十四 ルーツ
赤江が言うところの、検査とやらはその後もしばらく続き、俺は地下室の中の得体の知れない装置に入れられたり、妙なコードのようなものをつなげられたりと、気が気ではない時間を過ごすこととなった。
確かに検査そのものは赤江の言う通りちゃんとしたものだったのか、痛みがあるようなことはほとんどなく、初めの恐怖が通り過ぎてしまえば、あとはただただよくわからないことを繰り返すことへの疲労感だけが残った。
「よし、今日はこのくらいにしておこうか」
「今日は、ってお前、まだ続きがあるのかよ」
「必要なデータは大体取れたから当分はない。まあ、また何かあったら色々調べさせてもらう」
「……面倒だなあ」
俺は深くため息をついて、赤江の実験室を見回す。
確かに室内には今日使っていない機械が、まだ山ほどあるのだ。
やっていいなら、今この場で全部叩き壊してやりたい。
「最後まで付き合ってくれたお礼と言ってはなんだがな、スゴロクン。キミに見せておきたいものがある」
「なんだそりゃ?」
人の体をなんやかんやいじくってご満悦な様子の赤江が、部屋の一角にある、これまた何の用途があるのかわからない機械の前で、ちょいちょいと手招きをしていた。
俺は溜息をついて、そちらへと歩いていく。
そこにあったのは四角い、箱形の機械だった。
箱の高さは俺の胸の高さほどで、中央に大きな円形のガラスが埋め込まれている。
形だけなら最新型の洗濯機に見えないこともない。
何の機械か正体をつかみかねている俺に対し、赤江は覗いてみろ、とばかりに中央のガラスを指でつついてみせた。
言われるがままに少しかがみこんで、中を覗く。
「なんだこりゃ? 飼育箱かなんかか?」
その箱の中は、ちょっとしたジャングルのような様相になっていた。
苔に覆われた岩肌のような場所に、無数の草が絡みつくように生えている。
中央の地面はくぼんでいて、そこには澄んだ水が張られていた。
鬱蒼とした森の中のような雰囲気があるが、円形のガラス窓からは全体が見渡せるようになっている。
こういうのを箱庭、とか言うんだったか?
「その通りだ。中に生き物がいるから、探してみろ」
「生き物って……ああ、いるな。あれ、カエルか?」
びっしりと生えた草の中に、緑色のカエルが一匹。
そんなに大きなカエルではない。アマガエルと大差ないくらいだろう。
ただ、同じ緑色でもアマガエルとは色が大きく異なっている。
とにかく、特徴的な色なのだ。
エメラルドのような透明感と、深みのある緑色。
この色、どこかで見たことがある気がする。
「そのカエルが、キミの力のもとになったんだよ」
「……っ! こいつが?」
吸い込まれるようなその色に、思わず見とれてしまっていた俺の耳元で赤江が言う。
そうだ。
この色は、俺の、変身した時の色にとてもよく似ている。
「そいつの名前は、ビリジアン・パーフェクトスキル・ヤドクガエルという。このカエルが父さんの研究に大きな進歩をもたらしたんだ」
「こんな、小さなカエルがか? いや、確かにきれいな色してるとは思うけどよ」
「このカエルが生まれるまで、父さんの研究は随分長い間、足踏みをしてしまっていたんだよ」
赤江は円形のガラスのふちを指でなぞりながら、何かを懐かしむように話す。
「父さんの研究はまず、生き物の遺伝子を放射線で組み替えるところから始まった。より強く、生命力にあふれ、どんな環境にも適応できるような種を作ることが目的だ。理論の詳しい説明はいるかい?」
「いらない。聞いてもわからん」
「なら省こう。最初はアメーバやバクテリアのような単純な生物を強化し、次に蟻や蚊のような小さな昆虫、段階的に実験を進め、最終的には人間へとたどり着く予定だったわけなんだが」
「どっかで、つまずいちまったのか?」
「そうだ。小型の昆虫までは順調に進んでいったのだが、その次の段階、両生類や爬虫類といった生き物を強化するところで実験が上手くいかなくなった。どの生き物も、直接放射線を浴びせて強化させようとすると、体の細胞のどこかしらに異常が生まれて、耐えられず死んでしまったんだ」
「ガン、みたいなもんだよな。それで、どうやってそこから先に進んだんだ?」
「父さんは長いこと試行錯誤したが、放射線を浴びせる方法では難しいことを悟った。もし奇跡的に両生類で上手くいったとしても、それ以上に分化した細胞の種類と数を持つ哺乳類、つまり人間では不可能だと判断したわけさ。そこで、目を付けたのが、カエルだった」
「……? よくわかんねえな。両生類は無理だって判断したんだろ」
「直接放射能を浴びせる場合はな。だから、他の方法をとることにしたんだ。カエルの仲間には、猛毒を持っているものがいるのは知っているか?」
「まあな。なんかめちゃくちゃ派手な色してるやつだろ?」
「ヤドクガエルと言ってな、このカエルの仲間にはある興味深い性質がある」
「もしかして、放射線に強かったりするのか?」
「いや、そうじゃないよ。このカエルの仲間はな、毒素を作る時、自分が食べた蟻などの成分を取り込んで肌から分泌させるんだ。本来なら有毒なはずのものを、体に取り込み、利用する。この性質に父さんは着目した」
なんとなくわかったぞ。
実験で上手くいっていたのは蟻のような昆虫まで。
つまり。
「そのヤドクガエルってのに、強化させた蟻を食わせてみたんだな」
「正解だ。ケージの中のヤドクガエルにひたすら放射線を浴びせた蟻を食べさせ続け、交配を繰り返した結果、ついに放射線を浴びせた場合にかなり近い性質を持った個体が現れた。それがこの、長い名前のカエルだ」
「ビリジアンパー何とかだよな。へぇぇ、すごいやつなんだなあ。このカエル」
俺は改めて、目の前のカエルを見つめる。
カエルの方は俺に見られていることなど気にも留めていないのだろう。
草葉の陰で、のんきな顔をして動こうともしない。
「そこから先は、早かった。カエルの体に、強化された蟻の毒素が馴染んでいくメカニズムを分析し、それと同様の変化をほかの生物でも発生させることが出来る薬が生成されたんだ。キミに使用したあの薬は、その完成品。人体に使用できるレベルまで精錬された代物だ」
「なるほどなあ。カエルがもとになって出来た薬か。どうりで肌も緑色になるし、すっげえ跳ねられるようになったわけね」
「いや、それは、多分関係ない、と思うぞ?」
「はあ?」
思わず赤江の方を向くと、露骨に目を泳がせていた。
なんだその不穏な態度。
「父さんが作ったのは人体の強化薬だったわけで、カエルの力を手に入れる薬じゃない。キミの体に現れた変化というのは、なんというか、その……」
「お前もよくわからないってことか」
俺はじーっと赤江の方を見つめ続ける。
赤江はじっとりとした俺の視線に耐え切れなくなったのか、
「し、仕方ないだろう! これだけの薬だ! 不測の事態くらいある!」
開き直ったように叫んだ。
いや、仕方なくはないだろう。人の体で実験しておいて。
「そのための検査でもあったんだ。実験に付き合わせた以上、私も最後まで責任取るから! 頑張るから!」
「そういう言い方されると、俺、死んじまうみたいだな」
「お願いだから前向きに考えてくれ……」
もう薬は使ってしまったわけだから、後戻りはできない。
これから先、俺はもらった力と上手いこと付き合っていかなくちゃいけないことになる。
昨日までの毎日からは想像もつかないほど、とんでもないことに巻き込まれたみたいだ。
「だけどさ、いくらなんでもカエルにこの飼育箱は大げさじゃないか」
俺はコンコンと、拳で目の前のガラスを小突く。
こんな物々しい箱に閉じ込めるなんて、他所の星からやってきたエイリアンでもあるまいし。
「馬鹿なことを言うな。そのカエルは、強化されていると言っただろう」
俺の申し出に、赤江はとんでもないとばかりに首をすくめる。
「おそらく普通の水槽のガラスなんか、体当たりでカチ割ってくるぞ。こいつが野に放たれれば、蛇も尻尾を巻いて逃げ出すさ。一晩でその辺一帯の生態系の頂点に立つだろうな」
「……マジでか」
俺は恐る恐るケージの中のカエルを見つめる。
深淵な緑色をした、異能の力を持つカエル。
そのとてつもない力が俺にも宿ったと赤江は言うのだ。
それはもしかしたら、とても危険なことなのではないだろうか。
黙り込んだ俺を見て、赤江は何を思ったのか、その手を肩に置いてきた。
「大丈夫だ。どんな力を得たとしても、キミはそれを悪用するような奴じゃない。私も、父さんも、キミが信頼できる奴だから、この力を託そうと思ったんだ」
「そんなこと言われても、自分じゃ……よくわからねえ」
「今日だってキミは、力を得ても誰も傷つけなかっただろう? そういうことさ」
ぽんぽん、と俺の肩を叩いて赤江が笑う。
なんとなく丸め込まれた気がしないでもない。
「まあ、車は壊しましたけどね」
そして少し離れた所で島野さんが呟いたことで台無しになった。
あの人は間違いなく、俺のことが嫌いなんだな。
もう、疑いようがねえわ、これ。
釈然としない気分ではあったものの、遅い時間だったこともあって、その日はそれでお開きになった。
俺はカエルの力を使って文字通り家まで跳んで帰り、風呂にも入らずベッドに倒れこんだ。
精神的にも、肉体的にも疲れ切っていたのだろう。
夢を見ることもなく、俺の意識はそのまま闇の中へと沈んでいった。
ごちゃごちゃ説明しましたが、スゴロクンはすごいカエルのエキスを取り込んでパワーアップしたということです。