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一 ガリ勉男と才女な友達

 勉強している時に一番幸せなのは、ペン先がよどみなく走り続けている時間だ。


 カリカリとシャープペンの先がノートの表面を滑り、頭の中の知識を途切れることなく文字として形にしていく。

 指先と脳が直接つながっているようなこの時間は、たまらなく気持ちがいい。


 こうして集中している時間は、周りが気にならなくて助かる。

 自分が教室の中で、明らかに浮いている存在だということを忘れていられるからだ。


 俺が一心不乱に勉強している今は、授業中じゃない。

 多くの高校生が昼飯を食い、友だちとしゃべり、気楽に過ごすはずの昼休みの時間。

 そんな時、宿題でもないのに教科書を広げて、数学の問題を黙々と説き続けている人間というのは、どうしても目立ってしまうものだ。


 もちろん、悪い方に。


 直接目が合ったわけではないが、周りの連中が俺に疎ましげな視線を送っているのはわかっている。

 空気読めよ、とか、何必死になってんの、とかそういう類の感情が俺の背にのしかかっている気がする。


 いや、なぜ俺が窮屈な思いをせねばならんのだ。

 高校生が学校で勉強していて後ろめたさを感じるなんて、それこそ間違っている。

 そう自分に言い聞かせて、目の前の問題に集中する努力をする。


 それが俺、双葉六平の高校生活の日常だった。

 高校に入学してもう一か月たつが、クラスで友だちと呼べる人間はできていない。

 そりゃそうだ。休み時間になるたび、しゃべりもせずに勉強している奴と仲良くなる方法なんて、俺もわからない。


 しかし、俺に話しかけてくる人間が全くいないかといえば、そんなことはない。

 定期的に声をかけられもするのだ。

 例えば、どんな時かというと。


「あのさあ、双葉君」

「…………何スか?」


 スススっと自分ににじり寄ってくる気配を感じて、顔を上げた。

 クラスメイトの女子が苦笑いのような表情で俺を見下ろしている。

 この女子の名前は、とっさに思い出せなかった。

 しかし、これまでに何度か話したことがあるのは間違いない。


「ごめん! 古文のノート、貸してくれない? 私、今日、当てられちゃう日なんだ!」


 ぱちん、と手を合わせ、目を閉じて俺に頭を下げてくる女子。

 そう、俺はクラスメイトにこういう形で話しかけられることがとても多い。

 予習をしっかりしなきゃいけない授業の前、ごっそりと出た宿題の提出日なんかは、特に多い。


「いいっすよ」


 俺は二つ返事で机の横に下げている鞄から古文のノートをとり出し、その女子に手渡す。

 余計なことは言わない。

 さっさと離れていってほしいからだ。


「ありがとー!」


 うわー、ちょーみやすーい、とかなんとか言いながら、その女子は自分の友だちがいる教室の一角へ戻っていった。


 どーいたしまして、という俺のつぶやきは、届かなかっただろう。


 ノートを貸すぐらいどうってことはない。

 ちゃんと返してくれれば、それでいい。


 さあ、問題の続きだ。と、ノートに目を落とした時だった。


「いやあー、ほんと助かった! 昨日、忙しくってさあ」

「うーわ、サボリぃ? つーかさ、アンタよく話しかけたねえ」


 聞こえてしまった女子たちの声。

 あー駄目だ駄目だ、聞くな聞くなと思っても、耳は塞げないのだ。

 さっきまで滑らかに走っていたペン先が止まり、眉間にしわが寄る。


「サボリじゃないしー、忘れてただけだしー。てか、これ見てみなって。すっごくわかりやすいんだから」

「何? ……うわ、どんだけ先までやってんだっつうの。ウケるんだけど」

「字も読みやすいし、色分けとかやばくない? アンタも困ったら借りてみなって」

「いや、あたしはいいよ。なんか、双葉、暗いし」

「あー、それ、わかるー。超ガリ勉だよねー」


 ノートを貸した女子と、その友だちの女子の会話に、もう一人加わった。

 なんでそこから加わるの? ほっといてくれよ。


「休み時間とかずーっと勉強しててさあ。なんか怖くない?」

「あの必死な感じはちょっと引くよねえ。あたしらまだ高一だよー?」


 からかいと悪口の境界線ギリギリを攻めだした女子たちの声のトーンがぐっとしぼられる。

 だけど残念。まだ聞こえている。


 そして都合の悪いことに、目の前の問題を解く手が完全に止まってしまった。

 自然と意識が手から耳へと移っていってしまう。


「しかもさ、双葉ってあんだけやっても成績大したことないらしいよ」

「学年で十位くらいだったって聞いたよ。思ったほどだよねえ」


 自分では十位でも大金星だったつもりなのだが。

 最近の女子高生の評価は、進路指導の先生よりも辛口だ。


「まあ、あれだねえ。才能ってやつ。あるよねえ」

「わかるわあ。ほら、ぶっちぎり一位の人。隣のクラスの赤江さんだっけ? 余裕ある感じするもん」

「いやいやいや、双葉君頑張ってるじゃん! 比べたら悪いって!」

「まあねえ、天才と比べちゃ可哀そうよ」


 最初にノートを貸した女子がやんわりとフォローしてくれた。

 だが、正直、君の発言が一番攻撃力ありました。


 ぱきり、と、手元のシャーペンの芯が折れる。

 知らず知らず、力が入ってしまったようだ。


 ダメだこりゃ。

 とてもよろしくない。

 問題もわからなくなったし、気も散っている。


 場所を変えよう。

 下の階の図書館ならもう少し静かだろうし。

 移動の手間はかかるが、仕方ない。


 俺はできるだけ自然を装いつつ、机の上を片付け、勉強道具を小脇に挟んで教室を出た。

 あの女子たちが、俺の内心に変な察しを入れてくれないことを切に願う。


 ため息をついて、数歩廊下を進んだ時だった。


「あんまり気にするなよ、スゴロクン」


 背後から聞きなれた声がした。

 女にしては少し低めの、落ち着いた声だ。


「……盗み聞きしてたのか? 学年一位の赤江さん、趣味悪いっすね」

「余裕があるとね、周りに気がいくんだよ。どうにも耳ざとくなってしまう」

「言ってろよ」


 俺を皮肉るような態度に、振り返ってぼやいてしまう。

 俺がこんな口の利き方をしてしまうのは、この学校には一人しかいない。

 唯一、友だちだと指折り数えられる相手。


 見慣れた長くて黒い髪の女は、切れ長な目を細めて腕を組み、不敵な笑みを浮かべて俺を見ていた。

 細いが弱弱しくはないしなやかな体躯から、どことなくクロヒョウとか、そんな動物を連想してしまう。

 まあ、肉食獣に例えるのは俺がこいつの内面を少しなりとも知っているからなのだが。


 赤江一姫。

 さっきの女子の会話にも出てきた学年一の才女。

 たぶん、俺の予想では学校一といっても差し支えはないと思う。

 賢さという点で、こいつよりも才能のある人間に俺はいまだかつて出会ったことはない。


 ちなみにスゴロクンというのは赤江だけが使う、俺のあだ名だ。

 双葉六平の「双」と「六」を取って、双六。

 自分で考えたその呼び名を気に入ったらしく、赤江は俺を呼ぶとき決まってスゴロクンと言う。


「教室から出たところを見ると、私と比べられたのが結構こたえたのかな?」


 赤江は肩をすくめてみせて、俺に一歩近づいてきた。

 ああ、今から、からかわれるな。と直感が働く。


「しかしまあ、私とキミを比べるのはあんまりにも可哀想だ」

「うるせえな、わかってるよ」

「キミとあの子たちを比べるくらいに、ね?」

「…………」


 くいっと赤江の口の端が上がる。

 こいつが何を言いたいのかわからん。ここは目をそらすしかない。


「どうだか。お前からすれば俺もあいつらも同じようなもんだろ」

「ちがうね」


 口をとがらせて言った俺のつぶやきを、赤江は即答で切って捨てる。


「キミには目標があり、努力している。それだけでもまるでちがうさ」

「努力……ねえ」

「才能は授かるものだが、努力は自ら臨んで実らせるものだ。そして実らせた力を、人は実力と呼ぶ。キミはこの学校の一年生で十番目の実力者だ。自信を持つといい」


 何がおかしいのか赤江はくすくすと笑って、どうだ気が楽になっただろう、と言った。


 そらみたことか。

 やっぱりからかわれてしまった。


「しかし、キミはまだ、ああやって必死に勉強するんだな。もう、十分に力はつけたのに」

「まあな。これまでコツコツやってきたんだ。ここで辞めるのももったいない」

「いい心がけだ。だけど、例の『課題』はもうクリアしてるからね。あまり根を詰めるなよ」


 赤江は音もなく俺に近づき、ポンと肩をたたく。


「おい、優しすぎて気味が悪いんだが」

「今日はこれから厳しくする予定だからね。そのぶんさ。ちなみにさっきの問題は教科書の二ページ前を振り返るとわかるぞ。頑張って」


 言いながら赤江は俺の横をするりと通り過ぎて、自分の教室に戻っていった。

 俺の返事は待つつもりもなかったようだ。

 俺は赤江に言われた通り、教科書を開いてみる。


「いや、わかんねえよ」


 賢い友達の助言の意味を、俺は大体理解できない。

 それが少し、腹立たしかった。

 私は基本的に自分より賢い人に好意を抱く傾向があるようです。

 一姫は自分が好きになりがちなキャラのテンプレートにあたります。

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