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三十一 真実は互いを傷つけ合う

 自分で思っていた以上に、体にガタがきていたらしい。

 全身の擦り傷や打撲の痛みを堪えながらの移動だったせいで、赤江宅にたどり着くのにいつもの何倍もの時間がかかってしまった。


 事務所の方には誰もいなかったので、俺は地下への扉を開け、秘密基地へと続く階段を降りていく。

 階段の壁に寄りかかるようにしてなんとか階段を降りきって、いつものパソコンの前に座っている赤江の背中が見えた途端、自分の中の張り詰めていた糸が切れるのを感じた。


 ああ、限界だ。

 膝から力が抜ける。立っていられない。


「ん? 帰ったのか、スゴロクン……おい、どうした! 大丈夫か!」


 俺が倒れる音に気付いたらしい。

 赤江が椅子から立ち上がり駆け寄ってくる。

 おそらく俺の肌の色は元に戻っているうえに、あちこちが痣や傷で悲惨なことになってしまっているのだろう。


 さすがの赤江も焦ってるみたいだ。


「傷だらけじゃないか! なんでさっき連絡した時に言わなかった!」

「はは、こんなボロ雑巾みたいななりじゃ、黒森さんも車に乗せたがらないかと思ってさ」

「こんな時に冗談言うんじゃない! 手当てするぞ、立てるか?」

「悪い。肩、貸してくれればなんとか……」


 赤江は黙って俺の手を肩に回し立ち上がる。

 そしてそのまま診察台のようなベッドへ連れていかれた。

 我ながら何とも情けない姿だ。

 俺をベッドに座らせた赤江は、有無を言わさずコスチュームの上着を引っぺがした。


「これは……酷い」


 赤江が息を呑み、顔を歪める。


 俺も裸になった自分の上半身を眺めてみたが、なるほど思っていた以上に痛めつけられてるな。

 そこら中に赤黒かったり紫色だったりする内出血の痕や、血の滲む傷が出来ている。


 これは流石に一晩で回復とはいかないだろうが、まあ、命に係わるほどではないだろう。


「心配すんな、大丈夫だ。すぐに治るから」

「大丈夫なんかじゃない。少し、黙っていろ」


 沈痛な面持ちで赤江は言い、部屋の中に置いてあった救急箱を持ってきた。

 そして口をつぐんだまま、俺の傷口を消毒し、ガーゼや湿布を貼り、包帯を巻いていく。

 手際よく作業が進んでいく様は見ていて気持ちいい。


 まあ、痛みを忘れるほどかと言われれば嘘になってしまうが。


 あらかたの治療が終わったのか、背後に回っていた赤江が深く息を吐いた。

 そして。


「……おい、どうした」


 背中の包帯が巻かれていない部分に、ひやりとした手の感触を感じた。

 赤江の手だ。

 それに次いで、こつんと赤江の額が当てられたのに気づく。


 髪の毛のさらさらとした感触がこそばゆい。


「すまない、スゴロクン」


 驚いている俺に構うことなく、そのままの姿勢で赤江が呟く。

 振り返るな、ということだろうか。


「キミを、危険な目に遭わせるのはもう、何度目だ。わかっていたはずなのに」


 背中に添えられた赤江の指先に、ほんの少しだけ力が込められたのを感じる。


「珍しいな。お前がそんなしおらしいこと言うなんて」

「私を何だと思っているんだキミは。友だちの、こんな姿を見たら、つらいさ。自分のせいだと思えば、尚更つらい」

「さすがのお前でも、か?」

「ああ、流石の私でも、だ。あんまりいじめてくれるなよ」


 普段散々な目に遭わされているお返しにからかってみたのだが、タイミングが悪かったな。

 赤江はいつもの調子で飄々と軽口を返してはくれない。


「何で私が、ショックを受けているんだろうな。本当に辛かったのはキミのはずなのに。今日まで我慢して、耐えて、傷ついてしまったのはキミなのに。こんなに自分勝手な話はない」


 いいや。それこそお門違いだと俺は思っている。


 俺は自分で選んでこうなった。


 確かに赤江の言う通り、つらかったことも多かったが、恨んではいない。

 赤江にも、先生にも、感謝しているぐらいだ。


 俺は背中越しに、落ち込んでいるらしい友だちへと話しかける。


「……今日さ、目の前で人が死にかけたんだ。俺に関係ない人もいたし、関係があった人もいた」


 思い浮かべるのは様々な顔。

 恐怖、怒り、絶望。


 今日だけで、俺は色んな人の負の感情と向き合った。


「怖かった。ほんとに、怖かったよ。俺のせいでその人たちが死んでたかもしれないと思うとさ、震えが止まらなくなったんだ。ギリギリだったけど、そうならなくて、助けられて良かったと心の底から思った。少しでも強くなってて、お前に鍛えてもらってて良かったよ」


 だけど、それだけじゃない。

 俺は赤江にもらった自分の新しい姿を思い浮かべる。


「そんで、ようやくわかったんだ。ゴーグルをつけて顔を隠してても、どれだけ正体がバレないように気を配っても、誰かを助けようとした時、責任はいつも自分にあるんだって。逃げられないんだって、わかった」


 そして、気づいてしまったらもう、知らないままではいられない。

 考えないままではいられない。


 なぜ俺は、力を授けてもらったのか。

 そして、なぜ赤江が俺に人助けをさせようとするのか。


 言われるがまま、何となくやっていていいことではないと、そう思った。


「赤江、本当のことを教えてくれ」


 俺は振り返り、赤江と向き合う。


「本当のこと、とは、何のことだ」


 赤江は一瞬、切れ長の目を見開いて、視線を落とした。

 多分、今まで隠していたということは、言いたくないことなのだろう。


 だけど、今日ばかりは誤魔化されておけない。


「今日、俺が相手した奴の中に人間じゃない化け物みたいなのがいたんだ。見た目も、力も、普通じゃなかった。異常だった。でもな、異常な奴はそいつだけじゃないってことに気づいたんだ。そいつに一番近かったのは、俺だ。俺が一番、あの化け物によく似てるんだよ」


 人ならざる怪力に、吸血能力を持った手、空を自在に飛び回る羽根。

 異形の何か。

 だが、車を楽々と持ち上げる筋力や、緑色の肌、ビルを飛び越すような脚力だって、それと同じくらいおかしい。


 俺と、あの化け物は、もしかしたら同じ存在じゃないのかと思うのだ。


「赤江、あいつは……俺は一体、何になったんだ? この街で、何が起こってるんだ」

「それは……スゴロクン、それは」


 長い長い逡巡の時間。

 赤江は俺の顔と、自分の指先に何度も視線を行き来させ、そして。


「それは、教えられない」


 消え入るような小さな声で、そう言った。


「何でだよ! 教えられないって、どういうことだよ!」


 かあっと頭に血が上り、語気が荒くなってしまうのを感じる。

 駄目だと思っていながら、止められない。


「キミには関係がないことだからだ」

「ふざけんな、関係あるだろうが! 俺の体のことでもあるんだぞ!」

「教えれば、知れば、キミは必ず不幸になる。駄目なんだ。それだけは、駄目なんだ」

「不幸になるって、わかんねえだろ、そんなこと」

「わかるさ」

「どうして!」

「キミは頭が悪くて……優しいからだ。優しすぎるんだよ、本当に」


 その時、赤江が浮かべていたのは寂しげな表情だった。

 俺がそれ以上踏み込むのを拒むような、静かな拒絶の意志。

 俺は自分の苛立ちが、焦りに変わるのを感じる。


 もう、どうすればいいのか、わからない。


「俺は、俺はさ、正直不安なんだよ」

「……何がだ」

「さっきのあの化け物と戦ってからずっと、お前のことを疑っちまってる。もしかしたらお前は、俺以外の奴にも、俺に使ったのと同じような薬を使って実験してたんじゃないのかって。俺も、あいつみたいに、わけわかんなくなって、いつかは人を襲うようになっちまうんじゃないかって。そう思うと、怖くなるんだよ」


 俺は赤江の両肩を掴んで、言う。

 俺が少し力を込めれば砕けてしまうような華奢な感触が、今は恐ろしい。


「なあ、違うんだろ? 俺は馬鹿だからな。こんな予想、間違ってるんだろ?」


 すがるように、返ってくるはずの否定の言葉に希望をかけて、俺は問う。

 赤江の答えを待つ。


「……それにも、残念ながら答えられない」


 だが、俺の望みは届かなかった。

 否定も、肯定もない。

 どこまでも無慈悲な拒絶。


「何も教えないのに、言うことは聞けってのか」

「そう思われても仕方がない」

「俺は、どんな事情があったって、お前が本当は何をしてたって、構わないんだ。言ってくれたら、その通りにやるよ。絶対に裏切らない。お前の言われた通りのことをやる。約束する」

「いくら友だちでも、そこまでは信用できないな。キミは、何を根拠にそんなことを言ってるんだ」

「それはっ!」


 ああ、やめろ。


 言うな。それだけは駄目だ。

 この五年間、ずっと隠してきたんじゃないか。

 赤江と出会って、課題を与えられて、鍛えてもらって、きつくてつらくてやめたくなって、それでも楽しくて嬉しくて充実感があって、こいつを友だちだと思っていたくて、大切だと思っていたくて。


 ずっとずっとずっと怖くて言えなかった。

 隠し通そうとしてきた、本当のこと。


 言うな言え言うな言え言うな言え言え言え言えもう、今、言わなくちゃいけないこと。

 それは。


「先生は、赤江先生は、俺のせいで死んだんだ! だからっ、俺は……」


 だから俺は、赤江一姫のために、先生のことをこの世界の誰よりも大切に思っていたはずのこいつのために、頑張ろうと思ったんだ。


 俺なんかが、先生の代わりに生き残ってしまったから、何をしたって取り返しがつかないならせめて、努力しなくちゃいけないと思ってきた。


 投げ出しちゃいけないと思ってきた。


 耳が痛くなるほどの沈黙の後、赤江は静かに口を開いた。


「スゴロクン、今のは一体、どういう意味だ?」


 俺はもう、赤江の顔を見ながら話せなくなっていた。

 こいつが今どんな表情をしているのか、どんな感情を抱いているのか、知りたくない。

 想像するだけで逃げ出してしまいそうになる。


「そのままの意味だ。あのバスの事故の時、赤江先生は隣に座ってた俺をかばってくれた。そのせいで助からなかったんだ。本当は、あの日、死んでたのは俺だったんだ。お前の父さんが死んだのは、俺のせいだ」

「だからキミは、今日まで私の言うことに従ってきたと、そういうことか」

「そうだ。ずっと、言わなくちゃいけないと思ってた。隠してて、悪かったと思ってる」


 うつむき、呟いた瞬間だった。


「ふざけるな! このっ、このっ大馬鹿!」


 突然、赤江がこれまでに聞いたことがないほどの大声を出した。

 俺はその顔を見て、固まる。


「見くびるなよ! 私はキミに同情されるほど、惨めでも、弱くもない! 五年間も、ずっと、ずっとそんなくだらないことで悩んでたのか! 私は、私にだってなぁっ!」


 ぽろぽろと、赤江の目から涙がこぼれていた。


 何でだ。

 何でこいつは今、泣いてるんだよ。

 俺にはわからない。憎まれても仕方がない。軽蔑されても仕方がない。


 そう思っていたはずだったのに。


「キミにずっと隠し事があったように、私にだって知られたくないことがある。わからないか、スゴロクン!」


 服の袖で涙を拭い、赤江は赤くなった目で俺を見据える。

 逃げるなと、向き合えと訴えてくる。


「キミにだから、知られたくなかったんだ! 友だちだから! それなのに、キミは……」


 赤江は下を向き、唇をかみしめて両手を血が滲みそうなほどに握りしめている。


 キミは、違ったっていうのか。


 赤江が呟いたその言葉が、脳の底に染みていく。

 取り返しのつかないことをした。

 ぐちゃぐちゃになった思考の中で、それだけは、はっきりと分かる。


 俺の間違いを証明するように赤江は言った。


「スゴロクン、私は、キミを許すよ。父さんのことで、キミを恨んだりしない。そもそもキミのせいじゃない。父さんはきっと、それが正しいことだと、自分がやるべきことだと思っていただろうから」

「許すって、お前……」

「これでキミは、自由の身だ。私に従う必要もなくなった。もう、無理して傷つくことはない」


 大きく息を吐いて、赤江はいつものように、不敵な笑みを作ってみせる。

 無理をして、取り繕っている。


「着替えたら、帰るといい。そのコスチュームはもういらないだろう。キミは今後、それを使わない。ここにも来ない。誰にも言わない。それがベストだ。与えてしまった力は、私が責任をもって何とかする」

「おい、赤江、俺はっ!」

「いいから! 黙って帰ってくれよ! 自分でももう、よくわからないんだ!」


 俺はそれ以上、何一つ言うことができなかった。

 言い訳をすればいいのか、謝ればいいのか、怒ればいいのか、わからない。

 ただただ、その全てが間違っていると、そう思って何も言えなくなる。


「スゴロクン」


 地下の秘密基地を出る直前、赤江は一言だけ口を開いた。


「今まで、ありがとな」

 誰かの大切な人が、自分のせいで死んだ。というのは、まあ、重たい感情だよなあ、という話です。

 関係を守るための嘘はいつか、大きな綻びになってしまうのかもしれません。

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