一枚の絵
近頃ずっと、勉強部屋以外でクロム様と出会えない。
「おかしいわ。こんなに探しているのに、お姿を見かけないなんて。担当女官に確認したけど、ご病気ではないようだし……」
推しと親密になる予定が、勉強に関する話題しか持ち出せないまま日々はどんどん過ぎていく。
「外出したご様子はなかったわ。いったいどこにいらっしゃるのかしら?」
時々会う庭園にも現れず、図書室や食堂にもいない。念のため城の武器庫も見てみたが、影も形もなかった。
必死の捜索にはわけがある。
推しに会いたいのもそうだけど、一番は私の命がかかっているから。
複数の命を持つヒロインでも、暗殺は一度でゲームオーバーだった。攻略対象全員の好感度を上げておけば回避できるけど、現状では確認する術がない。
そこで私は、攻略対象頼みでは危ういと考えた。
なんとしてでも絆を深め、私を失うのは惜しいとクロム様ご自身に思ってもらいたい。
袖と裾に白いフリルが付いた薄紫色のドレスを着た私は、今日も推しを求めて城中を練り歩く。
すると人気のない廊下の奥に、ようやく目当ての男性を発見した。
「クロ……」
呼びかけようとしたものの、慌てて口をつぐむ。
なぜならクロム様は、廊下に飾られた一枚の絵に、じっと見入っていらしたから。
「ここかあ~~」
てっきりこの場面は、美術館だと思っていた。
実は城の廊下だったみたい。
オープニングの人影はクロム様で間違いなかったけれど、肝心の場所が違っていたようだ。
城にも美術館同様、いろんな種類の絵画が展示されている。好きな時に眺められるが、あの一画は確か、国内外の高名な画家の作品だ。
「さすがはクロム様、お目が高い! この数日お姿を見かけなかったのって、こちらにいらしたからかしら?」
そうだとすると、この場面こそ彼が絵を眺める印象深いシーンだ。
――好きな人の好きな絵画は、なんだろう?
そろりそろりと近づくけれど、廊下の半分ほどを過ぎたところで、ぎくりと立ち止まる。
――彫りの深い横顔に光るのは……涙?
神聖な空間と、息もできないほどの尊いお姿。
飾られた絵を夢中で眺めるクロム様に、何があったの?
奇跡の瞬間に立ち会えた私だけれど、声をかけずに見守った。
「やあ、カトリーナ。何しているの?」
「ひゃっ」
突然、私の背後で明るい声がする。
声の主はルシウスで、にこにこしながら立っていた。
前方の推しが気になるけれど、国賓の彼は無視できない。
「ルシウス様、ごきげんよう」
ドレスのスカートを摘まみ、失礼にならない程度に素早くお辞儀。慌てて後ろを向くと、クロム様はすでに絵画の前から離れていた。
「そんなあ……」
結局どの絵かわからない。
こんなことならぐずぐずしないで、さっさと確認しておけば良かった。
「ちょっといいかな? カトリーナに見てほしいものがあるんだ」
「よくな……いえ、ええっと……」
応えながらクロム様を目で追う。
彼は絵画に興味を失ったらしく、私達とは反対方向に立ち去ろうとしている。
「あの! 先生!」
思い切って声をかけたものの、クロム様は振り返らずに廊下の角を曲がってしまった。
「もしかして、彼に用だった? 先生ってことは、さっきの人が君の教師だね?」
「……ええ」
用事じゃなくて偶然見かけただけだけど、話くらいはしたかった。
「邪魔してごめんね。でも、セイボリー語なら僕も教えられるよ」
「そりゃあ……」
ルシウスはセイボリー王国の第一王子。母国語は当然得意だ。
ちなみに私達は今、大陸語で話している。
「カトリーナは我が国の歴史と言語を、熱心に勉強しているんだって? 嬉しいよ」
にっこり笑うルシウスだけど、私が隣国のことを学ぶのは、推しが教えてくれるから。
クロム様との授業を死守するため、話題を変えよう。
「ありがとうございます。ところでルシウス様、私に見せたいものってなんですか?」
「そうだった。ここではなんだから、部屋に来てくれないか?」
「ええっ!?」
驚きの言葉を発したものの、ルシウスの言う部屋とは彼の滞在する客間ではなく、接客用の部屋だった。扉の前で考える。
――おかしいわ。ルシウスのセリフが、ゲームとは違う。
『バラミラ』でのルシウスは、廊下で会ったカトリーナに絵の説明を求めていた。揃って絵画を鑑賞し、趣味がいいと褒めるのだ。
選択肢でどの絵が好きかと問われたら、迷わず噴水の絵を選べばいい。そこで好感度が上がり、次のイベントにも繋がる。
だけどさっきのルシウスは、絵画に興味を示さなかった。
私をここに招くとは、ストーリーにはない展開だ。
本当は、クロム様が眺めていた絵が非常に気になる。
戻ってすぐに調べたいけど、それでは礼儀に反してしまう。
付き添いのクラリスもいるので、さっさと用事を済ませましょう。




