肖像画(スチル)作戦
クロム様のプロフィールには、母親の欄に『元宮廷画家?』という記載があった。
はてなの部分が気になるけれど、孤児でも親はいるはずなので、貴重な情報だ。
肖像画を贈ったら、喜んでくれるかもしれない!
それから五日後の講義の時間、私は胸のすぐ下からまっすぐ落ちる生地が特徴の、桃色のエンパイアドレスを身に付けていた。
柔らかな生地が可憐な雰囲気を醸し出してくれたらいいな、とちょっぴり期待する。
勉強中は、いつもと同じようにクロム様の隣に座り、張り切って尋ねた。
「クロム先生、ここがよくわかりません」
「どこですか?」
「ほら、ここです。この言い回しで合っていますか?」
机の上の本を見ながら、わざと小さい文字を指す。
こうすれば頭と頭がくっついて、より密着できるのだ。だんだん慣れてきたおかげで、ちょっとやそっとじゃ赤面しない。
「よく気がつきましたね。構文を利用すると、この言い回しではいけません。ですが、これは俗語です。元々方言なので、こんな文章になりました」
「そうなんですね」
クロム様の口から出ると、平凡な単語も音楽のように聞こえるから不思議だ。
彼は教え方が上手く、セイボリーの単語はわかりやすい。習い始めた段階では疑問をひねり出す方が難しいけれど、私は毎晩遅くまで予習をしていた。
推しに褒められるなら、睡眠不足など、どうってことはない。
「ところでカトリーナ様、少し席を外してよろしいですか? 先ほどから小さな物音がするので、確認してきます」
「……え? ええ」
眼鏡越しの赤い瞳に見つめられ、ドキドキしながらとっさに頷く。
クロム様が立ち上がり、向かった先は――――そうか、しまった!
「ちょっと待って! クロム先生、ストーーーップ‼」
立ち上がり、待ったをかけるがすでに遅い。
クロム様は長い足で部屋を横切ると、続き部屋の扉を勢いよく開けた。
「なっ……」
驚きの声を発したのは、赤いベレー帽を被った画家だ。急に扉が開いたため、絵筆を持ったまま固まっている。
ちなみに描いていたのはクロム様で、馴染みの画家に私が依頼した。
そう、クロム様に肖像画を贈るため。
対象に気づかれることなく描いてほしいと、続き部屋にはのぞき穴まで用意した。画家は、そこから一歩も出ることなく、静かに筆を動かしていたはずだ。
かすかな物音がここまで聞こえるのは、常人ではあり得ない。こんなに遠くからでも気配を感じ取れるなんて、さすがはクロム様♡
「あなた、いったいなんですか? 私は自分の肖像画を依頼した覚えも、許可した覚えもありません」
低い声でそう言うと、クロム様は近くにあった筆でキャンバスを塗りつぶす。
「うわ、容赦ねえ」
青年画家は立ち上がり、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あ~~あ~~」
私はつい、がっかりした声を漏らした。
完成したら複製して、スチル代わりに自分の部屋にも飾ろうと企――楽しみにしていたのに。
クロム様ったら。若くして巨匠との呼び声高い彼の芸術作品に、なんてことを!
ひどく落胆する私を見て、クロム様は誰の仕業か悟ったようだ。怖い顔をしながら、大股で近づく。
「カトリーナ様!」
「あちゃ~~」
一瞬画家のせいにしようか、とも考えたが、さすがに無理がある。
「クロム先生、あの、これは……」
「カトリーナ様、真面目に勉強してください」
「ええ、先生。もちろんですわ」
首を何度も縦に振る。
クロム様をスチル――じゃなく、肖像画を贈る『クロム様プレゼント作戦』まで失敗してしまった。この後どうしよう?
「はあ~。笑わせるには、何をすればいいかしら?」
「くすぐればよろしいのでは?」
自分の部屋で頭を抱えていると、至極当然のように侍女のクラリスが応えた。
「そうか、その手があったわね!」
「カトリーナ様、今のはまさか、『推し』とかいうクロム・リンデル先生のことですか? まだ諦めていないんですね」
「え? ええっと……もちろん違うわ」
また悪態をつかれてはたまらないと、私は顔の前で両手を振った。
ただでさえ今日は、クラリスではなく別の者が付き添うことになっている。
口うるさくない分実行しやすそうなので、機会は逃せない。
そんなわけで、待ちに待った講義の時間が訪れた。
薄紫色のドレスを着て、隣に座るクロム様にじわりじわりと接近した私は、作戦の穴に気づく。
――無~理~。尊い推しに自分から触るなんて、とんでもないわ!
脇腹にしろ首にしろ、触れたところから手が溶けてしまいそう。何より私ごときが高貴な推しをくすぐるなんて、失礼極まりない。
「カトリーナ様、なんですか?」
「いえ、あの……ここ! ここがよくわかりません」
「どこですか?」
勢い余って、おでことおでこがごっつんこ。
痛いというより恥ずかしく、一気に顔が火照ってしまう。
「カトリーナ様、申し訳ありません」
「いえ、いくらでも」
「はい?」
「いえ、あの、ええっと……」
偶然触れただけでも照れてしまう。
こんな私がくすぐるなんて、やっぱり無理だ。
それでも何度か試してみるものの、やはり上手くいかない。指を動かしていたら、とうとう不審な動きに気づかれた。
「カトリーナ様、ふざけているのですか?」
「いいえ、まさか」
「集中していらっしゃらないようなので、本日はこの辺にいたしましょう。課題で補ってくださいね」
「ふえっ⁉」
推しとの距離は近づくどころか、遠ざかっている気がする。




