薔薇の瞳
「そんな、カトリーナ!」
「キャーッ」
「おい、女性が轢かれたぞー」
声は聞こえているので、どうにか生きてはいるみたい。
私は馬車に弾き飛ばされ、石畳に激突したようだ。肺が押し潰されたように苦しくて、呼吸もままならない。
「ハッ、ハッ、ハッ……」
浅い呼吸を繰り返し、目に浮かぶ赤くチカチカした光を眺めた。
――薔薇の模様と……散りゆく花びら?
一つ散ったので、花弁は六つ。
ぼんやりした頭で数えた私を、誰かが抱き起こす。
「お願いだ、どうか目を開けてくれ。カトリーナ!」
「カトリーナッ」
この声は、ハーヴィーとルシウスね?
「姫様、姫様!」
悲壮な叫びは、クラリスなの?
いつもの毒舌は、どこにいったのかしら。
「その者を捕らえて、馬車を検めよ!」
命じているのは、タールのようだ。ター坊なのに、偉そうね。
こんな時でも冷静なのは、自分が必ず助かるとわかっているから。
「カトリーナ、すまない。触るよ」
焦った様子のハーヴィーとルシウスが、骨の折れた箇所はないかと調べてくれている。身体に優しく触れるので、痛いというよりくすぐったい。
「お兄様もルシウス様も、もうおやめください」
クスクス笑いながら目を開けると、びっくりした顔の二人が映る。
「どこにも怪我がないなんて、どういうこと?」
「上手く飛び退いたというのか? まるで奇跡だ」
かすり傷一つなく、あれほど痛かった背中の痛みも綺麗に消えている。
彼らが驚くのも無理はない。
久々の感覚ですっかり忘れていたけれど、これは【薔薇の瞳】の能力だ。薔薇の花びらが散ることで、落としたはずの命をなかったことにしてしまう。
ハーヴィーの手に掴まって立ち上がった私に、ルシウスが険しい顔を向ける。
「一国の王女が、他人のために身体を張るな!」
穏やかな彼が、怒鳴る姿は珍しい。
私はひとまず落ち着いてもらおうと、努めて明るい声を出す。
「あら、それならルシウス様にも同じことが言えましてよ。先ほど馬車に轢かれそうになった私を、助けてくださったでしょう?」
「君は王女だ! それとこれとは話が違う」
「いいえ。困った人を助けるのに、王女の肩書きなど関係ないわ」
「関係ない? だから君は、あの時僕を……」
「カトリーナ、今のはあなたが悪いわ」
兄のハーヴィーが割って入り、私を責めた。
そこに突如、真っ青な顔のタールが現れる。
「大変申し訳ありません。カトリーナ様を危険な目に遭わせたのは、俺の兄です」
「兄ぃぃぃ!?」
灰色のフードを下ろした男性は、たった今、私が馬車から助けた人だ。かなり動揺しているせいで、拝むように組んだ手がぶるぶる震えている。
その顔には、馴染みがあった。
彼はゲームのヘルプ係でタールの兄、アルバーノだ!
「アルバーノ」
「ハーヴィー……様?」
兄のハーヴィーと彼は同い年。
友人の二人は、久々の再会に驚いているようだ。
一方私は、首をかしげる。
――こんなところに、アルバーノ?
彼は国外にいたはずで、帰国の報も届いていない。
肩までのまっすぐな焦げ茶の髪に青い瞳のアルバーノは、ゲームの中では操作のヘルプ画面(進め方がわからない時や、アイテムの使い方がわからない時に開く画面)を担当していた。
城の研究室で丸っこいウサギ型ロボット、黄色の『わか~るくん』と黄緑色の『みえ~るくん』の二つを操作し、ゲームの説明をしたりアイテムの解析したりしてくれるのだ。
「アルバーノは九年ほど前に、セイボリーへ留学したはずだけど……」
「セイボリー? あの男は、我が国にいたのか?」
自国の名を耳にしたルシウスが、私に尋ねた。
「ええ。魔道具を学ぶため、貴国でお世話になっていると聞きました」
アルバーノもクロム様同様、『バラミラ』にとっては欠かせないサブキャラだ。ストーリーにもちょくちょく絡むが、そちらはあまり重要な役どころではなかった。
何度目かの登場の際、自身のセイボリー王国への留学経験と「ウサギ型の魔道具は、自分で発明しました」との事実を、照れながら告白する。
その顔が可愛いとファンの間で話題になり、サブキャラなのに人気急上昇。私のクロム様にも迫る勢いだった。
そんな彼の急な帰国は、ゲームがスタートしたせいかしら?
「アルバーノ、お帰りなさい」
「えっ?」
アルバーノは、私の顔を見て不思議そうな顔をした。
九年も経てば面影もわずかに残る程度だろうし、忘れていても無理はない。幼い頃の私をしっかり覚えていたルシウスが、規格外なのだ。
「こんにちは、カトリーナよ。戻っていたとは知らなかったわ」
「カトリーナ……様? た、ただいま戻りました。それと、申し訳ありませんっ」
彼は恐縮した様子で、何度も謝罪を口にする。
「いいのよ。アルバーノが無事で良かったわ」
「本当にすみません。セイボリーでの研究を終えて、本日王都に到着しました。前より大きな建物が多く、地図で現在地を確認していたところに馬車が……」
よっぽど怖かったのか、彼は身を震わせた。
ちなみにアルバーノがセイボリーへの留学を決めたのは、私の発言が発端らしい。
『あなたはいずれ、素晴らしい発明をする人よ。すごい才能があるもの』
六歳の私は自信たっぷりに言い切ったけど、それはゲームに出てくる彼の姿を知っていたからだ。
ともかくこれで、『バラミラ』の登場人物が全て揃った。
好感度もゼロではないと思うので、推しに暗殺される恐れはない。
「カトリーナ様、俺もお詫びいたします。兄がご迷惑をおかけして、大変申し訳ありません」
「どんなお叱りでも罰でも受けます。カトリーナ様は、命の恩人です」
タールとアルバーノのメリック兄弟は、私達全員に気の毒なほど頭を下げている。
私はとっくに許しているし、ハーヴィーは妹の無事を確認したため、不問にするようだ。
アルバーノがセイボリーで学んでいたと知ったルシウスは、すぐに謝罪を受け入れた。
クラリスは憤慨していたが、彼と私が知り合いだとわかると怒りを引っ込めた。
弟のタールはいまだに怒っているようで、兄にくどくど文句を言っている。
私にぶち当たっておきながら、謝罪もなかった暴走馬車。
あっちには、泣く子も黙るキツ~い罰を与えてもらおう。




