三十二 別れの言葉もなく
地下から出て、俺はのろのろと歩き始めた。
傷ついた体よりも頭のほうが重い。
赤江が使ってもらったあの薬に、どうやら馬鹿を治す成分はなかったようだ。
俺は昔と何一つ変わらず、察しの悪い愚図だった。
「待ちなさい」
赤江宅の門を出かけた俺を制止する声。
島野さんか。
冷たく、厳しい響きに俺は振り返る。
「戻ってください。今ならまだ、なかったことにしてあげます」
島野さんは俺に向けて拳銃を構えていた。
俺はそれをどこか他人事のように見つめる。
なかったことにできるのなら、やってみろよ。
頼むから、赤江の気持ちを俺にもわかるように説明してくれ。
「止してください。俺は今、そんな気分じゃないんです」
「ここまで踏み込んだあなたを、私は見逃せません。今後も協力しないというのなら……」
そこまで聞いて、湧き上がった怒りを俺は抑えることができなかった。
勝手に体が動く。
「アンタに何ができるってんだよ!」
怪我をしていることなど、気にもならなかった。
俺の怒りに呼び起されたように肌は緑色に変わり、人ならざる力で島野さんにつかみかかる。
拳銃を持つ腕をねじりあげ、近くの壁に押さえつけた。
「八つ当たりですか? みっともない」
しかし、島野さんの反応はどこまでも冷徹だった。
凄む俺を鼻で笑い、言う。
「これからどうします? いつもの仕返しでもしてみますか」
煽られて、自分のしていることの情けなさに気づいた。
この人の言う通りだ。俺は何をしてる。
俺は島野さんが持っていた銃を取り上げ、簡単には拾えそうもない場所まで投げ捨てた。
そして、壁に押さえつけていた手を放し、目を背ける。
「アンタにも感謝はしてるんだ。気に入らない俺を、きちんと鍛えてくれた」
「やめてください。気色の悪い」
「ああ、自分でも嫌になるよ」
俺は島野さんに背を向けて、再び赤江宅の出口へと歩きだす。
後ろから撃たれたとしても、まあ、構わないか。
俺にはお似合いの仕打ちだ。
「あなた、これからどうするつもりです?」
俺の背中に飛んできたのは銃弾ではなく、淡々とした島野さんの言葉だった。
「とりあえずしばらくここには来ません。赤江には、会わない」
「バカのくせに賢明な判断ですね」
「バカなりに考えてみたんですよ」
「つまらない答えです。馬鹿の考え休むに似たり、でしょうに」
うるせえってんだよ。
しょうがないだろうが。俺にどうしろってんだ。
「双葉さん、最後に一つ」
「はい?」
「私たちの敵にだけはならないでください。そうなった時は」
「時は?」
「あなたを殺します。赤江博士を悲しませたくはありませんが、仕方ありません」
「覚えときます。その、忠告、ありがとうございます」
それだけ答えて、俺はカエルの力を発動させた。
さっさと家に帰ろう。
今日はもう疲れた。
何も考えたくない。
それでも一つ願うなら。
今日の出来事が夢であればいいのにと、そう思った。
大事だと思っていた友人との別れが、あっけないこともあります。