前世の記憶
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私、カトリーナは王太子で兄のハーヴィーにくっついて、隣国セイボリーを訪問していた。
けれど兄は我が国の代表として、外交会議に出席している。
小さな私はお留守番。
庭園の散策だけでは飽き足らず、桃色のドレスの裾を翻す。
「姫様、お待ちください。走ると危ないですよ!」
乳母の忠告も聞かず、私はツタの巻きつく鉄の門を一気にくぐり抜けた。
「わあ~」
開けた場所に、絵のような光景が広がっている。
中央の噴水を取り囲むように花壇があり、そこに赤や白、ピンクやオレンジなどの薔薇が色分けされて咲いていた。
最も目を引くのは、噴水の前で驚いたようにこちらを見つめる男の子。銀色の髪が陽に透けてキラキラ輝き、小さな顔は繊細で人形みたいに麗しい。
初めて会うのにそんな気がしないのは、彼が天使に似ているから?
私はふらふらと誘われるように、その子に近づく。
すると、横の茂みがガサッと揺れた。
――そんなところから来るなんて、乳母も大変ね。
笑いながら振り返った私は、大きな動物と目が合った。
「おおかみ!」
びっくりして、思わず叫ぶ。
灰色の大きな狼は、私を狙って――いえ、噴水の前の男の子を睨んでいるみたい。
「あぶないっ!」
考えるより先に、身体が動く。
懸命に走り、気づけばその子の前に身を投げ出していた。
「きゃあっ」
「うわっ」
直後にドンという衝撃で、二人まとめて地面に叩きつけられた。
続いて私の首に、太い釘のようなものが突き刺さる。
この焼け付くような痛みは、狼に噛まれているからなの?
「……うう……痛い……」
「キャーッ」
「……ひ、姫様!」
辺りに響く叫びと悲鳴。
駆け寄った大人達が、私の上の狼を必死に引き剥がす。
――私、このまま死んじゃうの?
絶望に駆られたその時、目に赤い何かが映った。
気になった私は、ふと噛まれた箇所に手を当てる。
「あれ? 牙の跡が…………ない!?」
深く突き刺さったはずなのに、触った首の表面がすべすべしている。
「そんなバカな!」
私が庇った男の子は無傷らしく、青い瞳で心配そうにこっちを覗き込んでいた。
その瞬間、頭の中をある映像が駆け巡る。
――これって、『バラミラ』のチュートリアル画面だ!
気づいた私は、恐怖というより喜びのあまりカタカタ震えた。
だってヒロインの名前はカトリーナ、そして私もカトリーナ、前世の私は加藤莉奈。
名前が一緒、人物が一緒、家族構成が一緒。
噴水の周りに薔薇が咲くあの場所は、ゲームのチュートリアル(操作方法説明)画面。
覚えのある光景に、確信が深まった。
「まさか自分が、ゲームの世界に転生するなんて……」
かつて日本の大学生だった私、加藤莉奈は、この『散りゆく薔薇と君の未来』通称『バラミラ』というゲームの熱烈なファンだった。
ストーリーは難しくとも美麗なスチル――画像と、イケボ――美声にどんどん嵌まっていく。
当然ゲームの関連グッズも買い集め、ファンブック『a piece of rose』には涙を流す。
好きが高じて叫びすぎ、仲間内からは『限界オタク』と呼ばれていた。限界オタクとは、推しへの言動が突き抜けて痛々しいオタクのこと。
そんな私が好きなのは、攻略対象ではなく脇役の男性だ。
「ゲームの設定通りなら、今のは狼ではなく狼犬。オレガノ帝国の組織の者が、事故に見せかけてルシウス王子に怪我を負わせようとしていたのよね」
「姫様?」
「ええっと、なんでもないわ」
慌てて応え、乳母の胸に顔を埋める。
危ない、危ない。
中身は二十二歳でも、今の私は五歳児だ。
「奇跡的にお怪我がなくて、ようございました」
――まあね。カトリーナは命がたくさんあるし、今はゲームのスタート前だもの。
ヒロインのカトリーナは、【薔薇の瞳】を持つ。
花びらの枚数と同じ八つの命を有し、命を落とすたびに瞳に浮かぶ花びらの数が減っていく。全ての花弁が散ると、ゲームオーバーだ。
たった今、幼いルシウスを救って一つ失ったので、ゲームのスタート時にはすでに七つとなっている。
――選択肢もなくチュートリアルで失うのって、ひどいと思うの。
ちなみにヒロインの攻略対象とされるイケメン達も、それぞれ瞳由来の能力を備えている。
【星の瞳】で予知ができたり、【月の瞳】で遠くが見えたり。
敏捷性が増す【彗星の瞳】というのもあった。
ゲームの登場人物は全員好きだけど、推しは暗殺者のクロム。
皮肉なことに、彼は私――王女カトリーナの命を狙っている。
もしもこの世で会えるなら、重い過去を背負った彼を笑顔にしてみたい――。