推しに願いを
クロム様が素早く身を隠してくれたおかげで、満月の夜のことは誰にもバレなかった。
力のこもった説得と子犬のフェリーチェをだしにした結果、彼は今もここにいる。
「クロム様、勉強の続きを教えてください。あと、せっかくですので気軽に接してくださいね」
「……わけを聞かないのですか?」
「わけ? 必要ありませんわ」
クロム様が目を丸くする。
命を狙われた理由を尋ねない私に、驚いているみたい。
「ですが……」
どうしよう?
「信じているから」と言うのは変だし、「ストーリーを知っている」では警戒されてしまう。
この先『バラミラ』に暗殺者の出番はないので、慎重に答えなくてはならない。
「あなたは優しい人でしょう? 私には、それだけで十分なの」
クロム様の焦燥や葛藤を、考えなかったわけじゃない。
でも、私があなたを幸せにするから、ずっとここにいてほしい。
もちろん、好感度を上げようと画策したことや、捕縛用の縄まで用意したことは、本人には内緒だ。
クロム様は私を穴の開くほど見つめ、やがて諦めたようにため息をつく。
「わかりました。教師の職は続けましょう。教育し直さないと、カトリーナ様は自らの命を省みない傾向にありますからね。まあ、私が言うのも変ですが」
「あの時は必死でしたもの。クロム様が残ってくださるなら、危険な行為はしませんわ」
そんなわけで私は今、クロム先生の講義を聴いている。
気やすい仕草や口調は一夜限りで、今ではすっかり元通り。
――もう一度、『俺』って言ってくれないかな?
山吹色のドレスに身を包んだ私は、勉強部屋で推しに願う。
黒いシャツに黒いトラウザーズ姿のクロム様は、本日ももれなく麗しい。
「――というわけで、セイボリー産の魔道具は、馬車にも搭載されています。馬車と言えば、カトリーナ様が街中で馬車の前に飛び出された時には、ひやりとしました」
「あら。前にも言ったと思うけど、あんなふうに飛び出したのは、偶然クロム様の姿をお見かけしたからで……」
「偶然、ではないとしたら?」
「運命!」
喜び勇んで答えると、クロム様は口元を歪めた。
次いで身体を傾けて、私の耳に唇を寄せる。
「いいえ、偵察です。あの時私は、あなたを亡き者にする機会を窺っていました。どうです? 嫌いになったでしょう」
「全然。クロム様は、バルコニーから落ちた私を庇ってくださったじゃない。嫌いになんて、なれません」
――というか、むしろ好き♡
推しは、囁き声も渋くて素敵。
暗殺の危機は乗り越えたから、安心してドキドキできる。
壁際に立つ侍女クラリスの視線は鋭いが、私達の会話は聞こえてないはずだ。
「改めて、クロム様にお願いがあります」
「なんでしょう?」
「次回の公務に、同行してくださいますか?」
「カトリーナ様のご公務に? なぜ?」
クロム様はわからないというふうに、眉をひそめている。
「ええっと、兄に臨時の会議が入ったので、橋を架ける予定地の視察を代わることになりました。ルシウス様がご一緒なので、失敗できません」
「失敗? 視察で失敗、とは?」
「ほら、国境沿いの土地ってセイボリー王国寄りでしょう? 訛りがひどくて聞き取れないと、住民の要望を汲めないかもしれません」
「そのために、ルシウス様がいらっしゃるのでは?」
――マズいわ。せっかくのクロム様との初旅行(違う)よ。もっともらしい理由を捻り出そう。
「だからこそ、です! 隣国の王子に頼らなければならないなんて、王女として情けないででしょう?」
「大丈夫ですよ。カトリーナ様のセイボリー語は完璧です」
「いいえ。ええっと……方言! 独特の言い回しがあると、太刀打ちできません」
「国内で、そこまで気負う必要はないと思いますよ」
「念には念を入れたいの。語学に堪能な通訳が必要です。ぜひ、クロム様のお力を貸してください」
拝むような仕草で、弱々しく見つめた。
『弱々しく』――ココ重要。
「……仕方がありませんね。ですが、あくまで通訳として同行するだけですよ」
「ありがとうございます。クロム様!」
涙が出るほど嬉しい。
クロム様を誘った理由は他にもあるからだ。それは、兄のハーヴィーだった。
兄は都合がつかないだけでなく、私とルシウスとの仲を取り持とうとしている節がある。
『せっかくの機会よ、二人で仲良く行ってらっしゃい。問題点の聞き取りは、ルシウス殿下にお任せすればいいから』
『それなら私ではなく、専門家に同行をお願いしてみては?』
『国際的な事業を、他人に託せと言うの? 私は、信頼できる可愛い妹にお願いしたいわ。他にも人手がいるなら、許可してあげるから』
兄は、地質調査の専門家を指していたと思われる。
でも私はもちろん、クロム様を選ぶ。
彼だって、セイボリー語の専門家だ。
それから十日後。
私とクロム様とルシウス、護衛のタールと侍女のクラリスは、揃って視察に出かけた。




