クロムの秘密 3
予想とは大きく異なる行動に、俺は心底目をむいた。
警戒しろと促すはずが、俺が王女を警戒する羽目に。身体全体で引き留める姿には、執念さえ窺える。
――教師、という偽の肩書きが気に入ったにしても、これはどういうわけだ!?
けれど、愛情に飢えた自分は、執念さえも心地いい。
――俺は、彼女の側にいていい……のか?
だが、その考えは甘かった。
王女の視察に同行した帰り道、山賊に遭遇してしまう。
その中に、組織で見たことのある人物がいた。そいつが王女の暗殺と、俺の始末を引き受けたのだと思われる。
難なく倒したものの、このまま城にいては王女に危険が及ぶと考えた。しかし街中に身を隠した俺を、なんと彼女が探しに来たのだ。
カトリーナは連行され、牢屋に入った俺に付き合うと、世迷い言まで吐いた。
そのせいで彼女は高熱を出し、倒れてしまう。
命の危機に瀕したと聞き、心配でたまらなかった。一国の王女がこんな男のために、自分を犠牲にする必要はない。それなのに、なぜ!!
王女のたっての願いで牢から釈放された俺は、いてもたってもいられずに、人目を忍んで会いに行く。
――彼女の無事を確認するため。確認したら、すぐ帰る。
すると、俺に気づいた王女がガラス戸を開けた。
『クロム様、あのね……』
ふらふらしていた彼女を、腕に抱き上げた。
そこで俺は、人生初の告白を受ける。
『あのね、私、あなたが好きなの。どれくらい好きかというと、ファンブックをすり切れるほど読み込んで…… 』
意味不明な単語があるものの、カトリーナの目は真剣だ。
『本当は、私があなたを幸せにしたかった。今からでも遅くないわ。だからどうか、私を……』
まだ熱があるせいで、こんなことを言うのだろう。それとも本気なのか?
焦燥と切望の入り交じる、こんな感情は知らない。けれどほのかな憧れは、いつしか願望に変わっていた。
――君はそこまで、この俺を……。
もしも望んでいいのなら、この先もずっと、日だまりのような彼女の近くにいたい。カトリーナの明るさに、自分は何度も救われたから。
俺は城に留まって、彼女の側で生きていくと誓った。
セイボリーの王子が、自国に向けて出立したのと同時刻。俺は、王太子のハーヴィーに呼び出されていた。
専用の執務室というだけあって、磨き抜かれた高価なマホガニー製の家具が設置されている。あらかじめ人払いをしていたらしく、部屋には俺とハーヴィーの二人だけ。
カトリーナの強い意向により、城への残留が認められていた。アルバーノの捕縛に手を貸したので、犯罪者として扱われることもない。
その俺に、今さら何を――。
「クロム・リンデル。いいえ、クロム。あなたはオレガノ帝国の前の王について、どこまで知っている?」
一瞬言葉を失った。
確かにオレガノの出身だが、貧民街で暮らしていた俺は、王の顔など知る由もない。また、かの王が亡くなってから二十年近く経っている。
「個人的には何も。基礎的な知識として、先王は武官上がりの現在の王に滅ぼされたと、学びました。先王の血を引く者は存在せず、【太陽の瞳】も消滅した、と」
「……そうね。そこまでが、広く知られているオレガノ帝国の歴史よ」
ハーヴィーが頷く。
「平民から成り上がった今の王に、王族の特徴を示す瞳の力はない。ところで【太陽の瞳】とは、どんな能力だと思う?」
「……わかりません。ですが、反乱が起こって以前の王の一族が根絶やしにされたため、瞳の力も失われたと聞いています。能力がわかっても、どうすることもできないのでは?」
「本当にそうかしら?」
柔らかい口調のハーヴィーだが、その表情には隙がない。
「おっしゃる意味が、わかりかねますが」
「そう。それなら教えてあげるわ。【太陽の瞳】の力は強大で、闇を払い真実を照らし出すそうよ」
「初めて聞きました」
「公にされていないものね。オレガノ帝国の先王は、自分の力を恐れていた。闇を払うとは、すなわち闇に対抗する唯一の手段。有事の際は先頭に立って、戦わなければならない。おとなしい性格の王には、それが耐えられなかったのでしょう。同じ苦労をさせたくなくて、わざと子を成さなかったという噂だもの」
「そう……ですか」
「……と、ここまでが金を積んだら手に入る情報よ。でも、まだ続きがあるの」
俺は無言で目を細めた。
「オレガノ帝国の先王には、隠し子がいたみたい。国王の子を宿した女性が発覚を恐れて逃亡し、どこかでひっそり産み落としたんですって。必死の捜索にも拘わらず、その女性も子供も最後まで見つからなかった。子を成さないと決めたものの、前オレガノ王はどこかで期待していたのでしょうね? 気落ちし自棄になったのか、反乱軍にあっさり滅ぼされたそうよ」
ハーヴィーが、俺の肩に片手を置く。
「クロム、この話に思うところがあるのでは?」
「いいえ、ありません」
「即答? 顔色を変えないとは、たいしたものね」
彼はいったん言葉を切ると、俺の耳に顔を寄せた。
「前オレガノ王が愛した唯一の女性は、宮廷画家よ」
ああ――。
半ば予想はしていたが、これでようやくブローチに刻まれた言葉の意味がわかった。
【わたしを探さないで】
母は恐らく、国王から逃げていたのだ。生まれた俺を、父親である彼に悟られまいとして。
「ねえ、クロム。自分でも薄々気づいているのでしょう? あなただけが煙の中を、自由に動けた。闇に取り込まれたアルバーノも、あなたには敵わない。それが真実を照らし出す【太陽の瞳】の能力だとしたら?」
ハーヴィーは、俺から目を離さない。
「……まさか。たまたまでしょう」
無難にそう答えると、彼がため息をつく。
「ま、今の時点ではそういうことにしておきましょう。話は以上よ。行っていいわ」
「失礼いたします」
「待って!」
一礼して戸口に向かった俺の背中に、再び声がかかった。
「でも、これだけは覚えておいて。たとえ亡き王の息子でも、私はお前を認めない。カトリーナは、私がこの手で幸せにする」
ドアに手をかけたまま、ゆっくり振り向いた。
射貫くようなハーヴィーの目に、普段の柔らかな光は窺えない。俺も負けじと、視線を合わせた。
「なるほど。この私に宣戦布告というわけか。お前はそこまで、あの子のことを?」
「はい」
「……しゃまああああああああ♡」
応えた声に、外から聞こえた謎の絶叫が重なった。




