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本当の気持ち

 淡々とした中に、抑えきれない激情が(にじ)む。

 その激しくも哀しい声音(こわね)に、私は涙が止まらない。


 ファンブックに書かれた内容だけを見て、好きだと騒いでいた私。

 そんな自分が想像もつかない過酷な人生を、彼は歩んできたのだ。


「クロム、様……」


 ――鉄格子(てつごうし)の向こうにいるあなたを、今すぐ抱きしめたい!


「これでわかったはずだ。血で汚れ、親友さえ手にかけた俺は、王女の近くにいてはいけない」

「いいえ」

「本来なら、表に立つことさえ許されない身だ」

「いいえ!」

「君がどう思おうと、それが事実だ。王女の君を巻き込みたくなくて、城を出たのに……」

「いいえ、いいえ!」


 上手く言葉にできなくて、首を激しく横に振る。

 

 ――それでも私は、あなたがいい。悲しい過去を背負ったあなたの、力になりたいの。


「泣かないでくれ。どうせ覚悟していた身だ。このまま処刑されたとしても、誰も恨まないと誓う」

「ダメよ!」


 私は鉄格子を掴み、揺さぶろうとする。

 けれど囲いはびくともせずに、冷たいだけだった。


 やがて彼の大きな手が、私の手を包み込む。


「クロム……様?」


 喜んだのもつかの間。

 彼は私の指を、外そうとする。

 ならばと逆に手を握り、(ほお)をすり寄せた。


「ねえ、聞いて。お友達が亡くなったのは、あなたのせいじゃない。悪いのは、命令を出した組織の人間よ」

「いや、実際に手を下したのは俺だ」

「いいえ。そうしなければ、生きていけなかったからでしょう? だったら自分を責めないで」


 手を引き抜かれるかと思いきや、彼は動かない。


「話してくれてありがとう。過酷な運命に耐えたあなたを、私は尊敬する。引き合わせてくれた神様にも、感謝しているの」

「カトリーナ……」

「だからお願い。生きることを諦めないで。ここで生きて、世の中はつらいことばかりじゃないとわかってほしい。そしていつか、笑顔を見せて」


 それが私の、(いつわ)らざる本心だ。

 ゲームより悲惨な現実なら、変えていけばいい。

 何より私が、彼を守りたい。


 前世も今世も私の推しは、クロム様。

 日々の(うるお)いと生きる希望を与えてくれた彼を、今度は私が幸せにしたいのだ。


 言い終えてホッとしたせいか、全身の力が抜けていく。両手がだらんと床に落ち、身体が(かたむ)いた。


「カトリーナ!」


 ――変ね。さっきまで寒いと感じていたのに、今は暖かい。


 急な眠気で(まぶた)が下がり、起き上がるのも億劫(おっくう)だ。このままここで眠れたら、どんなにいいだろう。


「頬が少し熱かったのは、熱のせいなのか? カトリーナ!」


 推しが私を呼んでいる。

 光栄だわ!


「カトリーナ、カトリーナ!!」


 ――私はここにいるのに。何度も呼ぶなんて、おかしな人ね。


 そう考えたのを最後に、私の意識は途切れた。

 



 (かす)む視界の中、天井(てんじょう)の愛らしい天使が笑うように揺れている。


 これは「芸術に力を入れたい」と告げた五歳の私が、名のある画家に頼んで自分の部屋に描いてもらったものだ。


 青く澄んだ空も白い雲も、雲の隙間(すきま)から差し込む虹も気に入っている。

 けれど私が見たいのは、金髪の天使ではなくあの人だ。


 黒髪の彼は今、どこで何をしているの?


「クロ……しゃ……ま」


 大好きな人の名を(つぶや)くと、周りの影が動く。


「カトリーナ、気がついたのね」

「カトリーナ!」

「ハーヴィー様、ルシウス殿下、落ち着いてください。熱が高く、予断を許しません」


 全身がバラバラになりそうなほど痛むのは、高熱のせい?


「カトリーナが苦しがっている。なんとかならないの?」

「……に……さま?」

「ええ、そうよ。ここにいるからね」


 ハーヴィーが取り乱すなんて珍しい。

 浅く荒い息を吐きながら、私はぼんやり考える。


 優しい兄も好きだけど、今はもっと好きな人がいる。彼と巡り会えたおかげで、私の日々は薔薇色だ。


 もう一度、彼の名前を呼んでみる。


「クロ……しゃま……」


 いつまで経っても応じてくれる気配はなく、悲しくなって目を閉じた。


「カトリーナ、ダメだ! 私を置いて()かないで!」

「カトリーナ! しっかりするんだ、カト……」


 自分の名前が遠くに聞こえ、徐々に音が消えていく。

 ふいに身体が軽くなり、全ての痛みから解放された。


 ――ああ私、このまま死ぬのね。


 その瞬間、目の前が赤くチカチカした。そして薔薇の花びらが、通り過ぎていく。


 ――違う、これじゃない!


 私が好きなのは、この赤じゃない。

 恐ろしいほど美しく、哀しみを(たた)えた深い赤。赤い瞳が嬉しそうに輝くところを、いつか見てみたい。


 このまま意識を手放せば、楽になるだろう。

 でもここで諦めれば、私は二度と彼に会えない。


 ――ダメ。ひとりぼっちのクロム様を、置いてはいけないわ。


 彼を一番理解しているのは、私。

 彼を一番好きなのも、私

 彼のために自分を犠牲にできるのも、彼を支えたいと願うのも、この私だ。


 それなら私の愛で、幸せにすればいいのでは!?


 ――そうか。私は彼を推すだけでなく、恋人になりたかったのね。


 熱に浮かされているせいで、自分の本音が見えてきた。


 毎日彼に、好きだと告げたい。

 私の愛で彼を幸せにできたら、どんなにいいだろう。

 

 花弁の残り――命はまだ、二つある。

 決して遅くはないはずだ。


「カトリーナ、頼む。なんでもするから、戻ってきてくれ!」


 悲痛な叫びは兄のもの? 

 だったらお願いしてみよう。


 私はかつてないほど力を入れて、懸命に唇を動かす。


「……に……様……」

「カトリーナ! 良かった。ああ、カトリーナ……」


 兄の柔らかい髪を、頬に感じる。

 彼の気が変わる前にと、私は声を絞り出す。


「……クロ…………牢……ら……出し……て」


 ハーヴィーの表情がわからず、不安に駆られた。声がガラガラだったので、聞こえなかったのかもしれない。


 でもこれ以上しゃべったら、痛くて(のど)(つぶ)れそう!


【薔薇の瞳】の能力で、全ての感覚が戻ってきていた。そのほとんどが痛みで、あとは全身の倦怠感(けんたいかん)

 痛みが薄れたさっきの方が、よっぽど楽だったのに……と、思わないでもない。


「…………わかった、約束する。だからあなたは、良くなることだけ考えて」


 私はふっと微笑んだ。

 ハーヴィーが保証してくれたから、クロム様はもう大丈夫。


 全身が熱く、(なまり)のように重い。

 だるくて痛みもするけれど、推しを思えば乗り越えられる。


 治ったら真っ先に彼に会いに行こう。

 鉄格子を(へだ)てずに、好きだときちんと告白したい。



 水薬を飲み終えた私は、たちまち睡魔(すいま)に襲われた。

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