愛しているから
まさか兄は、さっきの私達を見て……。
いや、ここから噴水は、樹木で遮られて見えないはずだ。
それとも、私の頭の中を読んだの?
「どう、と言いますと?」
「ルシウス様とどのくらい親密になったのか、聞いておこうと思って」
――なんだ、予言のことではないのね。
「いいえ。どうにもなっておりません」
――ルシウスのイベントに進んで、告白めいたものをされました。ただ、その後のセリフが違っていたので好感度が上がったかどうかはわかりません。正直、それどころではないもので。
そんなふうに応えれば、熱の後遺症で頭がおかしくなったと思われるだろうか?
「カトリーナは、あんなに素敵な青年でもダメなの? あなたが誰より大事だから、無理強いはしたくない。でも、クロムは論外よ」
「……っ」
図星を指されて後ずさる。
だって今、まさに彼のことで悩んでいたのだ。
「なぜ、急にクロムさ……先生のお名前を?」
「あら。慕っているって自分で言ったでしょう? それと、アルバーノから聞いたのよ」
――おのれ~アルバーノ。秘密だって言ったのに、ハーヴィーにバラすなんてひどい!
クロム様は平民だし、人には言えない過去がある。
しかしそれは、生きていくために仕方がなかったこと。組織に従わなければ、彼や仲間の命は闇に葬り去られてしまうから。
死に場所を求めていたと、彼は語った。
でも今は、どうにか前に進もうとしている。そんな彼を、私は側で支えたい。
兄が反対するのは、やっぱり身分が違うから? もしくは私の相手を、ルシウスに定めたの?
「それにクロムには、悪い噂もあるわ」
ハーヴィーの声にドキリとして、すぐに聞き返す。
「悪い噂って?」
「その分だと、知らないみたいね。だったら教えてあげる。こっちにいらっしゃい」
兄はそう言って、出てきたばかりの執務室に私を招き入れた。
執務机の正面にあった椅子に、腰を下ろした。ハーヴィーとは、机を挟んで向かい合う。
「先日、クロム・リンデルの友人だと名乗る者が、城を訪ねてきたの。兵士の報告によると、身なりのいい男性が三名ほどだそうよ」
――クロム様のご友人って、どんな方?
あら? 彼は以前、同室の仲間を全員亡くしたと言っていた。それなら別の人?
「不思議なのはその後よ。彼らが城を出るところを、誰も見ていないの」
「……え?」
「入城記録は残っているけど、手続きを踏まずに帰ったようね。または、クロムの手で始末されたか」
――クロム様が殺害した?
「まさか!!」
心優しい彼が、そんな真似をするとは思えない。
もし事実だとしても、大きな理由があるはずだ。
――たとえば正当防衛で、襲ってきた相手を誤って倒した、とか?
ふとあることに思い至り、私は息を呑む。
訪ねてきたのが友人ではなく、組織の人間だとしたら? 王女の暗殺に失敗した彼を消すための、追っ手という可能性は?
もしそうなら、たとえ正当防衛にしても彼は無言を貫くだろう。
だって取り調べに応じたら、自らの過去も白日の下に晒される。暗殺者とバレれば、この国を追い出されてしまうから。
――もしやクロム様は、私のせいで身動きが取れないんじゃあ……。
「びっくりするのも無理ないわ。私だって、信じたくなかったもの。でもね、クロムは真面目な顔をして、あなたの気を引いた。だから、何があってもおかしくない……」
「違う、クロム様は悪くない! 私が勝手に彼を想っているだけよ」
「カトリーナ、まだわからないの! 危険な男の側に、あなたを置いておけない。仮に無関係だとしても、疑いが出た時点で教師としては失格よ」
「そんな、ひどいっ」
私は勢いよく席を立ち、机を回る。
クロム様への誤解を解こうと、ハーヴィーの腕にしがみつく。
「お兄様、証拠もないのにどうして彼を疑うの!」
「やましい覚えのない人間が、黙って城を抜け出すと思う? 友人と名乗る男性が、訪れた直後に揃って姿を消したのはなぜ?」
「それは…………私にもわからない」
本当は薄々気づいている。
クロム様は他に方法がなく、組織の者を返り討ちにしたのだろう。
男達は城を出ないのではなく、きっと出られないのだ。
彼にそうさせた原因は、私にある。
人を殺めるたびに傷つく優しい性格を知っていながら、私は彼に、自分とともに生きてほしいと頼んだ。
このままずっと側にいて、いつか笑顔を見せて。私があなたを、幸せにしたい。
私の切なる願いは、組織を抜けた彼にとって非常に難しい。それは、差し向けられた追っ手を躱し、過去を捨て、自分自身さえ偽って生きていくことを意味しているからだ。
――偽りの人生を送ることが、クロム様の幸せ? 本当にそれで、心から笑えるの?
私は今まで、そこから目を逸らしていた。
そのせいで、彼は!
私の考えが甘かったせいで、クロム様の命を危険に晒している。自由を奪い下働きまでさせておいて、私はまだ何もしていない。
それなら――。
「……リーナ、カトリーナ! 聞いているの?」
「え? いえ、あの……」
兄の厳しい声を聞き、考えごとを中断する。
「もう一度言っておくわ。いくらあなたが懐いていても、クロム・リンデルはクビよ。明日にでも出国させるから」
「待って、お兄様! クロムさ――先生は、真摯に教えてくださったわ。だからお願い。もう少し、一緒に過ごさせて」
お別れも言えないまま、さよならなんてあんまりだ。
「却下よ」
「講義が途中なの。先生でなければ、勉強が手に付かない。お兄様、お願いよ。あと一日でいいから、先生の元で学ばせて」
兄は腕を組み、考え込んでいる。
説得するならもうひと押しだ。
「どうかお願い。王女の名に恥じぬよう、行動するから」
顔の前で両手を組んで、祈るように訴えた。
兄に断られたら彼にもう会えないかもしれないと思うと、自然に涙が浮かぶ。
険しい顔のハーヴィーが、唸るように告げる。
「気は進まないけど、あと一日だけなら。護衛には、タールを付けるわ。あの男がお前を惑わせた場合、即刻斬り捨てさせるから」
「ありがとう、お兄様」
クロム様は凄腕なので、斬り捨てるのは無理だ。そう考えつつも、感謝の笑みを浮かべる。
残されたのは、たった一日。
大好きな人の大好きな姿を、心ゆくまでこの目に焼き付けたい。
暗い過去を背負ったクロム様に、笑顔になってほしかった。
私の手で、彼を幸せにしたかった。
いつかは叶うと信じていたし、そのための努力は惜しまないつもりだった。
それなのに……。
私がここに縛りつけたせいで、逃げ場がなく危険に晒されたり、疑いのまなざしで見つめられたり、陰口を叩かれたり。
大切な人の身体や心を傷つけるくらいなら、自分は彼との別れを選ぶ。
愛しているから――――。
私の願いは叶わない。




