お願い、助けて!
「……行……な。そいつ……言いな、り…………る……な」
「クロム様!」
私は思いあまって、黒髪に頬をすり寄せた。
大怪我を負ってまで、彼は私を案じてくれている!
けれどアルバーノは、不満げに鼻を鳴らす。
「ふん、前言撤回です。やはり邪魔ですね。潔く散ってもらいましょう」
「させないわ!」
推しのためなら本望と、彼を抱きしめ目を閉じた。
覚悟を決めた、まさにその時――。
ドカッ、ドガッ、バキッ。
木の板が割れるような音がして、慌てて目を開く。
音のする方に顔を向けると、今まさに木の扉が蹴破られようとしている。
「いた、こっちだ!」
「急げっ」
先頭はハーヴィーで、複数の兵士が後に続く。
驚くことに、ルシウスまでいるようだ。
「チッ」
アルバーノが舌打ちし、素早く身を翻す。
「気をつけて! アルバーノは危険よ!」
「アルバーノ?」
「なんだ? 動きが見えな……くっ」
「ぐわっ」
とっさに警告したものの、間に合わなかった。
あちらこちらで兵士が倒れ、傷を押さえて呻いている。
「あなた、アルバーノ? 抵抗をやめなさい! 兵はみな、彼を囲め」
「はっ」
「残りは出口を固めろ」
「ははっ」
状況を理解したハーヴィーが、すぐさま兵に指示を出す。
ルシウスも、それに続く。
兵の数は多く逆転するかと思ったけれど、アルバーノの人工の瞳には誰も敵わない。
ルシウスも直接剣を交えるが、圧倒的な強さに手こずっているようだ。
「カトリーナ、しっかりして、カトリーナ!」
「お兄様、私は平気よ。それよりクロム様が……」
ハーヴィーに支えられる間も、打ち合う剣の音が絶えず耳に飛びこむ。
キイィィン、ガキイィィン。
キン、キイィィン。
「クッ、ここまでか」
「逃げた、追うぞ!」
バタバタと足音が消えていき、室内にはクロム様と私、そして兄のハーヴィーと護衛一人が残された。
「カトリーナが無事で良かった。あなたに何かあれば、私は……」
悲壮感漂う声の兄が、私をきつく抱きしめる。
ようやく助かったと安堵して、私は腕の中のクロム様に笑いかけた。
ところが、彼の身体は力を失くし、そのままずり落ちる。
「クロム様、クロム様!」
その瞬間、最悪の想像が頭を過ぎる。
「もしこのまま亡くなったら……。お兄様、お願い。クロム様を助けて!!」
焦って喚く間も、彼の身体はどんどん冷たくなっていく。
泣きながらすがる私を、ハーヴィーが引き離す。
「治療するには運ばなくっちゃ。白の間に急いで」
「はっ」
兄は自分の護衛に命じて、クロム様を清潔な部屋に運び込ませた。
医師の見立てによると、冷たくなった原因は、失血による体温低下とのこと。
命に別状はないと聞いたけど、心配で堪らない。
「なんで? どうして入っちゃいけないの!」
「まだ、検査が済んでおりません」
診察中、彼を想って必死に祈る。
やがて出てきた医師は、びっくりしていた。
クロム様の傷は深く出血自体は多いものの、急所や腱を上手く外していたそうだ。そのため、後遺症は残らないだろう、とのことだった。
――さすがはクロム様。人体の構造まで、知り尽くしていらっしゃるのね!
面会謝絶と言い渡されたので、じりじりしながら待つ。
ようやく彼に会えたのは、それから一週間も後のことだった。
私は白の間の扉を開ける。
ツタ柄模様の白い壁紙の寝室には、ベッドの上で上半身を起こしたクロム様。すぐ脇の椅子には、ついでに兄もいる。
「私のカトリーナを、危険な目に遭わせた罪は重い。洗いざらい白状するんだ」
ハーヴィーの口調は、普段からは考えられないほど冷え冷えしていた。ただ、大怪我を負ったクロム様を気遣い、自ら出向くところは兄らしい。
単にお見舞いだと思った私は、襟元と裾に白いレースが付いたピンクのドレスを着ている。緩く編んだ髪には、お揃いの生地で作った薔薇の髪飾りを付けていた。
裸の肩と胸に包帯を巻いたクロム様。
痛々しくはあるけれど、黒髪や肌の血色はいいみたい。
腹筋は、ぱっくり六つに割れている。
――神様クロム様、今日もありがとうございます。
心の中で拝んだが、あまりじろじろ見ていては、変態だと思われてしまうかもしれない。
あ、ちなみに兄は、金糸の入ったえんじ色の上着に黒のトラウザーズ姿だ。
「コホン」
咳払いを一つして、彼らの注意を引きつけた。
「カトリーナ、こっちよ」
「ごきげんよう、お兄様。遅くなってごめんなさい。クロム様、お加減はいかが?」
私は兄の横に座り、大好きな人を見つめる。
「おかげさまで、だいぶ良くなりました。カトリーナ様もお元気そうで良かった」
「当たり前だ。カトリーナに怪我でもさせようものなら、お前の命はない」
ムッとした様子のハーヴィーだけど、今のはもちろん冗談よね?
「お兄様ったら」
クスクス笑うが、ハーヴィーの表情は固い。
「無駄話は必要ないわ。あなたを呼んだのは、彼から事情を聞くためよ。クロム、全て話してもらうから」
「……俺の知る範囲でよろしければ」
「俺? そう、それがお前の本性なのね」
兄は腕を組み、クロム様を睨みつけた。
「じゃあ聞くが、クロム・リンデルというのは本名か?」
「クロムは本名ですが、リンデルは偽名です」
「本当の名前は?」
「クロム、とだけ。平民なので、名字はありません」
「何!?」
ハーヴィーは目を丸くするけれど、平民の多くは名字がなく、ごく一部の裕福な民にのみ与えられている。それが、この大陸全体の共通認識だ。
サブキャラの彼は、『バラミラ』のファンブックにも『クロム』とだけ表記されている。だから、平民で間違いない。
答えに納得できないのか、兄は矢継ぎ早に問う。
「平民なのに、どうして貴族の作法を知っているの? 膨大な知識はどこで身につけた? そもそも、お前の出身はどこ?」
「貴族の作法や知識は、組織で学びました」
「組織?」
「はい。俺はオレガノ帝国で生まれ、孤児となり、ある組織に拾われたのです」
「なんだと!」
声を上げたハーヴィーに、クロム様が『キメラ』という組織の実態を語る。
すでに彼から聞いていたので、私は口を挟まない。
「――以上です。俺は元々王女殿下の命を狙う刺客として、ここに派遣されました」
部屋に沈黙が落ちた。
誰も何も語らず、動こうともしない。




