十三 真実は地下にて明かされる
地下へと続く階段は、想像よりも明るかった。
幅は人一人がギリギリ通れるかといったところで、傾斜も急だったが、壁は白塗りで、照明も一定間隔に設置してある。
しっかりと整備されているところを見ると、どうやら下にあるのは洞穴のような所ではなさそうだ。
その階段を黒服二人、赤江、俺の順に降りていく。
時間にしたら一分もなかっただろう。
階段が終わり、俺たちは開けた場所にたどり着いた。
俺たちの到着に反応するように、ゴウン、と低い駆動音がして目の前に明かりが灯っていく。
「……すげえ」
徐々に見えてきた光景に、俺は思わず息をのんだ。
広さは大体、学校の教室の二倍、いや三倍はあるかもしれない。
壁は階段と同じで一面白塗りだ。
天井は高く、圧迫感もない。設置された照明の数も多く、少し眩しいくらい。
奥行きのある室内には、ところせましと機械が設置されていて、物々しい雰囲気を醸し出していた。
机、椅子、棚、パソコン、あとは人が一人寝そべることができそうな診察台らしきものもある。
その他がなんに使う機械なのかは俺にはわからないが、ハリボテのようなチープさもない。
きっとどれも何か重大な仕事をするための機械なんだろうなあ、と感じた。
「どうだい? なかなかどうして、土の下にしちゃあ立派だろう?」
赤江の問いに俺は無言で頷いた。
洞窟なんてとんでもない。地下だということを差し引いたとしても、ラボとか研究室とか、そんな言葉がしっくりくる場所だ。
友だちの家の下にこんなものがあるとは普通、思わない。
「上にある家は、ただの飾りみたいなものでね。廃品回収なんてこともしていない。キミも誰かが働いているところなんて見たことがなかっただろう?」
「まあ、確かに」
「五年も通って、そこを疑問に思わなかったことに私は驚愕しますけどね」
またぼそりと、島野さんが毒を吐いた。
俺が視線を向けると、素知らぬ顔で口を閉ざしてしまう。
なんなんだこの人。
俺と一戦交えたのは演技だったという話なんだが、根に持っているのだろうか。
……確かに信号機の上に置き去りにしたのは、印象悪かっただろけど。
「島野、黒森、私はスゴロクンと話をするから、その間に準備を頼むよ」
釈然としない俺の気持ちは無視する形で、赤江が黒服二人に指示を出す。
二人は短く返事をして、それぞれ室内の機械の方へ向かっていった。
そのまま手際よく何か作業を始めた所を見ると、慣れているのだろう。
何をしているのかは、俺にはわからない。
残った赤江はパソコンの前に置いてあった回転式の椅子に腰かける。
そして、キミもかけてくれ、と手近にあった椅子を俺に差し出した。
俺は言われるがままその椅子に腰かけ、赤江と向き合う。
「さて、どこから話したものかなぁ」
赤江は一度、椅子の背もたれにぐうっと寄りかかり、天井を仰ぐ。
形のいいあごのラインと、白いのど元が強調される仕草だ。
こんな細かい動作の一つからも、つくづく整った容姿だと思わされてしまう。
「やっぱり難しい話なのか、色々と」
「いや、察しの悪いキミに話すとなると、面倒だなあと思ってね」
「おい、俺との会話をめんどくさがんなよ。傷つくだろうが」
「半分冗談さ。まあ、いい。大体、まとまったから」
半分は本気で面倒だと思っているらしい赤江が、俺の方に目を向け、言う。
「まず質問から始めよう。キミは世界で一番足が速い人と聞いて、どんな人間を思い浮かべる?」
「陸上の世界大会で金メダルとった人」
赤江の問いに、俺は深く考えずそう答えた。
トンチンカンなことは、言っていないはずだ。
「シンプルでいいね。その通り。世の中のたいていの人は、そう答えるだろう。まあ、距離の違いはあるが、この場合は百メートル走で考えようか。スゴロクン、今、人は最速どのくらいで百メートルを走れると思う?」
「……正確には覚えてないけど、九秒台の後半くらいじゃなかったか?」
「本当にそうかい?」
「そういう扱いには、なってるよな」
才能のある人間が、血を吐くような努力をして自分を磨き続け、最高のコンディションで刻んだ記録。
それをたくさんの人に認められる形で出すこと。
それが「最速」の称号の条件だと、俺は思う。
しかし、赤江は俺の意見を正解だと言うことはなかった。
頭を振って、指摘する。
「もしもの話、少しズルをすれば、人はもっと速く走れるとは思わないか?」
「例えば?」
「薬を使って、体を強化するとかどうだろう?」
「ドーピングじゃねえか」
何を言い出すかと思えば、そんなことか。
薬物を使うっていうのはスポーツの世界では何よりの禁忌だろうに。
どれだけ努力をしても、そのズルに手を染めた時点で選手として扱ってもらえなくなる。
本末転倒だ。
「スゴロクン、私の質問を思い出せ。誰がスポーツ選手の話をしろと言ったんだ」
「ああ? だって百メートル走の話をし出したのはお前だろうよ」
「違う。よく考えろ。キミはどうだ? 今のキミは、双葉六平は陸上のトップ選手に勝てないか?」
一言一言を俺に言って聞かせるように、赤江は問う。
俺のこと。
俺、双葉六平は今、どれだけの速さで走れるか。
それは何故か。
何が原因でそうなったのか。それを突き付けようとしている。
そうだ。
確かに俺は速くなった。
俺が知ってるどんな人間よりも足が速くなった。
だけど、変化があったのはそれだけじゃなかったはずだ。
「倫理観に目をつぶり、才能があって努力もしている人間がいたとして、その人間を科学の力で強化してやれば、どれほどの高みに達するのか。そう思ったことはないか、スゴロクン」
「ないな。俺はただ、体を鍛えてきただけで……」
人並み以上になるために、俺は色んなことをやってきた。
だけどそれは、人様から後ろ指差されるようなものではなかったはずだ。
一般的な努力の範疇でやってきた。
それも今日まで、になっちまうんだよな。
俺は、赤江が言わんとしていることをようやく理解する。
「俺に使ったあの薬が、そうだったってことかよ」
人が人として真っ当に成長するのではない。
人ではない何かに変えてしまう薬。
例えば、一っ跳びで十メートル近く垂直にジャンプし、弾丸を目で見て避け、車のドアを素手で引っぺがす。
加えて肌は緑色になるおまけつき。
そんな薬が、なぜ存在するのか。
目の前にいる赤江一姫は、なぜそんなものを持っていたのか。
それを今から、話そうとしているのか。
こいつは。
「私の父、赤江研蔵は、人間の肉体がどこまで強くなれるのかということを研究している科学者だった」
………………?
は?
「いや、待て待て。お前の父ちゃん、赤江先生は小学校の教員だっただろうが!」
「それはあくまでも、表向きの姿だよ。研究の一環として、そう振舞っていたんだ。小学校の先生が天才的な科学者になるのは難しいだろうが、天才的な科学者が小学生に教鞭を振るうのは不可能じゃない。そういうことだ」
「つまり、赤江先生は、本当の先生じゃなかったってことか?」
「いや、免許は持っていたし、完全に偽物だったわけじゃない。ただ、それが本職ではなかった。私の父さんは、目的があってこの街で小学校の先生となることを選んだんだ」
「目的? 何の?」
「父さんは、どんな人間を育てるかということを重視していた。人間の肉体をどうやって強化するのかを模索していくのと同時に、その力を与えるのに相応しい人間を探していたんだよ」
「それで、わざわざ子どもが集まる学校の先生になったってのか」
「そうだな。父さんは自分が、この子なら、と思える実感が欲しかったんだ。数値ではなく、実際に自分の目で人を見て、判断しようとした。そのためにわざわざ身分を隠し教員に成りすましていた」
「……なんていうか、その」
「酔狂な人だったんだよ。キミの話を聞く限り、教師としてもよく働いていたんだろうけどね」
赤江は亡き父を懐かしむように、深く息を吐いて、目を細める。
俺はというと、ちょっと想像が追い付いていなかった。
赤江先生は確かにすごい人だったとは思う。
間違いなく尊敬できる人だった。
だがそれはあくまで「学校の先生として」なわけで、より強い人間を育てる研究をしていました。などと言われても、ピンとこない。
赤江の説明だけだったなら、信じなかったはずだ。
しかし、今の自分の体のことを考えると、それを嘘だと否定することが出来なくなる。
「ただお前も知っている通り、父さんは死んだ。研究の成果を見届けることなく、あの事故に遭ったんだ」
「……そうか」
また、脳裏に先生との最後の会話がよぎる。
最後の必死な表情が、目に焼き付いている。
子どものために自ら命を投げ出したあの姿に、研究のためとか、実験の一環とか、そういう言葉は相応しくない気がする。
「まあ、そこは一度置いておくとしよう。思い出して、気持ちのいい話でもないしな」
努めて明るい声で、ここからが大事、と前置きをし、赤江は話題を強引に切り替えた。
俺もこれ以上、必要のない感傷に浸るつもりはないので、それに乗っかることにする。
「そして、だ。亡き父に代わって、私がその研究を引き継いだ」
「はあ?」
引き継いだって、その、人間の体を強化する云々の研究をか?
そんな馬鹿な話があってたまるか。
先生が死んだのは五年前だ。
その当時の赤江の歳といったら、だって。
「大っぴらにはしてこなかったが、私はキミが思っている以上に頭良いからな。世間的に言えば超天才少女と言っても過言ではない」
「そんな、漫画みてえな……」
「ああ、そのイメージは近いな。ほら、少年漫画とかによくいるだろう。小学生のくせに海外の大学を卒業してたりとか、白衣を着てすごい発明をしてたりとか。あのくらいのレベルだと思ってくれて構わないぞ」
「…………マジかよ」
確かに頭のいいやつだとは思っていたけれど、そこまでだとは思っていなかった。
しかし言われてみれば、ガキの頃から俺を叱る時には大人よりよっぽどまともなことをのたまっていたわけだし、達観したようなところがあったのも事実だ。
偉そうな態度も、その影響だと考えれば、不思議ではなかった。
……のか?
「でも、いくらなんでも十歳でそんな研究できるもんなのかよ」
「うん。当時はできなかったね」
「できなかったのかよ!」
俺の疑問に赤江はあっけらかんと答えた。
俺の鋭い抗議の声も気にせず、けらけらと笑って続ける。
「そりゃそうだろ。父さんだってすごい科学者だったんだ。それが十年近くかけて進めてきた研究を、おいそれと引き継げるわけがない。まあ、ぶっちゃけると理論そのものは父さんがほとんど完成させていたから、私はこの五年で、その最終調整をやって、実験の準備を進めてきたのさ」
「実験の準備?」
「ああ。とても大切な準備さ。私の主な仕事は、父さんが選んだ人間を、実験の試薬が使える状態にまで成長させること。なかなかに強力な薬だからな。普通の人に使用して、はい完成とはいかない。ある一定のラインを超えた、強靭な肉体が求められたんだ」
「おい、それって、つまり」
「ああ、ようやく察してくれたな。そういうことだ」
赤江は俺の顔を見つめて、悪戯っぽく笑い、右の人差し指で俺の胸をつつく。
「父さんが選んだ人間は、キミだよ。スゴロクン」
赤江に突かれた胸が、ドクンと強く脈打つ。
期待と、希望がこもった熱い鼓動だ。
俺が、選ばれた。
先生が受け持っていたたくさんの子どもたちの中から、俺を選んだ。
誰よりも迷惑をかけて、誰よりも才能がなかった俺を、だ。
喜ぶなという方が無理だろう。
言葉が出なくなった俺に対して、赤江は微笑みかける。
「父さんがキミに宛てて書いた手紙を私も読ませてもらったよ。そして、想像した。キミがどういう人間なのか。どうしてキミを選んだのか。そんなことをな」
「実際に会ってみた感想は?」
「誰よりも恵まれていなくて、誰よりも諦めの悪いやつなのかなと思った。私はキミに初めて会った時に、父さんの見る目のなさに驚いたものだったんだが」
確かに、その当時はそうだっただろう。
赤江に会わなければ、俺はそのまま人として腐っていったはずだ。
「しかし、最近はそうでもなくなった。確かに父さんの目に狂いはなかったらしい」
「お?」
「まあ、その、なんだ。私の指導にも最後までついてきたわけだし? 今日もなんだかんだビビりながら、助けに来てもくれた。結果論として、キミは見どころのある奴だったというだけの話だ」
…………こいつ、あれだな。
「お前、人褒めるのへったくそだな」
「ぅうるさい! 調子に乗るな!」
慣れないことをして調子が狂ったのか、赤江は不機嫌そうに俺を睨み付けてくる。
この辺がこいつと、赤江先生の大きな違いだと思う。
やっぱり生きてきた年月ってのは大切だ。
俺も大人になった時、赤江先生のように誰かを褒めてやれるのかな、と思う。
そうなりたいなとも、だ。
「それで、だ。キミは今日、無事に投薬を終え、力も覚醒させた。ここまではいいな?」
ゴホンとわざとらしく咳払いをして、赤江が仕切りなおすように言う。
まあ、色々突拍子もない話ではあったが、論より証拠だ。
肌の色が変わって、ぴょんぴょこ跳ねられる体になった以上、そんなことはあり得ないと意固地にもなれないだろう。
簡単にまとめれば、赤江親子は俺が思っていた以上に凄い人たちだった。
そういうものとして理解しておくしかない。
しかし、そうなってくると、だ。
「これで、先生とお前の研究も完成ってことでいいのか?」
俺の体はもう、ただの人間とは呼べないくらいまで強くなってしまった。
俺に打ち込んだあの薬とやらの効果は証明されたわけだ。
話を聞く限り、目的は達成されたように思うのだが。
「まさか! これで終わりなわけがないだろう」
俺の予想に反して、赤江は大げさなまでのリアクションで否定してきた。
なんだろうか、このわざとらしい感じ。
なんとなく、嫌な予感がする。
「確かにキミは強くなったが、どこが、どのくらい、どんな仕組みで強くなったのかはまるで未知だからな! 私にはそれを解明していくという課題が残っている」
「つまり?」
「これからはキミの体を隅々まで調べさせてもらおうかと思っている」
「………………」
「おいおいおい、どうしたんだ、肌の色がまた緑色になっているぞ。大丈夫だ。死ぬようなことはしないから。怖がらなくていいぞ! ほら、私たちは友だちだろう」
「言いながらにじり寄ってくるんじゃねえ! お前が友だちとかいうと胡散臭いんだよ!」
拒否する俺の目の前で、赤江は机から注射器とゴムバンドのようなものを取り出した。
その注射器には中身が入っていない。
赤江はゴムバンドを手で伸ばしたり縮めたりしながら俺に近づいてくる。
ゴロゴロ―と回転式の椅子を滑らせて接近してくるその様は、サイコな雰囲気すら感じる。
「おい、お前その注射器で何するつもりなんだよコラ」
「ただの採血だよ。ちょっと血をいただくだけだからさ。健康診断に来たとでも思って、な?」
「いやいやいや! お前、そういうのって看護師さん以外がやっちゃダメなんじゃないの? 信用していいのかよ! オイ!」
「大丈夫大丈夫。ネズミとかでならやったことあるからさ」
「おい、人はどうした! 当然人間でもあるんだよな!」
「我慢しなさい。男の子でしょう」
いつの間にか島野さんに後ろに回り込まれていた。
島野さんは俺の肩と右手を押さえつけ、赤江に渡されたゴムバンドを手際よく巻き付けてくる。
おい、マジかこいつら。
これ、本気で抵抗してもいいんじゃないか!
「ちなみにスゴロクン、逃げたらもうキミとは金輪際口きかないからな」
「ずるくないか、それ!」
「それじゃ、消毒してっと。うん、血管もいい感じに浮いてきたな。ちょっとチクッとするからなー」
「聞けよ!」
その日、俺は生まれて初めて採血なるものを経験したわけだが。
血管に針が刺さったままの数十秒間、生きた心地がしなかった、とだけ言っておく。
スパイダーマンみたいに一般人みたいな生活を送っているヒーローって、健康診断とかどうしてるんでしょうね?
必要ないか、そんなものと思う反面、就職すると絶対やらなきゃならないんだよなあと心配にもなります。