街中イベント1
でも、その前に。
ルシウスの登場から二ヶ月が経過した。
ゲームでは『城内パート』を終えて、『街中イベント』に切り替わる頃だ。
このイベントは、ヒロインが事前に攻略対象のうちの誰か一人を選ぶ。選ばなかった者とは、なぜか途中で都合良くはぐれてしまう。
「特定の人物に絞ると、後々面倒だわ。かといって、一人でも好感度がゼロになると、カトリーナは暗殺されちゃうのよね。それならやっぱり、誰か選んだ方がいいかしら?」
もし許されるなら、クロム様を指名したい。
けれど彼はサブキャラなので、街中イベントには出て来ない。
「だったらここは、私への好意が少ない相手を選ぶべきよね? 兄はたぶん平気だし、ルシウスもプレゼントをくれたから大丈夫。護衛のタールだって、毎日軽口を交わす仲だし……」
唐突に不安に襲われた。
「待って。多忙でなかなか会えない兄と、ストーリーとは時々異なるルシウスは、そうとも言い切れないわ。考えてみれば、タールも近頃事務的よね。どうしよう、全員が怪しく感じる」
起き抜けで乱れた髪をそのままに、枕を抱きしめ思い悩む。
「一人を選べば、他が下がる。別画面で好感度を確認しながら進められればいいけれど、現実ではそうもいかない。だとすると……」
結論が出た私は、その場で頷く。
「今度こそ団体行動ね。難しいけど三人まとめて好意を得れば、少なくとも私の命は助かるわ」
そして大事な推しにも、暗殺なんて悲しいことをさせずに済む。
そんな夏の日の午後、私は兄のハーヴィーに呼び出された。
「ルシウス殿下が城下町を見学したいんですって。カトリーナも同行してね」
「もちろんですわ。楽しみです」
これぞゲームの『街中イベント』と、私は身構えた。
主役はもちろんカトリーナ。
でも隣国の王子を伴うため、護衛や侍女をぞろぞろ引き連れていた覚えがある。
私の至らない点をその場で指摘してもらうためにも、クラリスの参加は不可欠だ。
「ねえ、クラリス。明日のことだけど……」
「伺っております。ルシウス殿下に王都を案内するんですよね?」
「ええ。だから……」
「お任せください。姫様を、とびきり綺麗に装います」
「あら、その点なら心配してないわ。動きやすいように軽い服装でお願い。それとクラリスも、私と同じような恰好をしてちょうだいね」
途端にクラリスが、目を丸くする。
「え? 私も行っていいんですか? ハーヴィー様がご一緒なら、身分の高い方をお連れになった方が……」
「いいえ、あなたがいいの。クラリスは私が突っ走ったら、きちんととめてくれるでしょう?」
「それはそうですが……。でしたら、姫様のお好きなクロム先生も、参加なさるのですか?」
本音では同行してもらいたいが、それだと私が彼に目を奪われるので、攻略対象達を蔑ろにしてしまう。また、限界オタクが顔を出してうっかり騒ぎでもすれば、好感度はゼロどころかマイナスに。今回に限っては、そんな危険は冒せない。
「いいえ。クロム様は教師よ。客人とはいえ、私達とは立場が違うもの」
あえて冷たい言い方で、クラリスを納得させた。
――クロム様、ごめんなさい。もちろんあなたの方が、ファンの私より立場は上です。
街中イベント当日。
ルシウスとハーヴィー、クラリスと私と護衛のタールは、王都の舗装された石畳の上を、二列に分かれて歩いている。
ルシウスは我が国の賓客でハーヴィーも王太子のため、二人は当然護衛付き。視察を兼ねているので、護衛を含めた全員が目立たない恰好をしている。
私は白いブラウスとピンクのフレアスカート姿で、茶色の編み上げブーツを履いている。これは、『バラミラ』の街中イベント通りの服装だ。
クラリスも偶然なのかゲームと同じ装いで、白いブラウスの上に濃い青のジャンパースカートを合わせている。
ルシウスは、白の開襟シャツで下は紺色のズボンに黒のブーツ。足が長くて顔もいいため、雑踏の中でも妙に目立つ。
タールは生成りのシャツに緑のベストと茶のズボン。私服だと一層若く、年下に見えてしまう。
町人用の帽子を目深に被ったハーヴィーは、白いシャツの上に淡い茶色のベストとズボンを合わせていた。地味な装いでも派手に見えるのは、性分だからしょうがない。
「ルシウス様、楽しんでいらっしゃいますか?」
「ええ、とても」
前を歩く彼の顔は、ほとんど見えない。
声が笑みを含んでいたから、大丈夫かな?
街はクリーム色の壁に赤やオレンジなど明るい色の屋根の建物が多く、店先は買い物客で賑わっている。店先では売り子がお客を呼びとめようと大きな声を出し、花売りも負けじと叫ぶ。
「クラリス、ちょっとそこで買いものをしたいんだけど……」
「まあ、姫様ともあろうお方が、買い食いですか?」
「そんなことを言わずに、ね、お願い」
私は顔の前で、両手を合わせた。
漂う甘い香りはこの国特有のお菓子だ。
前世の『ゆべし』に似た食べもので、砂糖と果汁にデンプンを合わせたところにクルミやピスタチオを練り込んでいる。
王子のルシウスは、甘いものが好きだった。
賄賂ではないけれど、これで私への好感度が上がるなら、安いものだ。
ハーヴィーとルシウスはその間に、揃って露店を覗いている。真鍮製の鳥かごや珍しい色合いの陶磁器。南方から届いたと思われる緋色や紫や黄色の色鮮やかな布が、ひときわ目を引く。
「ルシウス様、毒味も済ませましたし、いかがですか?」
私は買い求めた菓子を、包まれた袋ごと彼に差し出す。
「毒味をしたのは、私ですけどね」
ボソッと呟くクラリスだけど、もちろん感謝している。
「とっても甘い香りがするけど、これは?」
「『ロックム』と言います」
お菓子の名を教えた途端、ここにいないあの人を思い出した。




