行かないで!
翌日――。
私は帰国するルシウスを見送るため、外にいた。
最後まで王女らしく装おうと、パールがちりばめられた薄桃色の上品なドレス。髪はふんわり結い上げて、薄桃色の薔薇の髪飾りを使用している。
金の飾り緒付きの青い衣装を纏った彼は、ゲームのスチルそのままの姿だ。
馬車の前に集まった人は、意外にも少なかった。ざっと数えても十人程度で、彼を招いたハーヴィーもここにはいない。
――隣国の王子が帰国するのに。どうしてこんなに少ないの?
眉をひそめた私に、ルシウス本人がわけを説明してくれる。
「すでに挨拶は済ませたから、仰々しい見送りは要らないと辞退したんだ。カトリーナ、僕には君がいればいい」
「まあ……」
ルシウスってば、いきなりぶっこんできた。
人前でその発言は、どうかと思うの。
クラリスは赤くなって震えているし、タールは苦虫を噛み潰したような顔。侍従はおや? と眉を上げ、女官達は意味ありげに顔を見合わせている。
――違うから。私はいつだってクロム様ひとすじよ。
とりあえず、愛想笑いを浮かべてみる。そんな私の肘をルシウスが引っ張った。
「うわっ」
「カトリーナ……」
私は今、二本の腕に捉えられ、彼の胸にぴったり顔を寄せている。
視界の隅に、じりじり後退する人々の姿が映った。
邪魔をしないようにと遠慮しているのか、どんどん遠ざかっていく。
「違うから。行かないで!」
振り返って手を伸ばした私の髪に、何かが触れる。
柔らかいその感触は…………唇!?
ぎこちなく首を回した私の瞳に、笑みを湛えたルシウスが飛び込んだ。
「カトリーナ、好きだよ」
ルシウスが青い瞳を煌めかせ、かすれた声で囁く。彼はさらに、私の頬にもキスをした。
「うえっ!?」
脳内がパニック状態で、言うべき言葉がわからない。
――これって告白? まさか私、ルシウスルートが確定したの?
いやいや、ちょっと落ち着こう。
OKしたつもりはないし、彼とのイベントは全部すり抜けてきたはずだ。
現実は、虚構よりも激しかった。
もう、ゲームの世界とは思えない!
おろおろしている私に比べ、ルシウスは余裕の表情だ。柔らかく微笑んで、こっちを見つめている。
ようやく断らなければいけないと気づき、私は慌てて口を開く。
「ルシウス様。ですが、私は……むぐ」
その先は、言わせてもらえなかった。
だってルシウスが、白い手袋に包まれた人差し指を、私の口に当てたから。
「答えはまだ要らないよ。カトリーナ、またね」
本気を出したメインヒーローの、恐るべき破壊力。その色香は圧倒的で、群を抜いている。
彼のファンが多い理由が、わかっ……。
馬車に乗り込むルシウスを見て、我に返る。
「ルシウス様、お気をつけて」
「ああ、ありがとう」
みるみる小さくなる馬車を、視界から消えゆくまで眺めた。
「さすがはルシウス様ですね。やはりあの方こそ、姫様に相応しい」
「クラリス! いいえ。彼には素晴らしい女性が似合うわ」
「確かに。姫様は時々、変態ですもんね」
「変態? 失礼ね。私のどこが……」
「あ! あっちに上半身裸のクロム先生」
「どこどこ? クロムしゃまああああああああ♡」
辺りを何度も見回すけれど、彼の姿はない。
「嘘ですよ」
「嘘ぉ!?」
ホッとしたような残念なような……。
ルシウス帰国のあくる日。
散歩がてらクロム様の部屋の前を通ると、ドアが少し開いていた。なぜか、荷物をまとめているようだ。
私は部屋に突入し、彼の腕を掴む。
「どおしてええええ。なんで、いなくなろうとするのよおおおお」
なりふり構わず泣き叫ぶ。
「フェアじゃないからだ。それにもう、君に教えることはない」
「フェアって何が? 教えることがないのなら、私の話し相手として残ってくれればいいでしょう?」
「必要性を感じない。理由もなく城に留まるほど、落ちぶれてはいないつもりだ」
「そんなああああ」
まあ、クロム様ほどの方であれば、たちまち仕事は見つかるだろう。
頭もいいし運動神経抜群で、身のこなしもスマート。教師や厩舎の仕事も、文句一つ言わずにやり遂げた。
どこへ行っても何をしても、難なくこなすに違いない。
でも――。
「嫌~、行かないでえええええ」
ここまで来て、推しに会えない日々に逆戻りなんてつらすぎる。
「カトリーナ……」
――クロム様。困った顔まで、なんて素敵なの!
表情が日に日に豊かになるクロム様。
私は、そんなあなたの側にいたいの。
戸口でふいに、誰かの声がする。
「クロム、まだ……」
大事な話の最中に、ハーヴィーが乱入。
兄は私を見るなり不機嫌に。
「どうしてカトリーナがここにいるの? さっさと出て行きなさい。クロム、あなたもよ」
冷たい声のハーヴィーに、私は顔をしかめた。
クロム様は冷静なので、彼は事前にここを出ると、兄に伝えていたらしい。
「申し訳ありません。王女殿下とのお別れが済み次第、すぐ……」
「嫌だあああああ、離れたくないいいいい。クロムしゃまが城を出ていくなら、私も出るううううう」
どさくさ紛れに推しの腰に抱きついて、絶叫再開。
絶対に離すまいと、大股開きで踏ん張った。
「カト……リー……ナ?」
兄は信じられないものでも見たかのように、目をまん丸にした。




