいつ!
幼稚園のちびっこだって、今日びここまで自分勝手ではないだろうに。
「い、今のは、俺が悪かったから! な! ほら、また好きなだけ殴っていいから!」
「うっさい! どうせ効かないんだろ! 死ね! ばーか!」
小さい頃のしつけって、大事だったんだなあ。
そんなことを年上らしき女から、身をもって教わるとは思っていなかった。
どうすりゃいいんだよ、これ。
涼華は、高校中退している設定です。
家は焼き肉屋をやっています。




