暗殺者 クロム2
私が突進したせいで、クロム様はナイフを落としてしまったらしい。
その彼は、絡みつく私を引き剥がそうと、足を乱暴に動かした。
「ナイフを見ても驚かないとは、なぜだ? それより、放してくれ…………放せ!」
「ぐぎぎぎぎ」
邪険にされればされるほど、私は必死にしがみつく。
――ここで離れてなるものか。十年に渡る筋トレは伊達ではなく、この日のために身体を鍛えてきたのだ。
本来ゲームヒロインである私の、ここでの分岐は二つ。
一、攻略対象の好感度を上げずに、この場でクロム様に暗殺されてゲームオーバー。
二、全員の好感度を少しずつ上げて、暗殺を回避する。この場合は殺されなくて済むけれど、暗殺者のクロム様は人知れず去って行く。
そこで自分なりに考えて、第三の道筋を作り出した。
三、好感度を上げて暗殺されないようにして、なおかつクロム様も逃がさない。
体力作りや筋トレはそのためで、加えて泣き落としの練習も重ねた。
今こそ、成果を発揮する時だ!
「クロム様、お願い~~。ナイフ持参で侵入したのは内緒にするから、行かないで~~」
自慢じゃないけど、ヒロインのカトリーナは顔がいい。澄んだ紫色の瞳に浮かぶ涙を見れば、クロム様だってイチコロよ。
「行くも何も、動けないんだが?」
あれ? 効かない。
チッ、泣き落としでもダメか。
素っ気なくはあるけれど、クロム様は『心優しき暗殺者』。
ナイフがなくとも彼ほどの手練れであれば、私に拳を振るえば簡単に抜け出せる。そうしないのは、きっと彼の優しさだ。
推しの性格を知るからこその、この作戦。
彼の出番はここまでだから、命を懸けても逃さない。
「お願いいいい。どっかに行くって、言わないでええええ」
推しの長い足にしがみついたまま、ひたすら懇願。
「……はあ。わかった、わかった。どこにも行かないと誓う。……これでいいか?」
「本当に? これからも、私の側にいてくれますか?」
「………………ああ」
――ん? 今、ずいぶん間が空いたような。
無表情なので感情が読めないけれど、推しの言葉は信じたい。
それが本当のファンだもの。
「わかりました。それなら私も、今夜のことは誰にも言いません」
クロム様と交わした言葉は、もったいないのでクラリスにも秘密にしよう。私の心のアルバムに、永久保存するのだ。
「クロム様……」
名残惜しいが、がっちり回した両腕を推しの長い足からゆっくり外す。
見上げて微笑んだ、その瞬間――。
クロム様は踵を返し、バルコニーに向かって走り出す。
「そんな、話が違うわ! 行かないで‼」
これは何度も見た流れ。
腕利きの刺客は、バルコニーの手すりからひらりと飛び降りると、二度と姿を現さない。
「嫌あああああっ!」
叫ぶと同時に猛ダッシュ。
ゲーム通りの展開をとめようと、手すりに乗るクロム様に、なりふり構わずタックルする。
「うわっ……」
「……へ?」
気づけば身体ごと、手すりの向こうに投げ出されていた。
「うわあぁぁぁ」
「ぐっ……」
全身に衝撃を受け、目の前がチカチカする。
ここは城の二階で、前世のワンルームマンションの二階とは造りが違う。天井の高さが倍以上あるため、地面までの距離が長い。
いくら複数の命を持つ私でも、今度ばかりは無傷じゃ済まないだろう。
散りゆく薔薇の残像と暗闇のせいで、周りがよく見えない。
花弁の残りはあと五つ。
――あれ? 今日は、身体がちっとも痛くないわ。
暗さに目が慣れるにつれ、状況が判明した。
私は今、クロム様の腕の中。
なんと、推しを押し潰してる!
「ご、ごご、ごめんなさい」
慌てて下敷きとなった彼の上から下りて、頭を地面にこすりつけた。
クロム様は腹筋の力だけで上半身を起こすと、はらりと落ちた前髪をかき上げる。
――何これ、サービスシーン? スチル、ぜひスチルにほしいわ!
いや、待った。
浮かれている場合ではない。
受け身の姿勢で私を庇ったクロム様の、大事なお身体が傷ついていないか心配だ。
「お怪我は? 傷はありませんか?」
推しの肩をガシッと掴み、徐々に手を下ろす。
鍛え方が違うのか、胸板は厚く腹筋は硬い。
幸い骨折などは見当たらず、痛がる素振りもなかった。
「まあ! 大切なお顔に傷が……」
彼の顔を両手で挟み、慌てて覗き込む。
でもそれは、頬についた土だった。
ホッとした途端、力が抜ける。
「良かった……」
「俺は無事だが、この体勢では動けない」
――うひゃああああ。俺? 今もしかして、俺って言った?
貴重な推しの『俺』呼びゲット。
これだけで、ご飯三杯は軽くいけそうな気がする。
「……おい」
呼びかけられて、ふと気づく。
至近距離にクロム様のご尊顔……って、近い、近いわ!
確認するのに夢中で、無意識のうちに推しに密着していたらしい。
王女ともあろうものが、推しを押し倒すという、はしたない行為をするなんて……。
すぐさま離れて深呼吸。
ここは一つ冷静に。
「クロム様、私を庇ってくださって、ありがとうございました。ほら、あなたはやっぱり優しい人でしょう?」
威厳を保ちつつ、心からの言葉を口にした。
月明かりに照らされた赤い瞳は、私をじっと見つめている。
――なんて麗しいの!
圧倒的な美貌に感激し、泣かないように目を閉じた。
すぐにバタバタという靴音を耳にして、目を開く。
「こっちだ。音の主はこの辺に…………王女殿下?」
「カトリーナ様、夜分になぜ?」
警備の兵士に応えあぐねて、横を見た。
――あら? クロム様がいないわ。
兵士達には、「夜の散歩」と言い張った。
信じてもらえたかどうかは、定かではない。




