王女様は限界オタク!?
ドアが閉まり、足音が遠ざかったのを確認した私は、身体の脇で拳を握る。
そして深く息を吸い、声を限りに叫ぶ。
「クロムしゃまああああ、しゅきいいいい♡」
「カ、カトリーナ様?」
普段冷静沈着な侍女のクラリスが慌てるけれど、気にしない。
「『こちらこそ、よろしくお願いいたします。可愛らしい王女様』だって。『クロムで構いませんよ』って、言質取ったどおおおお! カッコ良くて優しいなんて、素晴らしすぎますわああああ」
クッションを振り回し、長椅子に激しく叩きつけた。
「ちょっと、カトリーナ様。落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか! あの神々しい姿、クラリスも見たでしょう?」
「神々しい?」
クッションを置いた私は、顔の前で手を組んだ。上を向き、オタクの神に感謝の祈りを捧げる。
「神様、クロム様、ゲームの制作会社様、ありがとおおおお!!」
「あの、カトリーナ様。お願いですから正気に戻ってください」
「クロムしゃまあああ、大しゅきいいいいいつ!!」
「やかましい!!」
「はっ!?」
大音量で一喝されて、己を取り戻す。気づけば息が切れていて、肩で息をする。
「ハア、ハア、ハア……。防音完備の部屋で良かったわ」
「姫様、そもそも大声を出す必要などないのでは?」
「え? だって生のクロム様よ? 推しの尊いお姿を前にしたら、叫ばずにはいられないでしょう?」
当然のことを聞くなんて、おかしなクラリスね。
「いいえ、全く」
冷たい目で見られたため、おとなしく長椅子に腰かけた。
クラリスを怒らせたら後が怖いので、抱えたクッションに顔を埋める。そして、再び叫ぶ。
「クロムしゃま、やっぱりしゅてきいいいい!」
「そんなことをしても、全部聞こえていますから」
声は抑えたはずなのに、クッションを取り上げられてしまう。
「……あ」
「姫様は、そうやって私をからかっているのですね。クロム様とは、元からお知り合いなのでしょう?」
「いいえ。私の中では知り合いだけど、実際には初対面よ」
「では、あの方がいらっしゃると、ハーヴィー様から事前にお聞きになっていらしたのですね」
「いいえ、最初から言っているでしょう。彼は、ゲームに出てくる人なの」
「またそれですか。……で? その『げえむ』とやらは、姫様の妄想でないなら魔道具か何かですか?」
「違うわ。道具と言えば道具だけど、別の世界の機械よ」
ゲーム機の説明をしかけた私をじっと見て、クラリスが変な顔をした。
転生とかゲームとか、能力とか攻略対象だとか。
これだけ繰り返し説明しているのに、彼女はまだ、全てを私の空想だと思い込んでいるみたい。
「別の世界では、教師が暗殺者なのですね。それなら侍女の私は、盗賊でしょうか?」
「まさか。そんなわけないじゃない!」
「姫様、お戯れはほどほどに。明日も早いので、ゆっくりお休みください」
クラリスったら、ちっとも信じていないのね。
でもいいわ。明日からずっと生身のクロム様を拝めるもの。
翌朝、期待にあふれて目覚めた私は、推しを復習しようと頭に描く。
暗殺者のクロム様は、ゲームの展開上欠くことができない存在なのに、アップのスチル――画像がない。出番が終わると夜の闇に消えて、二度と出てこなかった。
無愛想な脇役だけど、後に発売されたファンブック『a piece of rose』には、雨の中でたたずむ彼の様子がはっきりと描かれている。
雨に打たれた捨て犬を、黒いコートの中で暖める優しい姿と、寂しそうなその横顔。
イラストに添えられた『心優しき暗殺者』の文字。
孤独な様子に心を打たれた私は、クロム様を一生推そうと決意した。
だって、彼ほど寂しい目をした人を見たことがない。ページを開くたびに気にかかり、胸の奥が締め付けられたように痛くなる。
それは私が、不憫なキャラクターほど愛しく思える『不憫萌え』だから。
漫画や小説、アニメでも、推しは大抵脇役だった。
「懸命に頑張る姿は美しい。それなのに、どうして出番が少ないの?」
ヒーローのライバルだったり、単なるモブだったり。重要な役どころだとしても、あっさり退場してしまう。
クロム様を推すもう一つの理由は、彼が私を元気にしてくれたから。
ゲームの中での彼同様、生まれ変わる直前の私も都会の中では異質な存在だった。
進学を機に上京したものの、時節柄学校にはなかなか行けず、訛りがひどくてアルバイトもほぼ不採用。
慣れない土地は暮らすだけでも精一杯で、友人の見つけ方などわからない。
田舎から出てきた私には、知り合いなどなく、挨拶を交わすことすら難しかったのだ。
学校が再開してからも友達作りは縁遠く、どうにか進級だけはし、そのまま就職活動へ。
面接のたびに落とされては、ひっそり涙を流す日々。
「全部不採用。自分はこの世に、必要ないのかも……」
どん底まで落ち込んだ私は、ゲームに逃げた。
乙女ゲームの中ではいつでも主役。
現実を忘れて遊んでいたところ、ある人の行動にふと疑問を抱く。
「なんで? どうして何も言わずに去っていくの?」
その人は凄腕の暗殺者。けれど、ヒロインの王女が攻略対象と上手くいっている場合に限って、暗殺を中止する。
クロムという名の脇役が気になった私は、じっくり観察することにした。
そうして何周目かで、ようやく気づく。
「そっか。報われなくても、一途に愛し抜くと決めたんだね!」
暗殺者はきっとヒロインの幸せを願い、自ら身を引いたのだ。
「苦しいのは、自分だけじゃない。彼も孤独を抱えながら、生きようとあがいている!」
そんなクロム様の存在が、私に勇気を与えてくれた。
「だったら私も。報われなくても一人ぼっちでも、とにかく生きてみる」
暇ならたくさんあるからと、資格の勉強を始めることにした。
勉強に力を入れつつ、当然推しも応援する。SNSで仲間を募り、クロム様の良さを熱く語り合う。
別次元のどこかで推しも頑張っていると考えれば、大抵のことには耐えられた。
現実で壁に当たっても、クロム様を見れば励まされる。
不幸な彼に比べたら、私の悩みなどちっぽけだ。
「今は認められなくてもいい。彼に恥じない自分になるため、前を向かなくちゃ」
無事に資格を習得し、希望の業種に滑り込み。全てはクロム様のおかげだ。
――まあ、内定式の帰りに事件に巻き込まれて亡くなるとは、思ってもみなかったけど……。
前世の私は、クロム様の生き様に救われた。だから今度は、私が彼を救いたい!
ゲームの彼は、全てに背を向け闇に消えていく。
そんな愛しい推しのため、私に何ができるだろう?
笑わない彼を、笑顔にできたなら。
暗殺なんて、悲しいことをさせずに済んだなら。
そしていつか、私の側で幸せを感じてもらえたら――。