そして薔薇は散る
「なっ、なっ、なっ……」
焦るアルバーノ。
装置が作動しないところを見ると、故障したらしい。
――やっぱり。グラスをぶつけた眼鏡の角が、スイッチだったのね?
クロム様とタールが、うろたえる彼に斬りかかる。一気に形勢逆転し、アルバーノは防戦一方だ。
「兄さん、武器を捨ててくれ!」
「嫌だ! 私は……」
タールに注意が逸れた瞬間、クロム様がアルバーノの腕と太ももを斬りつけた。
「ぐおっ! ぐぐぐ……」
痛がり呻くアルバーノ。
クロム様は流れるような動きで、彼の手から短剣を叩き落とす。そのまま背中を蹴りつけたため、耐えきれなかったアルバーノが、正面から崩れ落ちる。
「ぐっ、こんなはずでは……」
外れて床に落ちた眼鏡を、タールが遠くに蹴飛ばした。
クロム様は次の攻撃に備え、ナイフを持った両腕をクロス状に構えている。
――まさか、トドメを刺すつもり!?
「ひっ、やめ……やめてくれ!」
アルバーノは床にお尻を付けたまま、ずるずる後退。
私は急ぎ走り出て、彼の前に立ちはだかった。
「待って! もう十分よ」
大きく両手を広げると、クロム様が驚いたように目を開く。
「カトリーナ、そこをどくんだっ」
「いいえ、どかない! 相手を傷つけては苦しむあなたに、これ以上苦しんでほしくないの」
人工の瞳が壊れた今、アルバーノを恐れる理由はない。
ゆっくり腕を下ろしたクロム様を見て、私は胸を撫で下ろす。
――あとは、アルバーノを捕らえるだけね。
そう考えて振り向いた瞬間、たちまち凍りつく。
なんとアルバーノは、短剣を他にも隠し持っていたらしく、自分の喉に当てている!
「アルバーノ、やめて!」
「やめる? 何をやめろと言うんですか? あなたへの想いを諦めろと?」
彼がゆっくり立ち上がる。
銀の短剣の刃先は鋭く、横に動かせば簡単に息絶えてしまうだろう。
焦る私は目の端で、タールの姿を捉えた。
弟のタールは兄の愚行をとめるため、彼の背後に徐々に迫っている。その動きを悟られてはいけないと、私はアルバーノの注意を引きつけることにした。
「想いってなんのこと?」
「この期に及んでとぼけるつもりですか? 私はあなたが本気で好きなのに! ですがカトリーナ様は、九つも下の女性に懸想する私を、気持ち悪いとお考えでしょうね」
今なら年の差は気にならないが、九年前では事情が違う。
だけど今、彼を刺激してはいけない。
「いいえ。こんな私を想ってくれて光栄だわ。だからお願い、その手を下ろして」
アルバーノが、ゴクリと唾を飲む。
そんなわずかな動きでも、刃先が彼の喉を傷つけた。
続けて話したいけれど、滲む血を見たせいで、頭が上手く回らない。
「あのね、あの……」
「カトリーナ様。私はあなたに、何度も救われました。九年前は心を、先日は命を。でも、どうせ報われないのなら、放っておいてほしかった」
「そんな! だけど私は、あなたを救えて良かった。それから、ええっと……とにかく私達、会話が足りないと思うのっ」
そう。サブキャラだからと安心せず、もっと話しておけば良かった。そうすれば、こうなる前に防げたはずだ。
「カトリーナ様らしいですね。……私はやっぱり、あなたが好きです。生まれ変わったら、一緒になりましょう」
アルバーノはそう言って笑うと、真顔に戻った。
「ダメーーーッ」
「兄さん、こっちだ」
「何っ」
私が走り寄るのと同時に、背後のタールが呼びかけた。そのまま手首を掴むけど、勢い余って短剣だけがすっぽ抜けてしまう。
その結果――。
「なっ……カトリーナ様!」
「姫様!」
一瞬、何が起ったのかわからなかった。
けれど喉に生じた違和感は、私のものだ。
「……ひゅっ……ひゅっ……」
アルバーノは顔面蒼白で、タールも硬直している。
全ては、運が悪かったとしか言いようがない。
まさかアルバーノの短剣が、私の首に突き刺さるなんて……。
「カトリーナ様!」
「そんな、カトリーナ!!」
床に倒れる寸前、誰かが私の背中を支えてくれた。
「カトリーナ、カトリーナ!!」
悲痛な声には覚えがある。
それは私の、一番好きな声。
――クロム様。せっかく推しの腕の中にいるのに、もうすぐ終わりだなんて。もったいないわね。
ぼんやりと、そんなことを考えた。
「早く医師を呼べ!」
「俺のせいだ。姫様っ」
しんどいせいでよくわからないが、今の声は兄とタールだった気がする。
「許せない! この者をすぐ牢へ」
涙声で命じるのは、ルシウスかしら?
「可愛いカトリーナ、もうすぐよ。気をしっかり持って」
この声はハーヴィーね。
みんなの前で「可愛い」は、さすがに恥ずかしいわ。
意外にも冷静なのは、これが最期とわかっているから。いつものように復活できればいいけれど、もう命の残りはなかった。
だったら終わりの時くらい、王女らしく毅然としていたい。
「カトリーナ!」
悲しそうに揺れる赤い瞳は、私だけを見つめている。
ルシウスの未来視は正しかった。
あれはやはり、私の死を意味していたのだ。
「クロ…………さ……ま……」
どうにか手を伸ばし、大好きな人の名を呟いた。
お願い、あと少しだけ。
大好きな人との時間をちょうだい。
「クロム……ま。生まれ変わっ……も、死んでも私……あなた……だけ……」
結局、笑顔にできなかった。
寂しいあなたを残して、私は先に逝く。
優しいあなたは私のために、どこかで涙を流すのでしょう。
でもその時、私は側にいないのね。
目の前が赤くチカチカして、無情にも最後の薔薇が散る。
たとえこの身が朽ちようと、私にはあなただけ。私はあなただけを見つめているから。
クロム様!
「好……き……」
「カトリーナ!!」
知らずに言葉が零れ出た。
重たい女と言われようが、これが私。
私はクロム様限定の、限界ヲタクなのだ。
瞼を閉じた私の脳裏に、過去の記憶が甦る。
――ああ。これが死ぬ直前に見るという『走馬灯』なのね?




