煙の中での決戦
アルバーノは上着の内側に手を入れ、仮面のような眼鏡を取り出した。
「兄さん、やめろっ」
「おっと」
飛びかかったタールを避けながら、彼は人工の瞳付きの眼鏡を装着する。縁に手を添えた途端にブーンという音が鳴り、見る間に分裂した。
全く同じ姿のアルバーノが五人。
それぞれの手に、銀色の短剣が握られている。
「おおおっ!」
事前に通知していたにも拘わらず、どよめく兵士達。
アルバーノはその隙に彼らの囲いを突破し、まっすぐ出口に向かう。
「今よ!」
ハーヴィーの合図で、扉付近の兵士が動く。
出口を封鎖し、大量の煙を発生させた。
壺に生けられた花はカモフラージュで、壺自体が煙の発生装置だ。
【陽炎の瞳】を封じる策として、私はアルバーノの眼鏡を曇らせればいいと考えた。ルシウスが協力を申し出て魔道具を取り寄せてくれたため、実現したのだ。
「はっ。この程度、時間稼ぎにもなりませんよ」
アルバーノが仕組みに気づき、瞬時に壺を叩き割る。
「なっ……」
「くそ、どこだ?」
真っ白な煙が一気に流れ出し、会場中に行き渡った。
充満した煙のせいでぼんやりとしか見えず、敵も味方も確認できない。
この状態で剣を振るえば、誤って味方を傷つけてしまう恐れがある。
「待避! 騎士と兵士は全員下がって!」
ハーヴィーの命令で、一斉に散る兵士達。
私も慌てて壁際に移動する。
その場には、タールとクロム様、そしてアルバーノだけが残った。
「おやおや、私も舐められたものですね」
「兄さ……いや、アルバーノ。武器を捨てて投降しろ!」
煙の中から響くのは、アルバーノの弟タールの声だ。
前世でゲームに嵌まった私は、聞き慣れているので間違えない。
「タール、退かないと怪我をしますよ」
グワッシャーーーーン。
人影が上に向かって動いた直後、大量のガラスが割れるような音が部屋に轟く。
「まさか、シャンデリア!? アルバーノは、あんなに上まで跳躍できるの?」
完成して間もない眼鏡に、さらに改良を加えたみたい。
だから彼は煙の中でも、平気で動けるの?
胸に一抹の不安が過ぎる。
力の差が圧倒的なら、この作戦自体危うい。
「クロム様……」
「タール、後ろだ!」
案じた直後、彼の声が聞こえた。
続いて白い煙の向こう側で、金属音が鳴り響く。
キイィィン、ドガッ、ガキィィン。
タールとクロム様の同時攻撃?
音ははっきり聞こえるのに、煙が邪魔で何も見えない。
「違うっ。タール、アルバーノは君の横だ!」
「なっ……この!」
ガッ、ガッ、キイィィン。
いくら敏捷性に優れた【彗星の瞳】でも、視界が霞んだ状態でアルバーノの位置を特定するのは、難しい。対するアルバーノは、苦もなく動いているようだ。
――間違いないわ。人工の瞳の性能が、この前よりも上がっている!
「くっ……。タール、回れ! いや、そっちじゃない。三時の方向だ」
クロム様の指示と剣戟が、辺りに響く。
壁際にいる兵は、下手に手を出せない。
私も彼らと同様に、煙の中のぼんやりした影を見守るだけ。
そこで突然、おかしなことに気づく。
――あれ? クロム様もタールと同じく、煙で見えないはずよね。なぜ、アルバーノの位置がわかるの?
クロム様は腕利きの暗殺者。
でも視力が格段にいいとか、感覚だけで相手の居場所がわかるといった情報は、どこにもなかった。
「ここまで視界が悪いと、普通は自分の身を護るだけで精一杯でしょう?」
それなのに、彼はアルバーノの位置を特定し、果敢に攻めているらしい。
「邪魔ですよ」
ギイィィィン
剣を弾く大きな音の後、急に視界が晴れた。
「あっ」
私を思わず声を上げた。
タールが傷を負っていて、国家騎士の制服が何カ所か裂けていたからだ。クロム様は息が上がっているものの、目立った外傷は見られない。
アルバーノは、ほぼ無傷?
彼は銀色の短剣を持ったまま、不敵な笑みを浮かべている。
――そんな! ここまでしてもダメなの? このままでは、二人が危ない!!
私はとっさに、テーブルにあったクリスタルのグラスを掴む。上体を低くしたアルバーノを狙って、腕を思い切り振りかぶる。
「さあ、そろそろ覚ごっ……」
「やったわ!」
見事命中!
投げたグラスは眼鏡の角に当たり、床に落ちて砕け散る。
――元ソフトボール部の肩書きは、伊達ではないみたい。私のコントロール、いまだに衰えてないようね。
得意げに腕を組んでいると、アルバーノが私の姿を捉えた。
「なるほど。今のはあなたの仕業ですか」
――え? なんかちょっと、嫌な予感。
「カトリーナ様あぁぁぁ」
「いやああああ、来ないでええええ!」
背中を向けて、逃げ出した。
だってアルバーノの手には、短剣が握られている!
「ぐあっ」
「うぐぐ……」
アルバーノは私を庇う兵士ごと、その場になぎ倒す。
「やめて!」
とうとう逃げ場がなくなって、身体を縮めた。
その時――。
「危ないっ」
ガギィィィン
「……え?」
なんと、ルシウスが私の前に飛び出して、アルバーノの短剣を防いでくれたのだ。彼愛用の長剣は、ゲームでも見た覚えがある。
「アルバーノ、そこまでだ! カトリーナは僕が護る」
「はっ、誰かと思えば隣国の第一王子とは。甘やかされた王子が、この私に勝てるとでも?」
「わからない。だが、たとえ命に代えてでも、彼女を護る!」
ゲームの中ではときめくはずのセリフも、現実では恐怖でドキドキしてしまう。
こんな展開、なかったのに!!
「ご大層なことを。死に急ぐつもりなら、いいで……ぐはっ!」
突如、アルバーノがのけ反った。
跳躍し間合いを詰めたクロム様が、話に気を取られた彼の背中を斬りつけたのだ。
「貴様っ、またしても邪魔をするか!」
アルバーノは飛び退くと、再び眼鏡の縁に手をかけた。
――……が、何も起こらない。




