偽の婚約発表
アルバーノの事件から半月後の今日。
城の大広間にあるシャンデリアの下、着飾った多くの人が笑いさざめく。入り口付近に並んだ壺には、薔薇や百合など大量の花が飾られている。料理や飲み物も最高級品を用意してあるから、いかにもそれらしい。
私は彼らと談笑しながら、婚約発表の時を、今か今かと待っている。
裾に宝石をちりばめた真っ白なドレスは、今回のために急ピッチで仕立てたもの。同じ生地の首飾りの中央には、大粒でピンク色のガーネットが煌めいていた。
隣に立つのは、黒地に銀の刺繍が入った盛装姿のクロム様。
私は胸がいっぱいで、幸せのため息しか出てこない。
「ふう」
「カトリーナ、大丈夫か?」
「……え? ええ」
低音ボイスで話しかけられるたび、ドキドキしてしまう。
目が合うだけでも照れるのに、ついつい彼を盗み見る。そんでもって幸せのため息、の繰り返し。
――クロムしゃまったら、眩しすぎますわ♡ この婚約、いっそ本当にしてしまいたい。
実は今回、『王女カトリーナの婚約発表』という名目で、偽の舞踏会を開催している。もちろんこれは、アルバーノをおびき出すための作戦だ。
タールの言にもある通り、アルバーノは私に執着している。そのため婚約を発表させまいと、この場に現れるかもしれない。そんな彼を一網打尽に……というのが、本日の作戦だった。
ちなみに、この計画の立案者は私。
当初兄のハーヴィーは、危険だという理由で猛反対。
しかし他に策はない、と延々説得した結果、今に至る。
大広間には招待客しか入れないとされているものの、そのほとんどは変装した騎士や兵士だ。彼らは色とりどりの上着や女装したドレスの中に武器を隠し持ち、アルバーノの姿を発見次第、捕らえる手筈となっている。
「ま、万が一現れなかったとしても、私にとってはご褒美よね」
「カトリーナ、どうした?」
「……いえ、何も」
うっかり口から出たみたい。
それは私が、クロム様の隣で婚約者の気分に浸っているから。将来の予行演習(?)だと思えば、気合いも入る。
兄のハーヴィーは父の代理で、壇上の玉座に腰かけていた。身体の弱い国王は例によって欠席のため、いつもの見慣れた光景だ。
ルシウスも参加すると言い張って、ハーヴィーの近くで待機している。
本日の主役は、当然私とクロム様♪
先日、玉砕覚悟で婚約者役をお願いしてみたところ、意外にも快諾してくれた。
『……え? いいの?』
『いいも何も、作戦なんだろう? 俺はお前に救われた身だ。好きに使ってくれ』
『じゃあ、本当に婚約…………いえ、なんでもないわ』
調子に乗ったせいで、変な顔をされてしまった。
これはアルバーノをおびき寄せるための計画なので、ふざけている場合ではない……いや、至って本気なのだけれど。
と、いうわけで。
私は今、婚約発表を控えた身として、招待客役の兵士の話に耳を傾けている。
――クロム様は、何をお考えかしら?
愛しい彼は、こんな時でも無愛想。
それでも、ほんのちょっぴり私に気を許していると感じるのは、都合のいい妄想だろうか?
微笑みながらふと、壇上に目を向けた。
そこではハーヴィーが、妹の婚約を歓迎する兄を、にこやかに演じている。
一方、側に立つルシウスや招待客に紛れたタールからは、ピリピリした空気が漂っていた。
――もっと上手く演技しないと、アルバーノに嘘だってバレちゃうじゃない!
やきもきしつつも、舞踏会は計画通りに進んでいく。
もう少しで、偽の婚約発表となる。
手順はこうだ。
私とクロム様はまず、中央に進んでハーヴィーの紹介を受ける。次に披露目のダンスを踊るのだ。
クロム様がダンスも嗜んでいるとは知らなかったが、せっかくなので踊りたい。
――あのたくましい胸に抱かれてステップを踏んだら、どんな気持ちがするかしら?
アルバーノにはぜひとも、ダンスが終了するまで身を潜めていてもらいたい。
中途半端に現れでもしたら、怒り狂った私が真っ先に飛びかかっちゃうから。
「カトリーナ、もうすぐだ。準備はいいか?」
「ええ、もちろん」
待ちに待った婚約発表&クロム様との記念すべきダンスの時間!
彼のエスコートにドキドキしながら、私は会場を見回す。
せっかくの機会を邪魔されないよう、人々の様子を今一度チェックするためだ。
招待客に扮した兵士や国家騎士全員の身元はあらかじめ調べられ、身体検査も済んでいる。それでも用心するに越したことはなく、アルバーノらしき者を見かけたら、大声を上げることになっていた。
【薔薇の瞳】の能力も、残る花弁は一つだけ。少しのミスも許されず、失うことはできない。
――クロム様を幸せにするなら、私がここで死ぬわけにはいかないでしょう?
「みなさま、静粛に。それでは、王太子殿下のお言葉を賜りましょう」
秘書官の声に続き、壇上にいたハーヴィーが椅子から立ち上がる。
いよいよ偽の婚約発表だ。
会場にいた人々は姿勢を正し、正面を向く。
兄の言葉を待つ間、私の視界に奇妙なものが映り込む。
なんと一人だけ、正面ではなくこっちをチラチラ見ているのだ。
――壁際にいるあの給仕、胸のポケットが不自然に膨らんでいるわ。
くせのある灰色の髪と口ひげに見覚えはない。でもあの背格好と、青い瞳は……?
「もしかして、アルバーノ!?」
呟く私に気づいたクロム様が、身体を傾ける。
「あのね。壁沿いの、グラスを持った給仕の男性が怪しいわ。ほら、あの黒と白の制服の……」
耳打ちした瞬間、その当人と視線が絡む。
次の瞬間、給仕は飲み物の入ったグラスごと、お盆をテーブルに叩きつけた。
ガシャーーン
割れたグラスに周りが気を取られる中、給仕はこちらめがけて駆けてくる。
「いたぞ、逃すな!」
タールの号令で、兵士が彼を取り囲む。
給仕の男性は落ち着いた様子で、灰色のかつらをもぎ取った。
出てきたのは焦げ茶の髪で、後ろで一つに束ねられている。
――アルバーノ!
「ほう? やはり罠でしたか。カトリーナ様もお人が悪い。ですが、たったこれだけの人数で、私に敵うとでも?」




