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三十三 孑孑

 結局また、僕はこのドブ川に戻ってくるのか。


 辺りに漂う悪臭に顔をしかめながら、そんなことを思う。


 体中が痛い。

 蹴られた腹が、地面に叩きつけられた首や背中が、熱を持ったような疼きを訴えてくる。

 あの蚊にかまれてから、こんなことはなかったのに。

 どんなに強面な不良に殴られても何も感じなかったのに。


 今日のあいつは違った。


 あのコスプレのようなふざけた格好をした緑の奴。

 なんとか逃げ切ることはできたが、もし捕まっていたら勝てなかっただろう。

 僕は元々、喧嘩なんてしたこともないのだから。


「何なんだよ、アイツは……今日まで、上手くいってたのに!」


 ドブ川のほとりの錆び付いた金網に背を持たれて、座り込む。

 僕の生活を一変させる出来事が起こったのも、この場所からだった。

 あの蚊にかまれ、力を得た。


 それから今日までのことを思い返す。


 初めに襲ったのは、僕をカツアゲした連中だった。

 背中に生えてきた羽根で街中を飛び回り、見つけた後は一人ずつ始末した。


 手の平で人の血を吸える。

 そのことに気づいたのも、その時だった。


 僕を見て脅える三人の男たちの表情を見た時、清々しい気持ちになったのを覚えている。

 ろくに努力もしないくせに、暴力だけで自分より弱い人間を蹂躙する奴ら。

 犠牲になるのはいつも、僕のように要領や運の悪い人間だ。


 当然の報いだと思った。


 そして、その時に気づいた。

 自分に与えられたこの力は、こいつらのような悪人を駆除するためのものなのだと。

 使い方次第で、これまでの僕のように弱くて、可哀想な人たちを救えると確信した。


 それから先は、手当たり次第に目につくガラの悪い連中を襲い続けた。

 僕の存在を知らしめるためだ。街の中の悪人どもに、次はお前たちだと伝えるために。

 僕は街の暗闇の中のいつでも、どこからでも現れる。

 それを教えるために。


 気づいた時には傍にいる。


 そう、まるで人の体にまとわりつく蚊のように。

 心に後ろ暗いところのある人間に、目には見えない恐怖と不快感を植え付けていく。

 僕の存在に脅える奴が増えれば、おいそれと悪事を働くこともなくなるだろう。

 弱い奴が踏みにじられ、犠牲になることだってなくなる。


 そう信じて、力を使ってきた。


 だけど、今日のあいつは街中にいる不良やチンピラと呼ばれる連中とは明らかに違っていた。

 あれはただの人間じゃない。

 僕と同じ、人ではない力を与えられた何者かだ。

 あいつが邪魔をしに来るかぎり、僕の計画は達成できない。

 あいつを排除しなければ、また今日のように失敗することになる。

 弱い人間を救うことができなくなる。


 だけど、勝てる気がしない。

 圧倒的な力の差がなければ、同じ土俵に立たれれば、僕はただの弱虫に逆戻りだ。

 あの緑の奴と戦ってみて、それがよくわかった。


 どうすればいい。

 ここまでなのか。

 せっかく力を得たのに、これでおしまい。

 元通りになってしまうのか。


 そんなのは嫌だ。あいつにだって、何か、何か弱みがあるはずだ。


「……そうだ、弱みだ。弱点を調べれば、いいんだ」


 思い出した。

 僕は今日、あいつからも血を吸い取った。

 その血は今、どこにある。


 当然、僕の中だ。

 なんだ。簡単なことじゃないか。

 その血を調べればいい。それが僕には出来る。


 目を閉じて、深く息を吐く。

 自分の内側を、体の中を巡る血の中から異質なそれを探し当てる。

 ただの人間の血液とは違う。僕の中で唯一、馴染んでいないその血液。


 この本質は、なんだ? 人と何が違う?


 大切なのは感覚でとらえることだ。

 感じる。強いエネルギーを。

 生命力にあふれ、並大抵のことでは破壊されない、強い生き物の血の匂い。


 そして、これは、そうこれは。


「血が、冷たい?」


 ようやく掴んだ。

 普通の人間とも、僕とも違う、あいつの血の特徴。

 その決定的な欠陥に気づいて、僕は笑いが込み上げてくるのを堪え切れなかった。


「そうだ、冷たいんだ。やつの血は冷たい。知ってるぞ、そういう生き物が何に弱いのか」


 肩を揺すって、僕は笑い続ける。

 勝機がみえてきた。あいつは強いが無敵じゃない。

 僕の方が優れている。上回ることができる。


 同じ土俵から、引きずり下ろすことができる。


 だが、それだけでは不十分だ。

 まだ確実とは言えない。勝てる確信がなければ動くべきじゃない。


 他にできること。

 僕の力を使って、出来ることは何だ。


「僕の力? 僕の力って、なんだ?」


 ふと、思いつく。

 僕の中を巡るこの力の正体はなんだ。

 あの緑の奴の力はわかった。その弱点もだ。

 だが、僕は僕の力をまだ知らない。

 知り尽くしていない。調べることすらしていなかった。


 僕はあの不思議な蚊にかまれて、力を得た。

 あの緑の奴も同じだとしたら、この力の源となった要素があるはずだ。


 僕の中のその要素をもっとうまく使えたら、自分の血をもっと自由に操れたら、その時には。


 僕はもっと、強くなれるのではないか。

 あいつよりも、さらに強くなれる。


 そして、力の源が分かれば、もう一つ出来ることがある。


「仲間を、増やせる。僕の仲間を、僕と同じ仲間を作れる」


 僕の力を、血を、流し込むことができれば、分け与えることができるようになればどうだろうか。


「そうだよ、僕一人で駄目なら、僕たちにすればいい」


 一匹の蚊を潰すのは簡単だ。

 だが、藪の中に潜む無数の蚊を駆除しきることはできない。

 増やせばいいんだ。

 僕と同じ仲間を、弱く、他者から疎まれ、心の底で怒っている仲間を目覚めさせる。


 その仲間たちの頂点に、僕が立てばいい。

 伸ばすべきところを伸ばし、補うべきところを補う。

 完璧な力を得る。

 僕にはそれが出来る。


 血を操る。

 僕に与えられた力は、最強だ。


「どんなに大きなカエルでも、一匹じゃあ無数に生まれる蚊は食い尽くせない」


 必要なのは時間と、手間と、練習だ。

 気取られないように、ひっそりと事を運ばなければならない。

 だがそれさえできてしまえば、その時は。


「もう、僕らを止めることは誰にもできない」

 スゴロクンも、この敵も、目指すところは一緒でした。

 良くも悪くも、自分の力と向き合うことが早かった敵の方が、成長することになります。

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