十二 秘密基地
さっきから赤江のテンションがおかしい。高すぎる。
「ヒャッホー! 速いぞ! 高いぞ! 緑色だぞスゴロクン!」
「うるせえな、背中で騒ぐなよ。バランス崩したら危ないだろうが」
俺は黒服の二人組をやり過ごした後、すぐさま赤江を背中におぶって、その場から逃げ出した。
まだ何メートルもぴょんぴょん自分の体が跳ね上がるのには慣れないが、スピードを出しすぎなければ何とかなる。
もう夜中とはいえ、誰にも見つからないという可能性はゼロではないのだが。
「なあ! 風が気持ちいいな!」
「わかったから! 落ちるから捕まっとけって!」
黒服から逃げ出してからずっと、赤江はこの調子だ。
昔っから変なところで急にテンションを上げだす奴ではあったのだが、人の背中で動き回るのはやめて欲しい。
一応、女子なんだから。
おんぶの姿勢でそういうことをされると、感触が艶めかしいのだ。
「ほら、もう着くぞ。つうかホントにお前ん家に帰ってきて良かったのかよ?」
「ああ、その辺は心配ない。落ち着ける場所で話をしよう」
とりあえず逃げ出した俺に、赤江は家まで戻るよう指示を出した。
追手に場所を特定されている以上、頭の悪い俺でもそれは愚策だと感じたのだが、赤江は問題ないという。
それが、今の俺なら連中が何度来ても追い返せる、ということなら勘弁してほしい。
いくら化け物みたいな身体能力になっても、銃を持った殺し屋が何人もやってきたら、正直勝てないと思う。
「んんー、久しぶりにはしゃいでしまったな。楽しかったぞ、スゴロクン」
無事に赤江宅の事務所まで戻ってくることができた。
俺の背中から降りた赤江は、その場で大きく伸びをする。
ほんの数分前まで誘拐されかけていた奴とは思えないほどの奔放さだ。
そう、ほんの数分前まで、だ。
当然といえば当然だが、赤江宅の事務所のドアの窓は割れたままだった。
拳銃の弾丸で撃ち抜かれたガラスは無残に砕け散り、地面に散らばっている。
月明かりを浴びてきらめく破片を見つめながら、よく生きていたものだと感慨に浸ってしまった。
「おい、スゴロクン、それ」
「うん? どうしたよ」
「肌の色だよ、あと顔も。もとに戻ってるぞ」
「お? おお、良かった。戻ってくれるんだな、これ。どっかおかしいところないか?」
腕に目をやると、緑色ではない見慣れた肌の色が戻ってきていた。
ペタペタと顔も触ってみるが、色の変化は自分ではわからない。
手触りはいつも通りだと思うのだが。
「なあ、スゴロクン、その……すぐ緑色には戻れるのか?」
少し不安そうな表情で赤江が俺の顔を覗き込んでくる。
確かに、またあの黒服が来ないとも限らないからな。
俺が頼りない状態だと困るはずだ。
「いけると思うぞ、こんな感じでっと!」
フンっと短く息を吐いて、俺は全身に力を込める。
その力が高まっていくのと同時に、肌の表面で鳥肌が立つような、血の気が引くような寒気が走る。
これだ、これ、この感覚。
「ほれ、これで緑色になった。安心したか?」
俺はまた緑色に変わった手を赤江に見せてやる。
赤江はしげしげとその手を見つめ、
「それ、どういう感覚なんだ?」
眉根を寄せて首を傾げた。
確かに、自分の肌の色が変わる感覚なんて普通の人類は知らないだろうが。
「そんなに難しいことでもないぞ。えっとな、全身の筋肉にぎゅっと力を込める感覚、わかるか?」
「んん、こんな感じか?」
んにゅっ、と小さく声を漏らして赤江が全身を硬直させる。
目をぎゅっと閉じ、歯を食いしばって、背筋がピンと伸びている。
手首だけが反り返っているあたりに、力の込め具合が感じられた。
「そうそう、そんな感じ。全身に力を入れるとさ、もう限界だ、って感じるところがあるだろ。その限界までが、今の俺はめちゃめちゃ果てしなくなった感じだな。そんで、ある一定のラインに力を入れたあたりから、肌がむずむずして、緑色になる」
「……ふう、つまり常に気張っていないといけないわけだろう。動きにくくはないのか?」
「動き続けてるときは、あんまり気にはならなかったなあ。まあ、気を抜くと元に戻るみたいだけど」
俺も大きく息を吐いて、肩の力を抜く。
同時にじわっと肌の色が戻っていくのを確認した。
細かい調整はまだまだできないが、咄嗟に力を発揮できないようなことはなさそうだ。
「なるほど……肌の色の変化はあくまで副作用的なものであって、身体能力の向上に付随して発生したものと捉えるべきか。しかし、そうなってくると通常時の皮膚の構造がどうなっているのかという疑問が発生するな。色以外にも変化している部分があるというならそれも調べておきたいところだが……」
「もしもーし、独り言えぐいぞーさいはらー」
あごに手を当ててもにょもにょと何事か呟いている赤江。
目もすわっていて、なんだか危ない研究をしているマッドサイエンティストのような雰囲気だ。
マッドサイエンティスト、科学者、博士、ハカセ?
そうだ、あの黒服たちは赤江のことを博士と呼んでいた。
その辺の事情をまだ何も聞けていない。
赤江が突然、俺を突き放すように別れを切り出してきた理由も、先生のことも、聞きたいことは山ほどあるんだ。
「なあ、赤江、考え込んでいるとこ悪いんだが」
「ん? どうしたスゴロクン」
「そろそろ、話してくれよ。あの黒服の連中はなんでお前を連れて行こうとしてたんだ? 博士ってどういう意味だよ? あと、それと……」
「そうだな、キミからしてみれば気になってしょうがないよな。いいだろう、そろそろ頃合いだ」
「……頃合い? 何の?」
「もうじき、彼らもここに到着する」
「……っ!」
びりりっと、肌の表面を寒気が走った。
突然、耳元で大声を出された時のような、嫌な感覚。
それに続いて、耳がある音を捉える。
どこかで聞いた様な車のエンジン音と、耳障りな金属の音。これは、まさか!
顔を上げて、赤江宅の出入り口を見る。
黒塗りの車、ひしゃげたボンネットに、ドアのない運転席。
「あいつら!」
黒服の連中が、戻ってきたのだ。
体が自然と強張り、肌の色が変わっていくのを感じる。
性懲りもなく、また来やがったのか。
赤江を連れていくまで、諦めるつもりはないのだろうか。
上等だ。
そっちがその気なら、こっちだって徹底的にやってやるからな。
目を細めて姿勢を低く構える。
さっきのあの黒服の女なら、いきなり拳銃で撃ってくることもあり得る。
「まあ待て、スゴロクン。そんなに怖い顔しなくても大丈夫だ」
「はあっ? お前、何を悠長なこと言ってんだよ! 狙われてんだろうが!」
「心配してくれるのは嬉しいよ。だけど、私はもう、キミの前からいなくなったりしないからさ」
そう言って、赤江は不意に俺の頭を撫でた。
そして、呆気に取られている俺を置いて黒服たちの車へと歩み寄っていく。
「……えええー、なにそれ」
俺は撫でられた頭に手をやって、その様子を眺めるしかなかった。
一応、いつでも動き出せるよう構えてはいるが、さっきの赤江の様子からは緊張感や、敵意みたいなものがまるで感じられなかったのだ。
「おい、二人とも、降りてきてくれ。スゴロクンには手を出さないよう、言ってあるから」
まるで友だちにでも話しかけるような調子で、黒服たちの車に話しかける赤江。
やがてボロボロのセダンのエンジンが止まり、運転席と後部座席から黒服が二人降りてきた。
さっきと同じ二人組……だよな?
男の方は少し疲れたような表情をしているが、口元にはうっすらと笑みを浮かべている。
女の方は相変わらずの仏頂面で、目つきも鋭い。
車から降りた瞬間からずっと、俺の方を睨み付けてきていた。
黒服の二人はそのまま赤江を挟むように隣に並び、俺の方へと歩いてきた。はっきり言って、その様は
なんというか、認めたくはないし、嫌な予感もするのだが。
赤江とあいつら、微妙に仲良さそうじゃないか?
目の前に立った三人を前に、ごくりと唾を飲み込む俺。
そして、赤江はあっけらかんと言った。
「紹介しよう、スゴロクン。実はな、この二人は私の助手だったんだよ」
「……あ?」
開いた口が塞がらないとはこのことだった。
赤江が言っている意味を理解できず、いや、理解したくなくて、俺はこめかみに手を当て、聞き返す。
「ふむ、助手という言い方ではピンとこなかったかな? 私の保護者というか、護衛というか、そんな感じで身の回りを世話してもらっている二人だ」
「だって、おま、さっき、ゆうかい……」
あまりのことに上手く言葉が出てこない。
何度も何度も息を詰まらせる俺に対し、
「スゴロクン、狂言誘拐って知ってるかい?」
赤江はさらりと、涼しげな顔でそんなことを抜かしやがった。
「……いや、意味、分かんない」
「キミには少し難しい言葉だったかな。早い話がさっきの追いかけっこ云々はヤラセというか、キミを追い詰めるための演技だったというか。本当の誘拐ではなかったということだ」
「言葉の意味じゃねえよ! お前の行動の意味が分かんねえんだよ!」
「うるさいですよ、緑の人」
思わず怒鳴った俺に対し、赤江の横からぴしゃりと遮る声が入った。
黒服の女は俺のことを冷め切った目で見下しながら、眉根を寄せている。
「赤江博士はあなたのような凡人が、効率よく薬の効果を発揮できるようきっかけを用意してくれたのです。良かったじゃないですか。似合ってますよ、その気持ちの悪い肌の色」
黒服の女は淡々とした調子で、とげのある言葉をぶつけてくる。
口数少ない人なのかと思ったが、なかなかどうしてすらすらと険のある言葉が出てくるじゃないか。
「キミには申し訳ないと思うが、そういうことだ。この二人は、私の味方。これ以上危害を加えてくることはないから、安心していいよ」
「それで、俺が納得すると思うか、オイ」
「怒っているねえ、キミにしては珍しい」
当たり前だ。
俺がどれだけ心配して、どれだけ無理して助けに行ったと思ってやがる。
腹の底から沸々と怒りが沸き上がり、口の端がぴくぴくと痙攣しているのを感じる。
俺はこの感情を何にぶつければいい。
「気持ちはわかるが、紹介だけでもしておくよ。こっちのヒゲの男が黒森鉄太。そして無表情で容赦ない女の方が島野真澄という。二人とも、改めて紹介しておくが今、顔を引きつらせている彼が、双葉六平。私の大切な友人だ」
俺が今、名乗れる状態ではないということを察したらしい。
赤江が勝手に紹介してしまった。
「よぉ、少年。さっきはやってくれたねぇ。おかげで俺の車が廃車寸前だよ」
黒服の男の方はあっけらかんと手を挙げて、話しかけてくる。
女の方、島野とか言ったか。
そちらはわざとらしくそっぽを向いて、赤江宅に置きっぱなしになっているガラクタを眺めていた。
「スゴロクン、茶番に突き合わせたのは悪かったと思っているよ。痛い思いをさせてしまったのもわかっている。本当に、すまなかった」
俺の怒りが並々ならぬものであることを察したのだろう。赤江はしおらしく頭を下げてくる。
島野とかいう女がぼそっと、いいんじゃないですか別に、とつぶやいたのは気になったものの、俺はそれだけで若干毒気を抜かれてしまった。
我ながら単純な脳みそをしている。
「……今度、埋め合わせしろよ」
「ああ、もちろんだ。まあ、手始めに礼と言ってはなんだが、いいものを見せてやろう」
ふてくされて言った俺の言葉に赤江の表情が明るくなった。
こういう時、女はずるいと思う。
男の負の感情を有耶無耶にしてしまう妙な力が、その笑顔にあるのだ。
俺んちで父さんが母さんによくやられている。
それはさておくとして、いいもの、とは何のことだろうか。
「まあ、見てくれ。きっと驚くからさ。黒森、開けてくれ」
「了解。少年、ビビるんじゃねえぞ」
言いながら、黒森と呼ばれた男の方が赤江宅の事務所の横、積み上げられたガレキの傍へと歩いていく。
さらりと年上のはずの彼を赤江は呼び捨てにしていたが、気に留めた様子はない。
黒森はガレキの山の傍、地面に埋め込まれていた小さめのマンホールに手をかけた。
俺もそのマンホールを初めて見たわけではなかったが、水道か何かの栓だと思っていた。
黒森はそのマンホールを開けて、中に手を突っ込む。
そして、少し間があって。
ガクン、と地面が揺れた。
「……! 地震か?」
「いいや、違うね。もっと、いいものさ」
不敵に呟いた赤江の声に反応するように、地面のゆれは激しくなる。
振動で事務所の横のガレキの山が崩れ、ガラガラとやかましい音を立てた。
なんだこれ、大丈夫か、と焦る俺の目の前で、その変化は始まった。
地面が割れていく。
黒森が手を突っ込んだマンホールの部分を中心に、アスファルトが重々しい音を立てて横に開いていく。
昔、映画か何かで、こんな感じのシーンを見たことがある気がする。
古代の遺跡の出入り口とか、封鎖された地下道への入り口とか、そんなものが開く時の雰囲気だ。
アスファルトが開ききり、その変化が終わるまでに一分ほどかかっただろうか。
さっきまでただの地面だった場所に、大きな鉄製のドアが現れていた。
あまりのことに俺は赤江と、そのドアを交互に見比べてしまう。
「驚いたかどうかは、聞くまでもないようだなスゴロクン。男の子ってこういうの好きなんだろ?」
ニヤニヤと笑いながら、赤江は自宅の敷地内に突如現れたドアに手をかける。
そして、その扉を開けた。
扉の向こうにあったのは、階段だ。地下に続いているらしい、階段。
戸惑う俺に、赤江は告げる。
さあ、来い、と。俺の知りたいことが、そこにあるとでもいうかのように。
「ようこそ、私の秘密基地へ」
自分の家や部室以外に、高校生が何かの活動の拠点にできる場所って貴重だと思うのです。