二十二 都市伝説になった少年
都市伝説と呼ばれるものがある。
友だちの友だちから聞いた話。
自分が体験したわけではないのだが、人々の間に噂話として広がっていく経験談。
超常現象、未確認生物、怪談、笑い話、話の種類は様々あれど、それらが語られるようになるまでには何らかのきっかけがあるものだ。
その緑の男の話は、吉野市という狭い地域の中で瞬く間に広まっていった。
ある者が語るには、その緑の男は空から降ってくるのだと言う。
ある者が語るには、その緑の男は一跳びでビルを飛び越えていくのだと言う。
ある者は、その緑の男が不良の集団を叩きのめしているところを見たと言う。
ある者は、引ったくりにあった友だちがバックを奪い返してもらったのを聞いたと言う。
ある者は、その男こそが引ったくりの犯人だと言う。
ある者は、その男が車に轢かれそうになった我が子を救ってくれたのだと言う。
ある者は、その男がおばあちゃんを背負って横断歩道を渡っていたのを見たという。
ある者は、その緑の男を不審がり。
ある者は、その緑の男を褒め称え。
街の中には今、緑の男に対する静かな期待と興味が沸き上がり始めていた。
そして、その晩。
噂話に現実味を付け加える、決定的な出来事が起こった。
無数の男たちが電信柱や、信号機、道路標識にしがみついていた。
深夜、地域住民から通報を受けてパトカーで駆け付けた二人の警察官は、目の前の光景に唖然としていた。
「おい! 降ろしてくれ!」
「これ、もう、腕が! 滑りそうなんだってえええ!」
赤く点滅するパトランプを見た男たちが口々に叫ぶ。
十人ほどだろうか。
高いところに取り残された彼らは、いかにもチンピラや暴走族、といったなりをしていて、あまり素行が良さそうには見えない。
ちゃんと地に足つけて凄んでみせれば迫力も出そうなものだが、蝉のような態勢で悲鳴をあげていては情けなさばかりが目立つ。
警察官たちは道の脇に横倒しになっている複数のバイクと男たちを交互に見比べ、
「あの、こういう場合、どこに応援を要請すればいいんでしょうか」
「とりあえず消防じゃないか? 俺だって自信ないよ」
若い方の警官が困り果てたように訊き、中年の警官が溜息を吐いた。
いそいそと無線で連絡を始める若手を横目に、間に合えばいいけどな、とつぶやいて、中年の警官は男たちのバイクへと歩み寄る。
「なんだ? キーがないぞ?」
ところどころに改造が施されたバイク、その全てからキーが抜き取られていた。
男たちをこんな状態にした犯人が持ち去ったのか。
だとしても何故?
それよりもどうすればこれだけの人数をあんな場所に放置できる? 眉間にしわを寄せた中年の警察官が、ぶつぶつと疑問を反芻していたところ、
「これは……」
道路上に転がっていた、銀色の塊を発見した。
それはバイクのキーを一つに丸めてしまったような形をしていた。
金属製のキーが、まるで紙くずでも握りつぶしたかのような形状になってしまっている。
「ただごとじゃあ、なさそうだな」
得体の知れない犯人像に戦慄を覚え、中年の警官は身震いした。
その後、応援によって駆け付けた消防隊員によって高台に残された男たちは救出された。
幸いにも彼らはしぶとく電柱や信号機にしがみつき続けており、落下したものは一人もいない。
救出後、警察からの事情聴取で彼らは皆、口をそろえてこう言ったのだという。
緑の男にやられた。と。
後の捜査で、彼らは日ごろ悪質な暴走行為で地域住民に迷惑をかけていたことが分かった。
しかし、彼らが錯乱気味に口にした緑の男の正体と手口を、警察はまだつかむことが出来なかったのだった。
ポケットの中でスマホが鳴っている。
出てみると、赤江からだった。
『どうだい、スゴロクン。そっちの首尾は?』
「どうもこうもねーよ。今日の宿題が終わらなくて、大ピンチだっての」
もう夜中だというのに、明日までの数学の課題が半分しか終わっていない。
また明日の朝も寝不足だ。
うんざりする。
超人でも十分な睡眠は必要なのだ。
『そっちじゃないよ。ヒーローとしての活動はどうかな、と聞いたんだが』
「それも似たような感じだ。引ったくりに、痴漢、喧嘩、カツアゲ、交通事故、おまけに今日は暴走族だ。毎日毎日なんでこの街ではトラブルが起こるんだ。治安が悪いっつっても限度があるだろ」
ぼやきながら、俺はペンを走らせていた数学のノートから目を離し、視線を下に向ける。
俺が今いるのは、街中のマンションの屋上だ。
施錠された屋上のふちに腰かけて、趣味の悪いコスチュームに身を包んだ男が一人、数学の問題を解くさまはさぞかし気味が悪いことだろう。
眼下の道路ではさっき懲らしめた暴走族の連中が消防隊員らしき人々に助けられていた。
コンビニの駐車場で店員に難癖をつけてたから良かれと思ってやったのだが、かえって真面目に仕事をしている人々に迷惑をかけてしまったことになる。
反省だ。
『コスチュームの調子はどうだい? ちゃんと役に立ってるか?』
「まあな。今のとこ、見たやつ全員から不評だってことに目をつぶれば、着心地はいいし、役にも立ってるよ」
体が冷えて寒いと思うこともなくなったし、ゴーグルとフードのおかげで素顔もほとんど見えない。
グローブの扱いにもだいぶ慣れてきたところだ。
街中なら問題なく移動できている。
『それなら良かった。今日はもう遅いし、帰っていいぞ。ゆっくり休め』
「宿題が終わったらな」
通話を切って、俺は荷物の持ち運び用に背負ってきたリュックサックの中に勉強道具をしまう。
帰ったら、風呂に入って、続きをやって、寝るのは一時間後くらいか?
「明日の学校、しんどそうだなあ」
ため息をついて、ビルから飛び降りる。
普通の人間なら文字通り自殺行為だが、俺には関係ない。
パシュッとグローブから伸び縮みするゴムを打ち出して、近くの建物にくっつけた。
収縮する反動を活かして、次の足場へと移動する。
この移動の仕方が楽しいことだけが、救いだった。
力をつけたスゴロクンにとって、町の不良など相手にもならないわけです。




