絶体絶命
一瞬頭が真っ白になるものの、これだけはわかる。
――急いで逃げなくちゃ!
「お兄様、ごめんなさいっ」
兄の胸を突き飛ばし、スカートを摘まんで走り出す。
攻略難易度の高いハーヴィーは、自ら義理の兄だと打ち明ける。積極的になるのは、その後だ。
――もしや、ルシウスに続いてハーヴィーまでショートカットを?
転がるように遊歩道を駆け抜けて、城まで一直線。
追いかけてこないところを見ると、兄は私をからかっただけ?
それから二日後。
ようやく願いが届いたのか、嬉しい報せが飛び込んだ。
「カトリーナ様! クロム・リンデルらしき人物を、街中で見かけた者がいます」
「本当? 街中って、王都のことよね?」
「はい。どうしますか?」
「どうって、会いに行くに決まっているでしょ。ター坊、今すぐ連れて行って」
「だから、ター坊と言うのは……。それより、その恰好で行くんですか?」
「あら、嫌だ。着替えなきゃね」
街中で鮮やかな赤いドレスはかなり目立つ。
だけど、前回のようなお忍び用の服装で騎士を連れ歩くのも変だ。
我が国で国家騎士は名誉な職とされていて、憧れる者も多い。町人の服を着た私が彼らに同行していたら、それだけで注目を集めてしまう。
何かいい方法は――……そうだわ!
私はタールに頼み込み、従卒用の制服を借りることにした。
黄緑の胴衣に薄茶のズボン、腰には剣を下げるための革ベルト。そこにフード付きの茶色のローブを羽織る。
これだと騎士に混じっても違和感がなく、男装しているのでクロム様にもバレない。私を見るなり逃げる……な~んてことは、ないだろう。
クラリスには、「頭が痛いので一日休む」と告げた。
ベッドの真ん中を膨らませたので、不在には当分気づかれないはずだ。
タールと私、クロム様を探し出した優秀な国家騎士の三人で街へ。
秋も半ばで寒いせいか、行き交う人々が足早に通り過ぎていく。
香ばしい焼き栗の香りがするけれど、立ち止まっている場合ではない。
けれど、クロム様は発見された場所にはいなかった。
「遠くに移動していないと、いいけれど」
――私の暗殺に失敗した彼は、組織に戻れず他に行き場はないはずよ。
考えごとをしていたため、うっかり人にぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
「いいえ」
相手の声を聞いた瞬間、息を呑む。
――これは、クロムしゃま‼
顔を上げると、黒いあごひげを生やした地味な服装の男性と目が合った。
――赤い瞳だ!
男性はすぐに背を向け、足早に去っていく。
変装していても、私にはわかる。
彼は絶対クロム様!
ここで逃してなるものか!!
私は全力疾走で、男性の後を追う。
「なっ……。カトリーナ様!」
「え? 待ってくださいっ」
護衛に呼びとめられるけど、彼を追いかける方が先だ。
身体を鍛えた私にとって、走ることは苦にならない。あごひげの男性に続いて、裏通りに飛び込む。
「クロム様、待って!」
ようやくお会いできたのに、どうして逃げるの?
クロム様は、少し痩せたみたい。
上手く躱せずぶつかるなんて、相当弱っているのでは?
裏通りは貧しい地域で、治安が悪いとされている。
だけどクロム様は鬼強なので、その点は心配していない。
「お願い、待って!」
もう一度呼びかけるけど、返事はなかった。
待つどころか加速するため、彼との距離は縮まらない。
――弱っていても足が速いなんて、さすがだわ♡
洗濯物が干された通りを駆け抜ける。
頭上に注意が向いたため、石畳の欠けた部分に躓いてしまう。
「うわっ、ととと。……セーフ」
安心したのもつかの間。
クロム様がいない!
「ここまで来たのに、そんなあ。クロムしゃま……」
慌てて角を曲がるが、そこにもお姿はなかった。
通りが細かく分かれているため、行き先もわからない。付近をくまなく探してみても、目当ての人物はいなかった。
「そういえば、ター坊達も見当たらないわね。もしかして、彼らともはぐれた!?」
裏通りは、複雑で行きどまりが多いと、知識としては知っている。同じような道が続くため、自分が今、どこにいるかもわからない。
壁に何度も行き当たり、疲労も増していく。
「ま~た袋小路? クロム様どころか帰り道も見つからないなんて、そんなのあり?」
とぼとぼ歩く私の前に、突如、二人の男が現れた。
背の高い男と低い男で、いかにもガラが悪そうだ。どちらもつぎはぎの服を着て、薄ら笑いを浮かべていた。
彼らは私の行く手を、わざと塞いでいる。
「おんやあ? こ~んなところに迷子がいるぞ」
「もしもーし、僕、どこから来たんでちゅか~」
――相手にしてはいけない人達だ!
悟った私は、無言を貫く。
すると、男達は手の平を返したように、ドスの効いた声を出す。
「おいおい。親切に話しかけているのに、無視するつもりじゃねーだろうな?」
「俺らに挨拶もなしとは、いい度胸だ」
ごろつきなんて『バラミラ』には登場しない。
前世の私も、テレビやマンガで見る程度。
実際に絡まれた経験はない。
腰に下げた剣に手を触れるが、二人はそんな私を鼻で笑い飛ばす。
「お前、細っこいのに俺らとやり合う気か?」
「痛い目を見たくなければ、ちーっとばかし通行料を置いていけ」
背の高い男が、懐からナイフを取り出した。普段からこうして、人を脅しているものと思われる。
私は首を横に振る。
お金を持っていないので、払いたくても払えない。
「お前、俺達をバカにするのもいい加減にしろよ」
「あっ……」
背の高い男に気を取られている隙に、もう一人が私のフードをめくり、素早く飛び退いた。
「へえ~。えっらいべっぴんさんだな。お前、もしや女か?」
「おやおや? 女なら金じゃなく、別の方法で払ってくれてもいいんだぜ」
別の方法?
それってまさか――。




