王女のお仕事
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「ねえ、カトリーナ」
「あら、なあに?」
七歳くらいの女の子に呼びかけられて、その場にしゃがむ。次いで頭を撫でてあげると、満面の笑みを浮かべてくれる。
「風景じゃなくって、好きな人を描いてもいい?」
「ええ、もちろん。……あの、じっと見てどうしたの?」
「あのね。あたし、カトリーナを描く」
「何!? それならオレも」
「ずるい! だったら私も」
「まあ……」
クロム様の素描を完成させるつもりが、気づけばモデルになっていた。
子供達に囲まれ困った顔の私を見て、職員達がクスクス笑う。
「昔と同じね。カトリーナ様は人気があるから」
「本当に。カトリーナ様が見出したあの子は、近頃天才画家と呼ばれているんですって?」
私は微笑み、最新の情報を教えてあげる。
「ええ。隣国セイボリーでも、数々の賞を獲ったそうよ」
「すごい!」
現在、我が国の都は人で溢れ、毎日のように歌劇や人形劇が上演されている。
名だたる画家や彫刻家、作家などを世に送り出した王家は、文学家や芸術家達を手厚くもてなしていると他国でも評判だった。当代一と言われる画家もこの孤児院の出身だ。
私の侍女のクラリスも、ここでお世話になっていた。
昔、私に「自慢するなら帰ってよ」と言い放ったのは、何を隠そうクラリスだ。でもなぜか、その部分だけは都合良く忘れている。
『私、孤児院の前に置き去りにされていたんだ』
そう打ち明けてくれた彼女と、生き別れとなったご両親を一緒に探したことは、記憶に新しい。
恩義を感じた彼女は、子爵家の令嬢に戻った今も、側で尽くしてくれている。
「あら、お二人ともすごいわよ。ここを出ても、先生として戻って来てくださって。子供達が笑顔なのは、あなた方のおかげね。私、とても感謝しているの」
「まあ、『ローズマリーの紫の薔薇』に、褒めていただけるなんて」
瞳の色からだろうけど、私はゲームの設定通り、世間から『ローズマリーの紫の薔薇』と呼ばれている。
紫の薔薇の花言葉は、『気品、尊敬、エレガント』。過分な褒め言葉だ。
「本当に。お忙しいのに今でもここを気に懸けていただき、ありがとうございます。十年前も今も、カトリーナ様は優しいですね」
「いいえ、あなた方こそ……」
「カトリーナ様、動いちゃダメ!」
「もう少し顎を引いて」
首を大きく横に振ったため、顔の角度が変わったみたい。
子供達の注文は多く、容赦がなかった。
明くる日はお客が次々訪れて、朝からてんてこまい。
私は王家の芸術担当として、王立劇場で催される芝居や歌劇を認可する立場にある。劇場の責任者との面会は、何日も前から決まっていた。
薔薇の透かし模様のレースがあしらわれた薄紫色のドレスで別室に行くと、口ひげの男性が私にお辞儀する。
「王女殿下、お目にかかれて光栄です。いつにも増して美しい」
「卿こそお変わりなく。前回の興行は、順調だったと聞きましてよ」
「ありがとうございます。それもこれも、殿下のご尽力のおかげかと」
「お役に立てたのなら、幸いですわ」
確かに、ことあるごとに宣伝した。口コミの力は大きく、劇場には連日貴族が詰めかけたらしい。
「本日は、殿下にひと言申し上げたくて」
「何かしら?」
「我々の公演と同時期に、街の中央広場でも人形劇の新作が始まるそうですね。あちらは無償で、殿下がご提案なさったとか。強敵が現れたため、内心焦っております」
「まあ。焦る必要などありませんわ。客層が大きく違うでしょう? 卿の作り上げる非日常空間に勝るものはないわ。あちらは操り人形を使った劇だから、生身の人間には敵いっこないもの。そうそう、今回の公演も楽しみにしていますのよ」
着飾った貴族が、広場のベンチや地べたに座りたがるとは思えない。プライドのある彼らは、引き続き劇場に足を運ぶだろう。
「そうでしたか。殿下がお越しくださるなら、一同励みになります」
「まあ。それは責任重大ですわね」
私はクスクス笑って責任者と談笑する。
彼を送り出した後、扉を閉めて誰にともなく呟いた。
「正直なところ、広場で見る人形劇も気を遣わなくて好きなのよね」
無償化したのは、いろんな身分や年代の方に広く芸術を楽しんでもらうため。
多くの人に見てもらえるようにと、町の広場を提供した。
心の豊かさは生きる豊かさに直結している。
良いものを鑑賞することで、心に訴えかける何かがあればいい。
そしてこの世は捨てたものじゃないと、少しでも思ってもらえたら。
その後も彫刻家や音楽家、画商との面会が続く。
「王女殿下をイメージして創った像を、お持ちしました」
「でもこれ、女神像ですよね?」
「はい。殿下は芸術を庇護する女神ですので」
手放しで褒められたら、なんと返せばいいのかわからない。とりあえず、彫刻家から贈られた『女神像』はありがたく受け取っておこう。
音楽家は「殿下のために作曲しました」と、その場でセレナーデを演奏してくれた。
「曲もさることながら、チェンバロの腕前が素晴らしいですわ。ぜひまた聞かせてくださいね」
チェンバロとはピアノに似た鍵盤楽器で、城にあるものは豪華な装飾が施され、繊細な音が出る。
「恐れ入ります。今後も精進いたしますね」
音楽家は、ハミングしながら帰って行った。
画商は、孤児院の子供が描いたレモンの木の絵に目を留める。こちらの言い値で、買い取ってくれそうな雰囲気だ。
「のびのびしたタッチで、今後の成長が楽しみですな」
「ええ。楽しそうに描いていたから、それが絵にも現れたのでしょうね。他にも、この絵を気に入った方がいらっしゃるんですよ」
「お待ちください。それでは提示された値段で、私が引き取りましょう」
「まあ、ありがとうございます」
売り上げは孤児院に託す予定だが、一部は本人のものとなるので、きっと喜んでくれるだろう。
他にも気に入った方、とは私のこと。買い手が現れなければ手に入れようと思っていたので、嘘は言っていない。
面会を終えようやく部屋に戻ると、机の上には手紙が積み重なっていた。
豪華な革表紙の本も置いてあり、紫の薔薇が一輪添えられている。
「クラリス、これは?」
「薔薇を題材にした最新作だそうです。『ローズマリーの紫の薔薇』に一番にご覧いただきたい、とのメッセージが添えてありました」
「そう。では、希少な薔薇をいただいたお礼に、感想を書かなくちゃね」
王女の仕事はこんな感じで、意外に忙しい。体力がないと務まらないため、合間に腕立て伏せをするつもり。
万一の場合に備えて、筋力トレーニングは欠かせない。トレーニングを頑張ってきたおかげで、スリムにもなった。その反面、胸が……いえ、なんでもない。
忙しくても頑張れるのは、もうすぐクロム様に会えるから。