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クロムの過去

「いいえ、謝りたくて来ました。クロム様、こんなことになってごめんなさい」

「何を謝ることがある? 罪を犯したのは俺だ。君には関係ない」

「違うわ! 私のせいで、あなたが牢に……」

「いいや。元はと言えば、俺が悪い。教師の職を引き受ける際、秘密保持の契約書にサインした。勝手に姿を消すのは、捕らえられても仕方のない行為だと承知している」

「そんな! だったら私も牢に入る。私が探しに行かなければ、あなたがこんな目に遭うことはなかったんだもの」


 推しに迷惑をかけるつもりはなかった。

 ぜひとも挽回(ばんかい)したい。


 それでなくとも石の床は冷たくて、夜は結構冷えている。大事な彼が風邪でも引いたら大変だ。


「よいしょっと」


 ローブを脱ぐ私を見て、クロム様がギョッとする。


「何を……」

「身体を冷やすといけないので、これを羽織(はお)っていてください」


 私は鉄格子の隙間(すきま)から、脱いだローブを差し入れた。


「結構だ。そもそも小さくて着られないし、俺は寒さに慣れている。君こそこんなところにいないで、早く戻るべきだ」


 ――クロム様が私を心配してくれた。なんて優しいの!


「いいえ。私だって同罪だから、一晩中あなたの側にいる」

「……は? 何を言っているんだ。王女の君が、こんなところにいていいわけがないだろう?」

「どうして? クロム様の(そば)が私のいるところ。王女の身分が邪魔になるなら、今捨てたって構わない」

「バカな!」


 クロム様が興奮し、鉄格子を掴む。

 そんな自分にハッとしたらしく、急に押し黙る。


 いつもと違う彼の姿に、私は感動にうち震えた。


「クロム様……」

「ほら、着るんだ。速やかに自分の部屋へ帰れ」

「いいえ。震えたのは、寒さと関係ないの」


 大好きな推しが、私の前で感情を(あら)わにしてくれた。その上、暗闇で二人きり。

 

 鉄格子が邪魔だけど、こんな機会はめったにない。

 これってなんのご褒美(ほうび)? 


 けれど、クロム様は整った顔を(くも)らせる。


「俺を知らないから、そんなことが言えるんだ。年上の、しかも国外出身の男がもの珍しかっただけだろう?」

「いいえ。私は……」

「だったら、満月の夜が原因か? 恐怖のドキドキを恋愛のときめきと勘違いするなんて、どこまで世間知らずなんだ!」

「それも違うわ。だって私、本気であなたを――……」


 危ない、危ない。

 今、愛してるって言いかけなかった?

 ファンのくせに図々しいわ。


「……ええっと、幸せにしたいもの」

「はっ、何を言うかと思えばまたそれか。言っただろう? 俺は幸せなど知らないし、知る権利もない。素性もわからぬ男に、よく気を許せるな。だったら詳しく教えてやろう」


 怒りの(にじ)んだ声でそう言うと、クロム様は自身の過去を語り始めた。




「俺の祖国はセイボリー王国ではなく、本当はオレガノ帝国だ。嫌な思い出のある国を、そもそも祖国と呼べるかどうか……」


 もちろん知っている。

 クロム様はオレガノ帝国内の、とある組織の所属だ。

 私は石の床に腰を下ろしたまま、黙って耳を(かたむ)ける。


「王女の君とは違い、俺は孤児だ。親の顔も覚えておらず、持ち物はブローチだけ。気づいた時には薄汚れた裏通りで、大人達にこき使われていた。そんな俺を拾ったのが、『キメラ』と呼ばれる組織だ」


 組織の名前は初めてだけど、彼が孤児というのはファンブックにも()っている。


「組織は大きく快適で、衣食住には困らない。同室の仲間が十人もいると喜んだのは、最初のうちだけ。俺達はそこで、暗殺者となるための訓練を受けた」


 赤い瞳を見つめると、彼はわずかに口元を(ゆが)めた。


「身寄りのない孤児は死を報告する必要がなく、組織にとって都合がいい。やがて任務が割り振られ、食事は成功した時にしか出なくなった」

「そんな! じゃあ、失敗すれば食事抜き?」


 クロム様が目を細めた。

 つらそうな瞳は、何を物語っているのだろう?


「そうだ。ただ、空腹はいつかは慣れるし、それで済むうちはいい。しかし腕を上げるにともなって、複雑な仕事が舞い込むようになった。失敗すれば、一人、また一人と減っていく」

「それってまさか……」

「失敗には死を。死ぬのは、任務を()()った本人とは限らない。上層部の判断で、同室の仲間が代わりに消されたこともある」

「そんな!」

「逃亡や敵への寝返りを防ぐため、幼い頃から同室の者とわざと親しくさせておく。そして、仲間のために命を()けさせる――それが、やつらの手口だ」

「ひどい!!」


 ファンブックには、その辺のところは書かれていなかった。

 初めて知った事実に、私は驚愕(きょうがく)する。


 推しの想像以上に悲惨な過去に、胸が締めつけられそうだ。


「敵への寝返りを防ぐため? だったら今頃、あなたの仲間は……」


 ことの重大さに気づき、顔から血の気が引いていく。


 クロム様がここにいると、同室の誰かが被害に()う。

 私はそうとも知らないで、彼を引きとめた。


 ――まさか私のせいで、他の命が犠牲になったの?


 ガタガタ震える私の前で、彼は首を横に振る。


「まだ続きがある。悲しみにくれるだけでは誰も(まも)れない。そう考えて非情に(てっ)した俺は、『キメラ』でも一、二を争う腕となった。だが、俺ともう一人を残して、同室の仲間は任務で命を落としてしまう。残った一人とは仲が良く、ほぼ互角の腕だった」


 ――だった? 


 怖くて言葉が出ない。

 それならもしや、その人が?


「この国に来る少し前、俺は組織の外でそいつと顔を合わせた。暗殺を請け負った先の貴族の屋敷で、だ」

「……え?」


 それって組織が、要人の殺害を同時に依頼したってこと? 

 二人がかりの相当難しい任務なの?


 クロム様が目を閉じて、低く(うな)るような声を出す。


「互いに敵として。俺達は敵同士として、仮面舞踏会で顔を合わせた。そうとも知らずに俺は、仮面を(かぶ)った仲間を嬉々(きき)として討ち取った。これでまた二人とも助かる、このままずっと生き延びられると、そう信じて。倒した相手の刺客(しかく)こそが、励まし合った友だったのに……」


 彼が目を開くと、赤い瞳には静かな炎が燃えていた。


「組織は俺達を、暗殺の道具としてしか見ていない。腕利きを二人も送り込んだのは、敵味方のどちらに転んでもいいように。やつらは自らの手で親友を討った俺に、『気にするな』と(いつわ)りの慰めを口にした」


 かける言葉が見つからず、嗚咽(おえつ)を殺す。

 そんな私を一瞥(いちべつ)し、彼は再び口を開く。


「心を殺して生きるのは、限界だった。友を失い生きる意味を失った俺は、死に場所を求めて異国の任務を引き受けた。自分にはもう、失うものは何もない。そう思っていたのに――」

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