ルシウスの回想 1
大事なカトリーナが、傷つけられずに済んだ。
暴れたのは、アルバーノという男。
彼女とは旧知の仲らしい。
けれど、僕――ルシウスには、彼より無視できない人物がいる。先ほど彼を呼び出したので、もうすぐ来るはずだ。
ここは、大輪の薔薇の模様が表現された木の床と、赤い壁紙が貼られた小さな部屋。事件の起こった大広間からは、だいぶ離れている。
内密な話に適している反面、有事の際は逃げ場がないので危険を伴う。
「この僕が、彼を恐れている……のか?」
自分は一国の王子として、誰にも負けないほどの鍛錬を積み重ねてきたはずだ。
「バカなことを」
首を小さく横に振り、一人の部屋で過去を思う。
*****
幼い頃、僕は病気がちだった。
ほとんど外に出たことがないせいか、手足は細く青白い。銀色の髪も相俟って、鏡に映った姿は、まるで幽霊だ。
父の国王も僕のことは諦めていて、外交会議に出席する客の接待はおろか、挨拶までもが免除されていた。
行事なんて煩わしく、出席したいとも思わない。僕は別に、このままでちい。
そう考えて、いつものように部屋に籠もっていたところ、窓の外から明るい笑い声が聞こえてきた。
「こっちよ。お兄さまってば、早く~」
不思議に思って見下ろすと、僕より小さな女の子が金の髪をなびかせて、元気に走り回っている。庭園の散策に付き添う少年は、彼女の兄だろうか?
子連れで参加した者がいるとは初耳だ。
僕は好奇心から、咳をしつつも飽くまで眺めた。
「健康な身体であれば、ゴホッ、僕だって。あそこにいたのに……」
後から侍従に尋ねると、あの少年こそが、隣国ローズマリーの代表だと聞かされた。
「でも、成人前でしょう? 子供が会議に出席するの?」
「はい。ローズマリー国のハーヴィー王太子殿下は、これまでも多数の会議にご出席されています。若いながらも博識で、機知に富んだ受け答えをなさるとか」
「過大評価では? いや、真に有能だとしても、その妹はただの子供だろう? コホッ、なぜ付いてきた?」
「さあ? 事情があるとしか、伺っておりませんが……」
「ゴホン、ゴホッ、ゴホッ」
「ルシウス様……」
まったく、いつもこうだ。
長く話をしただけで、咳き込んでしまう。
「殿下、質問はその辺にして、お休みくださいませ」
仕方なくベッドに入り、上掛けを被った。
僕が何もできないのは、身体が弱いせい。
病気がちな身体に生んだ母上や、放任がちな父上が悪い。
侍医に軽い運動を勧められたけど、無理なものは無理。
今考えればそれは、単なる甘えだ。
己を擁護し他人のせいにする方が、怠惰で楽な生き方だから。
そんな僕ではあるけれど、芽生えた好奇心は抑えられない。
「ゴホッ……じゃあ、最後に一つ。一緒にいた、ゴホゴホ、妹の名前は?」
「確か、カトリーナ様とおっしゃっていました」
「カトリーナ……」
可愛らしい名前だね。
僕は、その子が気になった。
明くる日。
侍医の許可を得て外に出た僕は、噴水の前に一人きり。侍従は日よけを忘れたと、慌てて取りに戻っている。
――噴水の近くだと気分がいいのは、湿気があるからか? 乾燥していない分、咳も出ない?
久々の太陽の光は暖かく、花壇の薔薇が目に眩しい。頭上で聞こえる鳴き声は、ヒバリだろうか?
――ここにいれば、あの子が現れるかもしれない。思い切って「友達になりたい」って、言ってみようかな。
願いが天に通じたのか、彼女はすぐに現れた。
ツタのトンネルから飛び出したカトリーナは、妖精のように可愛くて、生き生きしている。
――何を話せばいいんだろう? 仲良くなる方法なんて、誰も教えてくれなかった。
当のカトリーナは、僕を見て目を丸くしている。
――僕が痩せっぽちで、みっともないからか?
急に自信がなくなって、思わず目を伏せた。
すると突然、彼女が叫ぶ。
「おおかみ!」
城の庭に? まさか。
しかし彼女の言葉通り、獣が植え込みから顔を出し、低く唸っている。
狼のような獣は、小さなカトリーナではなく、僕をまっすぐ見つめていた。
――嫌だ、こんなところで死にたくない!
僕は怯えて後ろに下がる。
彼女をを護ろうなんて考えは、これっぽっちもなかった。
次の瞬間、何かが上にのしかかる。
恐怖はつかの間。
よく見れば、カトリーナが小さな身体で、狼犬から僕を庇っている!
「うわ~~~ん、いたいよお~~~」
激しい鳴き声を聞くなり、後悔に襲われた。
――僕のせいで人が死ぬ。こんな身体で死にたくないと、願ったからなのか?
だったら僕と引き換えに、彼女を助けてほしい。神様!!!
奇跡が起こり、カトリーナは助かった。
だけど震えるだけの自分は、彼女に話しかける資格がない。明日こそきっと……。
その夜、またもや発作が起こる。
激しく咳き込み発熱し、息をするのがやっとの状態だ。
僕は結局、彼女にお礼も別れも告げられなかった。
――ごめんね、カトリーナ。いつか僕が、君を護るから。




