表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/78

クロムの秘密 2

 ある日の庭園。

 油断した俺の指に、痛みが走った。もちろん大したことはなく、薔薇のトゲが刺さっただけ。

 なのに王女は、大騒ぎ。


『カトリーナ様、手をお離しください。痛みには慣れているので平気です』

『平気なわけ、ないじゃない!』

 

 不思議なことに、王女はトゲ抜きを持参していた。薔薇のトゲを器用に抜いて、こう口にする。


『痛みになんて慣れないで。あなたが痛いと私がつらいわ。あなたはもっと、自分を大事にするべきよ』 

『カトリーナ……様』


 思いがけなく胸が詰まり、言葉が続かない。

 俺自身を気遣う者が、この世にいるなんて!


 揺れる心を気取られないよう、さらに距離を置く。そんな時、あの絵を見つけた。


「これは――……」


 城の廊下に飾ってあった細密画は、母が遺したブローチにそっくりだ。

 細密画のタイトルは、『まだ見ぬ我が子と』。

 母の記憶はほとんどないが、色つきの瓶やテレピン油の匂いは覚えている。


 絵の中の男の子は、女性と同じ茶色い髪。

 タイトルが正確なら、これはたぶん母と俺。

 母は優しいタッチのこの絵を、俺を産む前に完成させたらしい。


 ――なんだ。俺は母親に、愛されていたのか。

 

 母の遺品の意味を、突然理解した。


 ブローチの台座の裏には【わたしを探さないで】と、オレガノ語で(きざ)まれている。だからてっきり、あれがあの絵のタイトルだと思っていたのだ。子連れで逃亡するとはのんきなものだと、考えもした。


 ――望んではいけないもの、手の届かないものを欲しがるのは、愚か者のすることだ。親を亡くした孤独な俺は、愛情なんて求めない。


 そう信じて心を閉ざした自分は、実は他の誰よりも、愛情を欲していたのかもしれない。他の男性と仲良くするカトリーナを見て嫌な気分になったのも、それが原因だろう。

 



 街へ買い物に出かけた際、王女の一行を偶然見かけた。


 カトリーナは町人の恰好(かっこう)をしていても優雅で、王子や騎士ともお似合いだった。境遇の異なる俺がどうあがこうとも、あの場所にはいられない。


 そこへ突然の雨。

 雨宿りしようと入った路地裏に、一匹の子犬がいる。通常なら無視するはずが、城で触れた子犬の温かさが(よみがえ)り、思わず拾い上げた。


 雨に打たれた哀れな姿は、行き場を失くした己のよう。気にかける者はなく、いなくなっても誰も気にしない。


 ――いや。あの王女なら、少しは気にかけてぬれるだろうか?


 暖めようとコートの中に入れたものの、あっさり逃げられてしまう。慌てて追いかけたところで、ふと我に返った。


「嫌がる子犬を無理に追う必要はない……か。俺はこんなところで、何をしているんだ?」


 王女の笑顔と温かさを知ったせいで、孤独がひときわ身に染みる。平凡な幸せや希望に満ちた未来――知らなければ、求めることもなかったものを。


 子犬のように逃げ出せば、少なくとも自尊心は保てる。だがそれは、本当に己の望みなのか?


「望み? 人を散々(ほうむ)ってきた俺が、何を今さら……」


 元の路地に戻ったところで、暴走馬車に気がついた。迫る馬車に向かっていくのは、なんと王女だ!


 カトリーナは灰色のローブを着た人物を突き飛ばし、自ら犠牲となっていた。


「あり得ない!」


 怪我がなかったから良かったものの、一歩間違えば死んでいた。心優しき王女は、自分の命と引き換えに、他人を助けようとしたのだ。

 あまりに無謀(むぼう)な行動で、理解できない!


 ちっぽけな命など(かえり)みる必要はないと、俺は学んだ。

 人はみな、いつかは死に至る。

 それが早いか遅いかの違いで、我々の仕事は少し背中を押すだけ。だから何も気にする必要はないのだ、と。


 でもそれは、大きな間違いだった。

 命の光を消すたびに、俺の神経はすり減っていく。


 ――王女を殺したくない!


 その思いはどんどん(ふく)らみ、組織からの脱退を考えるきっかけともなった。暗殺の失敗は組織に追われることを意味するが、どうせ俺に失うものなど何もない。

 

 仕事柄、他人と深く関わらないように生きてきた。その俺が、街にいた王女を責めてしまう。


『……その割には連日、ルシウス殿下やみなさまと楽しそうに過ごしていましたね』


 こんなことを言うつもりではなかった。

 だけど言葉はとまらない。


『ローズマリーの紫の薔薇と慕われる王女が、迂闊(うかつ)な行動を取るとは思いませんでした。あの時、私がどれほど……』


 ――心配し、あなたを失いたくないと焦ったか。


 浮かんだ文句に驚いて、慌てて口を閉じた。

 いつの間に、俺は――。


 揺れる心に気がつかず、王女は約束していたピクニックに俺を誘う。

 ご褒美だから仕方がないと言い訳し、その日を迎えた。


『『クロム先生、お誕生日おめでとうございま~す』』


 それはただのピクニックではなく、彼女が企画した誕生会だった。だが俺は、自分の生まれた日など、とうに忘れている。


『忘れたなら、新たに作ればいいんです。幸い今日は、9月6日。クロム様にぴったりの日でしょう?』


 全く意味がわからないが、前向きなところは彼女らしい。


 王女の笑顔を、俺はきっと忘れない。

 つぶらな瞳で俺を見る、柔らかな子犬の感触も。


『ほら、フェリーチェ。私がママで、こっちがあなたのパパですよ~』

『パッ……』


 はしゃぐ子供と王女の横で、(がら)にもなく感傷的になる。


 ――これが幸せというものか? 生まれる場所さえ違っていれば、こんな俺でも穏やかな未来を望めたのだろうか?


 手を繋いで木陰(こかげ)を歩く、カトリーナと小さな男の子。

 細密画と同じ姿に、俺は目を(みは)る。


 ――慈愛に満ちた表情が、絵にそっくりだ。母も、あんなふうに優しい目をしていたのだろうか? 

 

 形見のブローチを彼女に見せて、自らの想いを確認する。


 ――ああ、やはり。俺に王女は殺せない。傷つけたくもない!!

 

 認めてしまえば簡単だった。

 なぜあんなにも、一緒にいる時間が貴重だと思えたのか。

 なぜ彼女を見るだけで、気分が明るくなるのか。

 なぜ側にいるだけで、心が(おど)るのか。


 俺はもうとっくに溌剌(はつらつ)とした優しい王女、カトリーナに()かれていたのだ!


 だけど自分は暗殺者。

 高貴な王女の側に、いていい存在ではない。




 だからこそ、わざと明るい満月の日を選び、カトリーナの部屋を訪れた。


 真実をはっきり見せて怖がらせ、俺への未練を断ち切らせるためだ。敵の刺客(しかく)に注意するよう警告し、姿を消すはずだった。


 それなのに――。


『かま~~~ん♡』

『…………は?』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ