最愛の推し、ご登場!!!!!
翌日、十五歳の誕生日を迎えた私は、朝からそわそわしていた。
侍女のクラリスの助けを借りて仕度を終えてからも、全身を鏡に映して確認している。
ナルシストというわけではなく、これから会うかもしれない男性に、良い印象を与えたいからだ。
「できる限りのことはしたはずよ。あとは、クロム様がいらっしゃるかどうかね」
「姫様ったら、またそれですか?」
「信じなくても結構よ。だけどもし現れたら、あまりのカッコ良さにクラリスだってびっくりするんだから」
鏡の前で一回転。柔らかな金色の髪が揺れ、薄紅色のドレスの裾が広がった。
今日のドレスは最新流行のデザインで、スカート部分は裾に向かって色が淡くなるグラデーションを採り入れており、たおやかさが演出されている。
スクエアカットの胸元は、小さな胸を白いレースが上手く隠してくれていた。
「衣装は完璧ね。お化粧は……ほとんどしていないけど、大丈夫かしら?」
鏡を覗き込んで再確認。淡い金髪に縁取られた小さな顔は陶器のように白く、瞳は大きく澄んだ紫色、唇はふっくら桜色で、頬は高まる期待のため薔薇色に染まっていた。
ゲームの展開通りなら、もうすぐ兄で王太子のハーヴィーが、客人を連れて私の部屋にやって来る。
その客人こそ想い人。
推しの平穏な生活を願いながらも、私は何年も前からこの日を待っていたような気がする。
「姫様は十分お綺麗ですよ」
クラリスが応えた直後、部屋にノックの音がした。
「カトリーナ、いいかしら?」
兄のハーヴィーだ!
母を亡くしたばかりのカトリーナを泣き止ませようと、少年の彼は自ら母親役を買って出た。
その癖が抜けずに今でもオネエ口調だけれど、ゲームの設定と同じなので、違和感はない。
「どうぞ」
部屋の扉が開き、笑顔の兄が入室する。
「ぱんぱかぱ~ん、サプラーイズ! カトリーナが喜びそうなプレゼントを用意したわよ」
波打つ長い金髪と、いたずらっぽく輝く桃色の瞳。中性的な美貌の兄は、私の自慢だ。
そう考えつつも、兄の背後に目を凝らす。
『バラミラ』のヒロイン回想シーンでは、この後兄に続いて推しが現れるから。
「さ、あれが妹のカトリーナよ」
ハーヴィーが、長身の男性を招き入れた。
「……っ!」
その瞬間、思わず息を呑む。
――クロム様! ああ、あまりの尊さに倒れてしまいそう‼
手にした帽子と黒の上下は地味なものだが、滲み出るカッコ良さを隠しきれていない。
艶のある黒髪は、眼鏡にかかった分まで麗しく、切れ長の目は赤い瞳と見事に調和し、震えがくるほど美しい。背が高く均整の取れた体躯や彫りの深い端正な顔立ちは、まるで彫刻のよう。
年の頃は二十歳を少し超えたくらいだけど、年齢よりも大人っぽく、渋くて素敵だ。
「そんな……」
クロム様を見たクラリスも、驚きに言葉を失っている。
――ほらね。私の言った通り、現実に存在しているでしょう?
「ええっと、二人ともどうしたの?」
首をかしげるハーヴィーだけど、ダメ、そのせいでクロム様に被っているじゃない。
もうちょっと右に避けてくれないと、彼の全身が見えないわ!
眼鏡をかけた推しの姿が完璧で、息を吸うことさえためらわれる。
そんな暇があるのなら、目に全神経を集中して、推しをずっと眺めていたい。
「カトリーナ?」
困ったように首に手を当てる兄。その兄に顔を向けた私は、息苦しさに気づく。
そういえば、息をとめたままだったわ。
「ぷっはあ~~~」
「なっ……どうした?」
「いえ、びっくりしてしまって……」
現れないかもしれないと覚悟していたので、喜びもひとしおだ。
でも、ダメ。ここで興奮して暴れたら、今までの苦労が水の泡。
私は頭を冷やそうと、並び立つ二人を観察する。
襟と袖に金の刺繍が入った赤い上着の兄と、その横に立つ黒い衣装のクロム様。赤と黒の対比が名画のように麗しい。
――なんて素敵なの!
「あの……」
クロム様がしゃべった! なんて深みのある低音ボイス♡
こんなに神々しい存在を世に送り出してくれた神様、本当にありがとうございます‼
叫び出さないよう、口に手を当て必死に堪えた。
涙ぐむ私を目にしたハーヴィーが、満足そうに微笑んだ。サプライズの演出が、成功したと思っているのだろう。
確かに実物の推しは画面で見るより遙かに麗しく、今まで生きてきた中で一番のサプライズだ!
そんな兄が、クロム様の肩に手をかけた。
羨ま……いえ、早く紹介してください。
「カトリーナ、誕生日おめでとう。こちらはセイボリー王国よりいらした、あなたの先生よ。明日から……」
「よろしくお願いします、先生‼」
「……カトリーナ?」
兄がキョトンと目を丸くする。
――おっといけない、フライング。興奮と喜びのあまり力いっぱい応えてしまったわ。ひとまず落ち着きましょう。
クロム様は眉をピクリとさせたものの、すぐまた元の無表情。
私の熱い視線に臆することなく、姿勢を正して一礼する。
「明日から教師として、セイボリーの歴史と言語を担当するクロム・リンデルです。こちらこそ、よろしくお願いいたします。可愛らしい王女様」
――可愛らしい? 彼は私に、可愛らしいと言ったの?
そんな言葉は記憶にないが、初顔合わせの貴重な体験を、永久保存しておきたい。
惜しいっ。どうしてこの世界には、スマホがないのかしら?
「お世話になります。クロム先生」
胸の内に渦巻く想いを押し隠し、スカートを摘まんで優雅にお辞儀。顔を上げたところで、驚く彼と目が合った。
――どうしたのかしら? 彼はなぜ、私をじっと見つめているの? まさか一目惚……。
「カトリーナ、動揺して呼び間違えているわよ。クロム先生ではなくリンデル先生、でしょう?」
ですよね~。初対面の相手を名前で呼ぶなんて、私ったら礼儀に反しているわ!
「大変失礼いたしました、リンデル先生」
愚かな王女だと思われたくなくて、ことさら淑やかに頭を下げた。
「いいえ。クロムで構いませんよ。それでは明日から、楽しみにしております」
――楽しみに、楽しみに、楽しみに、楽しみに……。
推しのセリフが、頭の中でリフレイン。生のクロム様を拝見できただけでも感激なのに、優しい言葉までかけていただけた。
だからかな? この部屋の空気は、今までで一番美味しい気がする。
他にも案内するところがあるらしく、兄は紹介を終えると、クロム様を連れて部屋を出た。