最後の授業
クロム様による最後の講義の日。
私はシフォン付きのラベンダー色のドレスに同色の薔薇の髪留めを合わせて、精一杯可愛く装った。彼が私を思い浮かべた時に、この姿であればいいなと、考えて。
柔らかな淡い金髪は幾度も梳かし、薄く化粧も施した。いつもより謙虚な態度で、授業に臨むつもりだ。
ほどなくして、クロム様が赤い革表紙の本を手に颯爽と現れた。
立て襟の黒い上着に細身の黒いズボン。にこりともしないその顔は、相変わらず渋くて素敵。
――やっぱりカッコいい。もうダメ、しゅきいいいいい♡
心の中の全私が歓喜の声を上げ、心臓が限界までドラムを鳴らす。
だけど、心の中で絶叫するのももう最後。王女らしく上品に振舞おうと、にっこり微笑む。
「クロム先生、講義をお引き受けくださって、ありがとうございました。今日もどうぞ、よろしくお願いいたします」
「……はい」
変わらず素っ気ない態度に涙が出そうになるけれど、もちろんめげない。
だってこれが、いつものクロム様だから。
「では早速、前回の続きを……」
「いいえ」
私は本を開かせまいと、表紙に手を添えた。
「本日は、カトリーナ様のご希望だと聞きました。中止になさいますか?」
――そんなわけないじゃない。あなたが隣にいてくれるなら、一生勉強漬けでも嬉しいわ。
「いいえ。最後なので、別の話を伺いたくて」
「別の話、といいますと?」
「クロム先生の理想とする国家は、どんなものでしょうか?」
「それは……難しい質問ですね」
クロム様が眼鏡に手を当てると、壁際に立ったタールが動く。
いくら兄に言われたからって、そこまで警戒しなくていいのに。
「答える前に、過去の歴史を復習しましょう。せっかくなので、成り立ちから学びましょうか」
ほらね?
彼はいつでも冷静で、勉強時間中は私を生徒としか見ていない。
「はい。急な変更で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」
「わかりました。では、大陸の成り立ちから」
クロム様は軽く頷くと、この世界の地図を広げる。
「大陸にある三国は、元々一つの国でした。カトリーナ様、この辺りはご存じですね?」
「はい。神が地上に留まって、大陸を創造したと言われています。三つに分かれた後も王族の血を引く者に特殊な能力が現れるのは、彼らが神の子孫だからということでした」
「そうですね。セイボリー王国に【星の瞳】、ローズマリー王国に【月の瞳】を持つ者が生まれるという話は、割と有名です。そしてオレガノ帝国は、【太陽の瞳】でした」
ゲームの設定によると、瞳の能力は王の素質がある者にのみ出現する。
私の持つ【薔薇の瞳】は異質だが、他が天体に関するものなのは、王族が天から降りた神の子孫とされているためだ。
だけどゲームに、【太陽の瞳】を持つ人物は登場していない。
「あの、オレガノ帝国の【太陽の瞳】って、どんな能力なんですか?」
「公にされていないので、私も知りません。しかし、跡継ぎのいなかった前の国王が平民上がりの現在の王に滅ぼされたため、その血は途絶えたそうです」
「ええ。存じております」
ゲームに出てこなかったのは、太陽の瞳を持つ者が存在しないせいだと思われる。
もし存命なら、オレガノ王もヒロインの攻略対象になったのだろうか?
――待って。前国王は二十年近くも前に亡くなっている。生涯独身を貫いたとはいえ、生きていたら父親以上の年齢だから、さすがにそれはちょっと……。
「武力で抑えつけようとする国に、魅力はありません。今のオレガノ帝国は、民が理想とする姿にはほど遠い。まあ、あくまでも私の想像ですが」
私達二人とも、『想像』というのが嘘だと知っている。
だって彼の出身は、オレガノ帝国だ。
タールに聞かれてもいいように、わざとそう付け加えたのだろう。
せっかく推しと巡り会えたのに、私達は明日から別の道を行く。こんな時間もあとわずかと考えると、胸に迫るものがある。
「カトリーナ様、休憩を挟みましょうか」
先を思って元気のない私に、クロム様が提案してくれた。
楽しい時間はあっという間で、気づけばお昼近くとなっている。
「そうですね。でしたら軽食を……。タール、悪いけどオレガノ産の茶葉を用意してくれない?」
「え? でも俺、そいつの監視役ですよ?」
「真面目に勉強するだけだから、監視なんて必要ないわ。ここには女官もいるもの」
「だったら、女官に頼めば……」
「あなたの方が確実だもの。ありがとう、タール。よろしくね」
にっこり笑って彼を部屋から追い出した。
休憩時間くらい、監視されずにクロム様とゆっくり過ごしたい。
新米の女官には軽食を用意するよう言いつけて、こちらも部屋から追い立てた。
扉は開けてあるけれど、現在推しと二人きり。
最後の別れを告げるには、もってこいの機会だ。
「カトリーナが暗いのは、俺のせいか?」
クロム様が敬語をやめて、問いかける。
「ええ。だって……」
答えられずに口ごもる。
口を開けば、「行かないで」と言ってしまいそうだから。
うつむく私を、彼が下から覗き込む。
「ち……近っ!」
焦って顔を上げるけど、彼は表情を崩さない。
「ハーヴィー様に、出国するよう迫られた。お前はどう思う?」
――お前! 「カトリーナ」に続き、まさかの「お前」呼び!!
私は感動のあまり、カタカタ震えた。
攻略対象の中には、ヒロインを「お前」と呼ぶようになる者がいる。それはその人が、彼女に心を許している証拠だ。
クロム様は攻略対象ではないけれど、設定は同じだと信じたい。
「お前まで、握った手を離すのか? どうして今さら解雇の話が出た?」
つらそうな声に、私はハッとする。
彼は以前、自分は孤児で組織の道具だったと語ってくれた。
仲間を失い己を責めるクロム様は、人一倍愛情に飢えているようだ。
「違う、離したかったわけじゃない! だって、私はあなたを――」
――愛している。だからなおさら、足枷にはなりたくないの!




