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二十九 刹那と命の重み

 目線の先で羽ばたく怪物が、上下左右に目まぐるしく移動する。

 ちらりと振り返ったかと思えば空中で方向転換や、急停止、加速と緩急も自在だ。


 一方の俺は一度跳ねてしまうと減速が出来ない。

 フロッグタンを使えば軌道の修正はできるがどうしても動きに無駄ができる。

 視線は常に前に向け、相手の背中を追い続けなければならないので、足場の確認もしづらい。

 車を追いかけるのとは勝手が違う。

 距離が縮まらない。

 飛んでる相手を追うのがこんなに難しいとは思ってなかった。


 唯一の救いは、怪物の飛行速度がそこまで速くないことだろう。

 羽根の形が虫に似ているからなのかもしれない。

 自由自在な軌道では飛び回れても、鳥や飛行機のように直線で出せる速度には限界があるようだ。


 つかず離れずの距離を変えることが出来ず、俺と化け物の鬼ごっこは続く。

 駄目元でフロッグタンを撃ち出してみたが、避けられた。

 怪物が振り返って忌々し気に叫ぶ。


「しつこいな! いつまで追ってくるつもりだ!」

「お前こそ往生際が悪いぞ。いつまで逃げるつもりだよ!」


 焦っているのは向こうも同じらしい。

 俺の頭上を飛んでいた怪物が高度を下げ、狭い路地へと入り込んでいった。

 人が両手を広げるのがやっとの壁の間を、三角跳びの要領で跳ねて進む。

 頭も体も休ませる暇はない。


 そこで俺は気づく。


 まずい。

 この先は、確か人通りの多い繁華街に繋がってる。


「おい! そっちにいくんじゃねえ!」

「人がたくさんいるからか? それが僕のねらいだよ!」


 ブゥンと怪物の羽ばたく音が強くなり、その体が急降下した。

 地面に足がつくかどうかといった高さだ。


 なんだ? 何を考えてる?

 わざわざあの高さで人混みに突っ込めば、誰かしらにぶつかりかねない。


 そうなれば速度も落ちる。なんで、アイツは――


「そういうことかよ!」


 ねらいは通りにいる人間だ。

 そこかしこにいる人間の中から誰かしらを人質にでもとるつもりなのだろう。

 このままじゃ、誰かを巻き込んでしまう!


 俺は強引に跳ねる速度を上げ、怪物に追いすがったが一足遅かった。

 怪物は羽ばたきながら繁華街に出て、人の流れに逆らうように飛行していく。


「何あれ?」「うそ、人間? 飛んでない?」「ワイヤーとか、撮影?」


 突如として現れた空飛ぶ怪物に気づいた人々に、ざわめきが走るのが聞こえた。

 それを追う俺に気づいた人もいたようで、あの緑の奴! と叫ぶ声も聞こえる。


 完全に目立ってしまっているが、今は気にしている余裕もない。

 アイツを止めるのが最優先だ。


 そう考えた矢先のことだった。


「いやあっ! 離して!」

「うそっ! 加音! ちょ、待って!」


 怪物の体が一瞬停止し、すぐに上空へと舞い上がっていった。

 その両手に抱えられているのは、小学校高学年くらいの女の子。


 確かに今、目につく人々の中では一番小柄で、掴んで飛ぶのが最も楽な存在だろう。


 そして。


 その女の子と一緒に歩いていたであろう人物。

 悲鳴をあげて怪物を見上げるその人を見て、心臓が凍り付く。

 人の好さそうな丸顔、小柄な体躯。


 最近やっと名前を覚えた相手。


 中野さんが、泣き叫びながら、届くはずのない両手を挙げていた。


(私、妹がいてさ)


 脳裏に、先日交わした他愛のない会話が蘇る。

 あの怪物に抱えられてるのが、そうだってのか。


(可愛い妹ちゃんなの。一緒の塾に行ってるんだけど、帰りの時間とか合わせて街でブラブラしたりするんだ)


 屈託のない笑顔で語っていた彼女。

 大切な、本当に可愛くて妹なのだろう。

 それが今、目の前で危険にさらされている。

 もしもその身に何かあったら、どうなるのか。


 この人は、どれだけ悲しむことになるのか。


「その子を、離せえええええええええええええっ!」


 無意識に、叫んでいた。

 両脚にありったけの力を込め、地面を蹴り、壁を蹴り、怪物に肉薄する。


 それに対する怪物の反応は、とても静かだった。


「ああ、離すさ。お前がしつこいからな。しっかり受け止めろ」


 ぱっと、怪物が手を離し、抱えていた少女が落ちる。


 ちょっと待て。その高さから落ちたら!

 地面にぶつかれば、その子は。


 死んでしまうんじゃないのか。


 空中で目を凝らし、周囲を見渡す。

 あの子にたどり着く、最短の、最速のルートを見つけ出す。

 まずは体勢を立て直して、近くの壁、反動を活かして次は電柱。

 二回のジャンプで届く。

 ギリギリで捕まえられる。


 だが、少しの失敗も、躊躇も、許されない。


「ぐぅ、おおおおおおおおおおおおおおっ!」


 世界から音が消え、時間が永遠かと思うほどに引き延ばされる。

 恐怖に顔を引きつらせ落ちていく女の子。

 迫る壁、脚をつく、跳ねて次の電柱。

 大丈夫、大丈夫だ!


 これで、届く!


 俺は落ちる少女に接近する。

 地面まではまだ二メートルはある。

 捕まえて、体を反転させ、脚から着地すれば問題ない。

 そう思った。だが。


「しまっ……」


 俺は、女の子を空中で掴みそこなった。

 俺の指は女の子の服の袖をかすめ、そのまま離れていってしまう。

 駄目だ! 落としたら駄目だ! 諦めるな、まだ方法はあるじゃないか。


 女の子に向けてフロッグタンを撃ったのは、ほとんど無意識だった。

 彼女の胴に斜めに伸びたゴムがくっつくなり、力いっぱい引く。


 反動や、後のことなど考えなかった。


 ゴムに引っ張られ、こっちに突っ込んできた女の子の体を抱きかかえる。

 重心が乱れ、体があらぬ方向に回る。

 きれいに着地するのは無理だ。

 せめて、この子だけでも、守り抜かないと!


「ぐがっ! あいでででででで!」


 俺は女の子を抱えたまま、背中から地面に落ちた。

 慣性が働き、体が転がる。

 打ち付け、削られた肌のあちこちが裂けるのを感じたが、腕に込めた力だけは緩めなかった。


 頼むから無事であってくれと、祈る。


 やがて、目まぐるしく回っていた世界が止まった。

 引き延ばされた時間が、音が、戻ってくる。


「び、ビリジャンパーだ!」「女の子を受け止めたぞ」「やべーって! マジギリギリ! すっげえ!」


 ざわざわと周囲に人が集まってくるのを感じる。

 そりゃ、これだけ派手にやったら目立つに決まってるか。

 俺は息を吐いて、そうっと腕の力を抜いた。

 顔をかすかに持ち上げて、腕の中の女の子を見る。


「平気か? ケガはない?」

「……うん、大丈夫。でも、お兄ちゃんは?」

「俺も元気さ。君が可愛らしい女の子で助かったよ。その、すごく軽かったから」


 本当に、良かった。


 なんとか、助けることが出来たみたいだ。

 あの化け物には多分、逃げられてしまったが、仕方ない。

 この子を救えたのなら、そのくらい。

 いくらでも取り返しがつく。


「かのん!」


 女の子が俺から離れ、立ち上がったところで中野さんが駆け寄ってきた。

 既に顔はくしゃくしゃ、涙で顔が酷いことになっている。


「ほら、行って。お姉さんが心配してる」

「うん、でも、あれ?」


 俺が頭を撫でて背中を押すと、かのんと呼ばれた女の子は中野さんの方に駆け寄っていった。

 一瞬、不思議そうな顔をしたのが見えたが、まあ、変わった肌の色でも見られたからだろう。


「よかったぁ……ごめんね、、ごめんねぇ、かのん」


 無事だった妹を抱きしめて、中野さんは安堵し、何度も謝っている。

 加音ちゃんの方は状況をよく理解できていないのか、泣きじゃくる姉の頭を撫でていた。


 あべこべな状況に、少し笑ってしまいそうになる。


「本当に、ありがとうございました! その……緑の人!」


 中野さんは俺の方に向かって深々と頭を下げてくる。

 うん、鼻水は拭いた方がいいな。


「どういたしまして。今度は離しちゃだめだ。そのまましっかり抱きしめといてくれ」


 俺は笑いかけて、非常にやかましくなり始めている周りに目を向ける。

 こりゃ、長居はできないな。


「人が集まってきたから、俺は、もう行くよ」


 スマホをこっちに向けて構えだしている奴が大勢いる中、俺は上へと跳ね上がった。

 おおおっと挙がる歓声を置き去りにして、速度を上げていく。

 跡を追われたらシャレにならんからな。


 とりあえず、荷物のところに戻らなくてはいけない。

 戻って、少し、落ち着こう。



「ねえ、お姉ちゃん」

「なに? どこか痛い?」

「ううん、でもね、さっきの緑のお兄ちゃん、すっごく震えてたよ。寒かったのかな」

「…………それは」

「それは?」

「怖かったの、かもしれないね。あのお兄ちゃんも」


 妹は姉の言葉の意味を理解できず目をしばたかせる。

 姉は、中野加奈は、目元の涙を拭い、鼻水をすすって、緑の男が消えていったビルの屋上の方向を見つめるのだった。

 人助けというのは、一歩間違えれば、という恐怖と戦うことでもあると思います。

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