私の推しは素敵でしょ
王都近郊の閑静な住宅地を抜けた先に、レンガ造りの孤児院がある。
元貴族の邸宅を改装したというその庭で、私――ローズマリー国の王女カトリーナは、子供達に混じって絵を描いていた。
「おうじょさま、なにかいてるの?」
「聞かなくてもわかるよ。いつもの人でしょう?」
小さな女の子と年長の少女が近づいて、描きかけの絵を覗き込む。
「ええ。今日も、もちろんクロム様。どう? 私の推しは素敵でしょ」
「おうじ?」
「いいえ。王子じゃなくって推し。王子様は別にいるもの」
真面目な顔で教えてあげると、年長の子は訳知り顔に微笑んだ。
「おしって、好きな人って意味だっけ?」
「そうよ。応援したいという意味でも使われるけど、私はすっごく好きなの」
「ふうん。その割には普通の顔だけど?」
「それは腕前のせいね。実物は、これとは比べものにならないほどカッコいいんだから」
私は絵の中で微笑む黒髪の男性を、うっとり眺めた。
「ねえ、カッコいいってどのくらい?」
「国で一番、いえ、大陸一……ううん、この世で一番よ!」
「うっそだあ~」
好奇心旺盛な少女の笑い声が、芝の庭に響く。
「嘘じゃないわ。本当にカッコいいの! 黒髪には艶があり、切れ長の目元は凜々しくて、輝く瞳はルビー色。スッと通った鼻筋と顎のラインなんか、まるで彫刻よ。背が高くてスタイルもいいから、何を着ても似合うの。その上……」
「ゴホッ、ゴホン」
城から連れて来た侍女のクラリスが、私の言葉を遮るように咳払い。
でもこれだけは、ぜひとも伝えておかなくちゃ。
「つまり、あまりに尊くて、見たら『しゅき♡』って叫んじゃう」
「しゅき?」
「おうじょさま、『とうとく』って? 『しゅき』ってなあに?」
「それは……」
思わず口ごもった私に、侍女の視線が突き刺さる。
『いいですか、姫様。いたいけな子供に変な言葉を教えないでくださいね。推しや尊いという単語は、日常では使いません。しゅきではなく、好き、ときちんと発音してください』
――しまった。ここに来る前、散々注意されたんだった。
そこで私は顔を寄せ、声を潜めた。
「あのね。『尊い』は推しへの褒め言葉で、崇めるほど素晴らしいってこと。『しゅき』は要するに、好きって意味よ」
「変なの」
「変? ふふ、誰がなんと言おうと、私の推しが一番よ。雨の中にたたずむ寂しそうな横顔。よく見れば、上着の中で雨に打たれた子犬を暖めているの。そんな絵に添えられた『心優しき』という文字。何度目にしても、切なさで涙が溢れたわ!」
「わかんなーい」
「えー。それのどこがカッコいいの?」
残念、布教に失敗したみたい。
ファンブックの内容では、わかりにくかったのね。だったら、ゲームの話をしてみれば……。
「ゴホン、ゴホン」
侍女のクラリスがまたもや咳払い。
これ以上話すとボロが出ます、と言いたいようだ。
「さ、私のことはもういいわ。続きをどうぞ」
貴重な紙やキャンバス、絵筆や絵の具、粘土の類いは全てこちらで用意した。小さな子は、粘土遊びに夢中みたい。この分だと、未来の彫刻家も期待できそう?
「ねえカトリーナ、この前とおんなじ? 上手にできたら、何かもらえるの?」
近くにいた男の子が、絵筆をとめて私に尋ねた。
「この前っていうと、エチケットのことかしら? あれは私が領主の依頼を受けて、みんなにお願いしたのよね。葡萄の果汁は美味しかった?」
「うん!」
「院長先生は、ぶどうなのに酔っ払っていたよ」
子供達は面白そうに笑うけど、大人の分はお礼のワインだ。
エチケットとは、ワインに付けるラベルのこと。
以前の視察先において、王女の自分は葡萄畑を所有する領主の家に招かれた。
そこで瓶詰めのワインに貼る意匠を相談されたため、子供達の絵を推薦したのだ。
最初は渋っていた領主だが、我が国の芸術担当が私だと知っていたため、結局任せてくれた。
「院長が飲んでいらしたのは、葡萄のお酒なの。あなた達が頑張ったから嬉しくて、つい飲み過ぎちゃったのね」
「へへ」
「そっか」
誇らしげな子供達は、自分らの絵が世に広まったと知っている。
彼らの描いた草花や鳥の絵は親しみやすいと好評で、瓶詰めのワインは地方だけでなく、王都でも飛ぶように売れた。
大喜びの領主は大人にはワインを、子供には葡萄ジュースを気前よく贈ってくれたのだ。しかも売り上げの何割かを、孤児院に寄付してくれたらしい。
間を取り持っただけだけど、あれは非常にいい契約だった。
「今回ご褒美はないの。でも、上手にできたらお城に飾っていろんな方に見てもらいましょうね」
「本当! やったあ」
「じゃあオレ、すっごいの描く」
「あたしも。先生達をびっくりさせるんだから」
王城には時々、絵画の大家や画商も訪れる。彼らの目に留まれば、子供達の未来は拓けるだろう。現にここを巣立った子の中には高名な画家に弟子入りし、独立した者もいる。国内外で高い評価を得ているため、推薦人としても鼻が高い。
けれど初めの頃、私は自分のことしか考えていなかった。
推しを深く理解したいという、ただそれだけの理由でここを訪れたのだ。
そう、私には前世の記憶がある。
あれは確か、私が五歳の時だった。