黙って消えないで
「違うわ! 私には、他人と異なる特殊な能力があるの。【薔薇の瞳】と言って、薔薇の花びらの数だけ命を持っている。残りは三つ。つまり、ちょっとやそっとじゃ死にません」
クロム様が目を細め、額に手を当てた。
そんな何気ない仕草も絵になって、見惚れてしまう。
「確かに王族に連なる者には、時々能力が発現すると聞く。瞳に神の象徴である太陽や月、星が浮かぶというならわかるが、薔薇とは?」
「……さあ?」
大陸の国は元々一つで、天から降りた神が王族の祖先だという説が濃厚だ。そのため特殊能力を持つ者は、天体に関する印が瞳に浮かぶ。
クロム様の疑いはもっともだけど、元々ゲームの設定なので、私にだってわからない。
「命が複数あるなんて、聞いたことがない。おとぎ話と混同しているのか?」
「いいえ、本当のことよ。疑うなら、試してみてもいいけれど……」
私は落ちていた剣を拾うと、刃先を自分の手首に近づける。
「やめろ。もし真実だとしても、やめてくれ……」
振り絞るような彼の声にハッとする。
『クロムは、心優しき暗殺者。相手がどんな極悪人であろうと、亡くなった後は決まって心を痛める』
ファンブックの一文だ。
そのことを知りながら、私は――。
慌てて剣を放り投げ、彼の腕にしがみつく。
「ごめんなさい、今のは私が悪かったわ。だけど、あなたを想う気持ちは本物だと信じてほしいの」
私にとって推しのいない日々は、太陽が消えた砂漠、風のない大海原、星の見えない闇の夜。
進むべき道を失って、己の存在意義さえ見失う。
「だからお願い。私の側にいて」
感情が高ぶり、涙が溢れた。
今度は泣き落としなどではなく、本物の涙だ。
「クロム様……うう、クロム様……」
――私を置いて行かないで。ずっと側にいて。そしていつか、あなたの笑顔が見たいの。
自分勝手な理屈だし、推しのためと言いながら、本当は自分のためだ。彼の自由を尊重するなら、ここで別れるべきかもしれない。
でも私は、彼を失うなんて耐えられない。
――巻き込みたくないからと、私に黙って消えないで。同じ想いを返してくれなくてもいい。だからお願い、一人で遠くに行かないで。
言いたいことはいっぱいあるのに、どれも口にはできなくて、ただただ泣きじゃくる。
「君は、そこまで俺を……」
クロム様が言葉を切って、天を仰ぐ。
漏れ出た大きな吐息は、私に呆れているから?
私は急いで身体を起こし、引きつった笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。これは、その……」
「……カトリーナ様!」
取り繕おうと発した言葉が、通りの端から響く声にかき消されてしまう。
「クロム、その場を動くなっ」
声の主はタールで、こちらに向かって全速力で駆けてくる。
「カトリーナ様、よくぞご無事で……」
「ター坊、よくここがわかったわね」
冷静に対応しようと努めるけれど、涙の跡は隠せない。
そんな私に気づき、タールの目が険しくなった。
「クロム・リンデル。国家騎士の名において、貴様を捕縛する」
「えっ⁉」
驚く私を尻目に、タールがクロム様の腕を掴む。
「待って! タールったらどうしたの? 話が違うわ!!」
タールは私の抗議を聞き流し、クロム様の腕に縄をかけている。
私は焦って、二人を引き離そうとする……が、離れない。
「クロム様、逃げて!」
しかし彼は抵抗せずに、黙ってタールに従う。
「ター坊――タール、彼を離しなさい!!」
けれど彼は聞き入れない。
味方と思っていたタールが、私をあっさり裏切るなんて。
彼は抵抗する私を部下に引き渡すと、クロム様を自ら連行していった。
城に戻った私は、急いでローブを脱ぎ捨てた。クロム様の安否を侍女に尋ねる。
「クロム先生を見なかった? タールと一緒にいるはずだけど……」
「さあ? 彼の行方はわかりませんが、第三騎士団長なら、王太子殿下の執務室に向かわれましたよ」
「そう、ありがとう」
私はハーヴィーの執務室に急ぎ、返事も待たずに入室する。
そこには兄とタールがいて、同時に振り向いた。
「カトリーナ、お帰り。無事で良かった」
穏やかな声のハーヴィーだけど、私の怒りは収まらない。
「ただいま戻りました。ねえ、タール。これはいったいどういうことなの!」
タールに詰め寄る私を、兄が制止する。
「カトリーナ、彼を責めないでちょうだい。全て私の指示よ」
「なっ……」
開いた口が塞がらず、そのまま二人を見比べる。
「ハーヴィー様のおっしゃる通りです。クロム・リンデルを発見次第捕縛せよ、とのご命令を受けました」
きびきびしたタールの声音は、いつもより低い。
「そんな……」
「ですが、先ほどハーヴィー様に申し上げた通りです。俺は、裏通りに消えていく姫様を見失いました。一歩間違えれば、危険な目に遭っていたでしょう」
「王女の護衛が、主を裏通りに行かせたのね」
「申し訳ございません。どのような処罰でも、受け入れます」
腕を組んだハーヴィーに、タールが頭を下げている。
でも待って! 私にだって言いたいことがある。
「いいえ。私が無事だったのは、クロム様のおかげなの」
途端に兄の顔が強張って、タールは口を引き結ぶ。
「カトリーナの意見は聞いていない」
「これだけは言わせて! クロム様は、裏通りでごろつきに襲われかけた私を、守ってくださったわ」
「なんだと!」
兄の目が、怒りに燃え上がる。
「タール、どういうことだ?」
「いえ、あの……」
ハーヴィーの剣幕に圧され、しどろもどろのタールがちょっぴり気の毒だ。
「お兄様やめて! 悪いのは、私だもの」
気まずい空気をどうにかしようと、発言したのが良くなかったらしい。
ハーヴィーは私の眼前で、目をつり上げた。
「ああ、そうだ。まさか王女のお前が、裏通りに飛び込む愚行を犯すとは。だが、全ての元凶はリンデル――いや、逃亡者クロムだ。職務放棄に留まらず、王女を誘惑したと見える」
「違うわ!」
ハーヴィーの口調は荒いものの、私は必死に言い返す。
兄はふっと目を細め、首をかしげた。
「何が違うの? まあ後日、詳しく取り調べれば済むことね」
嫌な予感に襲われて、私は兄に聞いてみる。
「後日? じゃあ、クロム様は今……」
「もちろん牢獄にいるわ」




