クロム様のこと
その日の夜、入浴を終えて白にピンクのリボンが付いた寝衣に着替えた私は、推しについて語ろうと、うずうずしていた。
けれど寝仕度を調えたクラリスは、私にあっさり背を向ける。
「他にご用はありませんね? では、これで」
「ちょっと待って! クロム様のこと、まだ語り足りないわ」
「げえむだとかいけめんだとか、もう十分聞きましたので結構です」
「そんな! 話したいことが、いっぱいあるのに」
「話と言えば、あれだけ忠告したにも拘わらず、姫様は幼い子供に妄想を語ろうとしていましたね?」
「妄想じゃなくって、たぶんこれから起こること。でも、ゲームの話は我慢したじゃない」
頭の中で考えただけなので、セーフだ。
「推し、でしたっけ? 姫様が理想の方とお会いできるよう、祈っておりますね。ではっ」
「待って! 続きを聞いてくれたら、ロアール侯爵家の夜会の招待状を確保してもらうわ」
「わかりました。伺いましょう」
クラリスは急に向きを変え、ベッド脇の椅子に腰かけた。
私より一つ上の彼女は、社交界デビューを済ませた十六歳で、結婚適齢期。
『姫様が紹介してくださるなら、贅沢は言いません。身分が高くて背も高く、顔もスタイルもいいけど浮気をしない、若い男性を希望します。私の言葉に逆らわないと、なおいいですね』
『それを、贅沢って言うんじゃあ……』
クラリスとは以前、そんな会話を交わしたこともある。
夜会の招待状は、侯爵家の友人に頼んでおこう。
「どこまでお話ししたかしら? クロム様が攻略対象でないのは、説明したわよね?」
「ええ。『げえむ』とやらでは隣国セイボリー生まれとなっているけれど、実はオレガノ帝国の出身だとか」
乗り気じゃないクラリスだけど、以前語ったことは覚えているようだ。
「そうよ。クロム様の正体は、オレガノ帝国のある組織から、ヒロインのカトリーナを消すために派遣された暗殺者。でも、王女が攻略対象と仲良くなれば、暗殺をやめてどこへともなく消えてしまうの。ただでさえこのゲーム、肝心なところでセーブのできない鬼仕様なのに……」
「は? カトリーナ様、今なんと?」
「え? セーブのできない鬼仕様……」
首をかしげて繰り返す。
「違う、その前です」
「クロム様のこと? ようやく聞く気になってくれたのね。クロム様は、オレガノ王の依頼を受けて組織が派遣した、暗殺者よ」
「なっ……。誰を暗殺するんですって?」
「ああ、そこ? クロム様の暗殺対象はカトリーナ。つまり、この私よ」
クラリスは目を見開き、身を乗り出した。
「なっ……。姫様は、自分を殺しに来る相手を好きだとおっしゃるのですか?」
「そういうことになるわね。でも、大丈夫。推しが登場したら、ゲームの筋から逸れればいいんだもの」
内容を覚えている私は、自信たっぷりに言い切った。
「げえむのことはわかりませんが、姫様に危険はないと?」
「たぶんね。暗殺なんて、悲しいことをさせずに済む方法がきっとあるはずよ。それに、我が国をゲームより大きくしちゃったから、彼は現れないかもしれない」
「姫様……」
「それでもいいの。推しが裏家業に手を染めず、どこかで幸せに生きている。そっちの方がファンとしては、よっぽど嬉しいもの」
大陸各地に美術品の収集という名目で人を送り、クロム様が所属するという組織を探させた。
事前にわかれば対策を練られるし、大金で暗殺を請け負う組織なら、金額次第で彼の脱退交渉の余地もあると思ったからだ。
けれど名前もわからない裏組織が見つかるはずはなく、推しの行方もわからない。
それなら初めから組織など存在せず、推しは私の知らない場所で幸せに暮らしている、と考えた方がいい。
「お言葉ですが、突然現れたらどうするつもりです? こうしている間にも窓から侵入し、姫様に襲いかかってきたら?」
クラリスったら、いい線いっているわ!
ゲームに出てくるクロム様は満月の夜、そこの窓から侵入するのだ。
「心配要らないわ。カトリーナは元々【薔薇の瞳】の能力で、瞳に浮かぶ花びらと同じ八つの命を持っているもの」
正確には残り七つだが、説明すると長くなるので省いておく。
「ずいぶん都合のいい能力ですね。それなら、暗殺されても復活するということですか?」
「ええっと。厳密に言えば、クロム様の暗殺に関しては無理よ。だけど乙女ゲームの性質上、攻略対象と仲良くなっていれば平気なの」
「どうして他の方と仲良くなれば平気なのか、理解に苦しみます」
「まあ、乙女ゲームを知らないクラリスには、難しいわよね」
私は両腕を組み、もっともらしく頷いた。
「『おとめげえむ』というのは、姫様の妄想の名前でしょう? だいたい、命が複数あるのはおかしいです」
「そう言われても、ねえ……。以前、事故に遭っても生き延びたのは、この能力のおかげだもの。それにヒロインだけでなく、周りの男性も瞳由来の能力を備えているのよ」
「各国の王族や縁続きの方に、まれに特殊な能力を持つ方が生まれることは知っています」
「有名な話よね。でも、私の慕うクロム様は攻略対象じゃないから、特殊な能力はないの。だけど身体能力がずば抜けて教師もなさるくらい優秀で、容姿もすごく素敵なのよ!」
熱く語ってみたものの、侍女はため息をついている。
「はい、はい」
「クラリスったら。もうちょっと興味を持ってくれてもいいじゃない」
「姫様のたくましい想像力には、ついていけません」
「いいえ、さっきも言ったでしょう? これは想像ではなく、現実に起こり得る出来事なの」
「はい、はい」
無理矢理ベッドに押し込まれたため、話はそこまでとなった。
まあいいわ。明日になれば、全てがわかるもの。