限界オタクがバレました
片やクロム様は慣れたもので、私の腕を真顔で引き剥がそうとする。
けれど、十年に及ぶ筋力トレーニングは伊達ではない。離しはしないと、さらにしがみつく。
「クロムしゃまあああ、しゅきいいいい♡ ここを去ると言うのなら、どこまでもおともしますわああああ!!」
クロム様以上に大事な存在はなく、彼は私の世界の全て。
ここで失うくらいなら、限界ヲタクの本性を晒すくらい、どうってことはない。
「……クロム、これはいったい何ごと?」
目を丸くしていたハーヴィーが、ようやく口を開く。
「さあ? いつも通りですが」
「そんなことないいいいい。クロム様限定なのおおおおお!!」
密着した身体を通して響く声が、カッコいい。絶対に逃すまいと、私は両足をますます踏ん張った。
「カトリーナ?」
ハーヴィーは珍しく、おろおろしている。
「やっぱりダメエエエエエ。別れるなんて無理いいいい」
「……いや。別れる前に、付き合ってもいないんだが?」
クロム様は憎たらしいほど冷静で、ため息までもが麗しい。
そこがまたス・テ・キ♡
「カトリーナ、とにかく落ち着きなさい」
「嫌あああああ。お兄様なんて大嫌い! 解雇を撤回するまで、口きかないからあああああ」
「解雇? いや、どちらかといえば、俺から申し出たことで……」
「あーあー、聞こえないいいいい」
「カトリーナが私に、大嫌い…………」
呆然と呟くハーヴィーに、構ってなんかいられない。
兄にどう思われようと、私の願いはただ一つ。
――推しを逃してなるものか!
「私とフェリーチェはどうなるのおおおおお! 行かないでえええええ」
これだけは譲れないと、必死にすがりつく。
「ゴホン」
突如、咳払いが聞こえた。
思わずそちらを見ると、兄が眉間に皺を寄せている。
「カトリーナ、お願いだから正気に戻ってちょうだい。そのためなら、なんでもするから」
「なんでも?」
即座に反応するけれど、クロム様の腰に回した腕は離さない。
「でもその前に。あなたはカトリーナ……よね?」
――失礼な。わざわざ確認するなんて、お兄様ったらどういうつもりなの?
ふと、今の状況を客観的に見て、なるほどと納得する。
ハーヴィーには熱烈なファンが多かったけど、それは前世のゲームでの話だ。
この世界の兄は、オタクや限界オタクに面識がなく、私の態度に度肝を抜かれたみたい。
まあ、そのせいで交渉が有利に運ぶから、限界オタクで良かったわ!
「もちろんよ。だけど、クロム様がいなくなれば、私、壊れてしまうかも」
「まさか。冗談、よね?」
「いいえ、本気よ。お兄様ったら、どおして信じてくれないのおおおおお」
冗談ではなく、大いに本気。
クロム様への愛は、いつだって本気だ。
「わかった、わかった。わかったから、もうやめて!!」
頭を抱えた兄を見て、私は彼の中のおとなしい妹像が、音を立てて崩れ落ちたことを知る。
さすがに可哀想なので、一旦口をつぐみましょう。
兄は首を横に振り、クロム様に向き直る。
「そういうわけだから。クロム……済まないけど、このまま城に残ってくれない?」
「承知しました」
「お兄様、やっぱり好きいいいい」
――いや、もう叫ばなくていいのか。
限界ヲタクはバレちゃったけど、なんとかここまでこぎつけた。あとはクロム様と仲良くなって、あわよくば恋人に……。
考え込んでいたところ、兄とクロム様の視線が突き刺さる。
私は背筋を伸ばして膝を折り、何ごともなかったかのように、優雅に微笑んだ。
クロム様はその後、兄によって編成された諜報部隊の指導をすることになった。
前職を活かすにはぴったりな仕事だし、時々は騎士の訓練にも付き合ってあげていると聞く。
「くそっ、これでどうだ!」
「まだまだ。速さだけで、動きに切れがありません」
「生意気なっ」
強すぎて相手がいないと恐れられたタールも、彼とはいい勝負。今のところクロム様の勝ち越しで、タールは悔しがっているそうだ。
私は今日もクラリスと一緒に、訓練場を見学している。
春先とはいえまだ寒く、ベロア生地の濃いピンクのドレスにクリーム色の薄手のコートで、ちょうどいい。
クラリスは温かそうな青いジャンパースカートの上に、水色のコートを羽織っていた。
二人はなかなか勝負がつかず、時間だけが過ぎていく。
それなら芝地にブランケットを広げて、持ってきたお昼を並べておこうかな?
皮目をパリッと焼いたチキンに、いろんな具材のオープンサンド。タルトやキッシュ、色鮮やかなサラダもあるし、湯気まで美味しい空豆のスープはシェフの自信作。
用意を終えた私は、剣を下ろした二人に呼びかける。
「そろそろ休憩しませんか?」
クロム様は、汗を拭う姿さえもカッコよく、つい見惚れてしまう。
一方タールは、なぜか拗ねているようだ。
「ター坊、頬を膨らませてどうしたの? 可愛い顔が台無しよ」
「カトリーナ様は、クロムのことばかり。美味しそうなお昼も、彼のためでしょう?」
「あら、もちろんあなたの分もあるわ。当たり前じゃない」
途端にタールの顔が輝く。
もちろん二人だけでなく、訓練中の兵士全員分を別に用意している。
タールの背後に揺れる尻尾が見えた気がして、おかしくなった。
尻尾といえば、フェリーチェだ。
後からクロム様に、散歩にご一緒してほしいと、お願いしてみよう。
だって近頃フェリーチェは、私よりも彼に懐いている。
彼の優しさがちゃんとわかるなんて、あの子はやっぱり賢いわ。
美味しいお昼を口にしつつ、尋ねてみる。
「クロム様。この後少し、よろしいかしら?」
「カトリーナ様、いつものお散歩でしょう? たまには俺が付き合いますよ」
「あら。ター坊は書類が溜まっているって、第一騎士団長が嘆いていらしたわよ。いいの?」
「……あ」
剣技でも書類を捌く速さでも、クロム様の方が上だった。だから安心して頼めるし、何より私がそうしたい。
「かしこまりました。片付けた後でよろしければ」
「もちろんよ。よろしくね」
「ちぇっ」
口を尖らせたタールの横で、私は思わずクロム様と顔を見合わせた。
途端に、胸の鼓動が加速する。
尊くって幸せだけど、絶叫するのは我慢しよう。
武具の片付けを終えたクロム様と、遊歩道を並んで歩く。
フェリーチェはすでに、小屋の外で待っていた。
「ワンワン、ワンワン!」
クロム様の姿を見つけたフェリーチェが、嬉しそうに吠えている。
無駄吠えをしない賢い子だけど、この時ばかりは別みたい。尻尾を激しく振りすぎて、ちぎれないかしら?
「フェリーチェは、あなたに会えて幸せなのね。もちろん私もよ」
どさくさ紛れに言ってみた。
にっこり笑う私に、クロム様が優しい目を向ける。口の端が、わずかに上がっているような。
クロム様も、この時間を楽しんでくれている?
『幸せ』という名の犬と戯れる姿を見ながら、私は彼の幸せを心から願った。
完結まであと少し。
お付き合いくださると嬉しいです(⌒▽⌒)♡




