初めてのコスプレ&美術館作戦
その日の夜遅く。
木製の刺繍枠を半分に切ったものを用意してもらった私は、立体的な三角形の小さな白い布を、外枠に当てていた。
「姫様、何をなさっているんですか?」
「クラリス。ちょうどいいところに来てくれたわ。そこを押さえていてくれる?」
「構いませんが……。姫様、これは刺繍というより、小物作りのようですね」
動かないように固定して、ピンクの布を縫い付ければ、もうすぐ完成だ。
「そうよ。頭に付ける犬の耳を作っていたの」
「はい?」
「コスプレなんて初めてだけど、これでクロム様に喜んでいただけるなら」
「こすぷれ? 喜んでいただく? 姫様はまさか、お会いして間もない方の気を引こうとしているんですか?」
「気を引くなんて、とんでもない! そんな大それた望みは抱いていないわ。これでも、ファンとしての節度はわきまえているつもりよ」
私はそう言い、胸を張る。
「お話が、よくわかりませんが……」
「あのね。私はただ、クロム様に、笑っていただきたいの。ファンブックには子犬を抱いた様子が載っているから、犬はお好きなはずだもの。でも、ここに犬はいないでしょう? だから私が代わりになるの」
クラリスはまだ腑に落ちない様子で、首を傾げている。
「ふぁんぶっく? 犬? もしかして、姫様がこれを身につけるんですか?」
「ええ。最初からそう言っているじゃない。変なクラリスね」
「変なのは、姫様では? だいたいティアラならまだしも、ただの木枠を頭に付けたところで喜ばれるとは…………か、可愛い!」
「あら。あなたがそう言ってくれるなら、希望が持てるわ」
後はあらかじめ作っておいた尻尾を、明日着る予定のドレスのスカートに縫い付ければいい。
翌日。私はクリーム色のドレスを纏い、手作りの犬の耳が付いた木枠のカチューシャを装着して勉強部屋に乗り込んだ。
ところが、クロム様は一瞥した後、素知らぬ顔で講義を続ける。
――は、恥ずかしいわ。
質問を挟まなかった分かなり進んだが、犬の耳を付けたままでの講義は、いたたまれないものがある。
クロム様はといえば、終始涼しい顔を崩さない。犬の耳や尻尾には一切触れずに、講義を終えた。
自分の部屋に戻った私は、複雑な気持ちで反省する。
「笑わなくても良かったの。感想を言ってくださったら、すぐに外そうと思っていたのに……。私、そんなにおかしかった?」
淡々と講義を進めたクロム様を振り返り、私はため息をつく。
「何を今さら。姫様がおかしいのは、今回に限ったことではありません」
「クラリス。それ、慰めていないから」
「ですが、愛らしい姫様を見て心が動かないのは、人としておかしいです」
「あのね、そこまで褒めなくても平気よ。クラリスったら、いつもの毒舌はどうしたの?」
「毒舌? なんのことですか?」
「えっ⁉」
目を瞬かせるクラリスは、本気でわかってないみたい。あれだけ言っておきながら、毒舌を自覚してないなんて、相当だと思う。
そんなことより、クロム様。
最初の作戦は失敗したけれど、私にはまだ次がある。
推しを、美術館に連れて行こう!
乙女ゲーム『バラミラ』のオープニング曲。
その背景には一瞬、クロム様くらいの背格好の人物が遠目に映る。
芸術国としての我が国を印象づけるため、美術館の内部を表したのだろう。でも、この私が推しを見逃すはずがない。
「『名画のタイトルをセイボリー語で知りたい』ってねだるのはどうかしら? それって、立派な課外授業よね?」
推しの心を掴んだ絵を見つけたら、すかさず買い取り、プレゼント。距離は一気に縮まるはずだ。
「姫様をずる賢いと思うのは、私だけでしょうね」
「クラリスってば失礼ね。なんと言われようとも、私の気持ちは変わらないわ」
スタート前に、クロム様と親密になっておく。そうすればゲームは始まらないかもしれないし、暗殺だって起こらない。
当日は袖にたっぷりのフリルが付いたラベンダー色のドレスでおめかしして、張り切って美術館を案内する。
「こちらは、国内の画家を集めたコーナーです。クロム先生、いかがですか?」
「そうですね。どれも素晴らしいです」
――それだけ? ここに、彼の心を引く作品はないの?
「ここから先は国外の絵画ですが、先生が気になる絵はありますか?」
「いいえ。ですが、どの絵も素敵ですね」
そんなふうに、ありきたりの返答が続く。
その後もセイボリー語を交えながら美術館巡りをするものの、クロム様は結局見入ってはくれなかった。
「なんで〜? なんでどの絵画にも、興味を示してくれないの?」
城に戻った私は気落ちして、長椅子にぐったりもたれた。
――おかしいわ。あの一瞬の映像は、確かにクロム様だったのに……。
「だから言ったでしょう? 全部姫様の妄想なんですよ」
「妄想? 違うわ。好感度稼ぎの苦労も、ボタン連打の感触も、ちゃんと記憶に残っているもの!」
激しく否定しつつも、ちょっぴり自信がなくなってきた。
ゲームに出てきた映像は、クロム様と同じ背格好の別人だろうか?
でも平気。描かれたものに興味がないなら、これから描いてもらいましょう。
と、いうわけで。クロム様の肖像画作戦に突入よ!




