推しとの初授業♪
「クロム様の標的は、ローズマリー国の王女カトリーナ――つまり私。オレガノ帝国の王が、隣国セイボリーとの婚姻による結びつきを警戒して、組織に暗殺を依頼したのよね」
前世の自分はゲームを遊び尽くしていたので、暗殺回避の方法も当然知っている。
だけどその方法では、暗殺者はカトリーナの前から姿を消してしまう。
推しの退場なんてとんでもない!
ずっとここにいていただくため、まずはクロム様のお好きなものを調べましょう。
推しに良い印象を与えるため、私は白いリボンが付いた明るいレモン色のドレスを着た。
下を向いてもほつれないよう、金色の髪を編み込んでもらう。勉強なのに待ち遠しいのは、推しが教えてくれるから。
部屋に入ると、クロム様が立って迎えてくれた。
私はドキドキしながら膝を折る。
「クロム先生、ごきげんよう。本日から、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。王女殿下のため、精一杯努めさせていただきます」
黒縁の眼鏡をかけたクロム様は、黒の上着とズボンに白いシャツを合わせ、黒のブーツを履いている。地味な装いでも似合うのは、スタイルがいいからだ。
もちろんスタイルだけでなく、彼は全てが素晴らしい。
声は低音で耳に心地良く、動きは優雅でしなやか。顔は彫りが深く、名工の手による芸術作のようだけど、呼吸をしているためかろうじて人だとわかる。
「王女殿下、いかがなさいましたか?」
おっと、いけない。うっかり見惚れてしまったわ。
勧められた椅子に座り、にこやかに話しかける。
「クロム先生。私のことはぜひ、カトリーナと呼んでください。芸術や音楽の鑑賞が趣味です。セイボリー語は苦手なので、ご指導よろしくお願いいたします」
前世も「加藤莉奈」だし、ほぼ一緒。推しに名前を呼んでもらえたら、この先もずっと頑張れる気がする。
「かしこまりました。カトリーナ様、これから一緒に学んでいきましょう」
――クロム様ってば、なんて優しいの。一生一緒に学びたい!
熱い気持ちをどうにか抑え、表面上は慎ましく。はにかむことも忘れない。
敬称が付くのは残念だけど、私も「クロム先生」とお呼びするので、お互い様だ。
「では、こちらをご覧ください」
地図を広げた彼が、私の横に腰かけた。長い指や額に落ちた黒髪まで、あますところなく麗しい。
「まずは、この大陸について。ローズマリー国の西にセイボリー王国があり、ちょうど二国にかかる北側の位置に、オレガノ帝国があります。今回は、隣国セイボリーの歴史と言語を学ぶということで……」
――何これ最高! 勉強中ずっと推しを独占できるなんて、贅沢すぎる‼
侍女のクラリスは少し離れた壁際に控えているので、全く気にならない。
そのまま部屋を出て行ってくれても……って、そういうわけにはいかないか。
「カトリーナ様。以上ですが、何か質問はありますか?」
地図から顔を上げた際、髪が推しの頬にかすかに触れてしまう。
「す、すみません」
「いえ、こちらこそ」
何、このハプニング。響くイイ声と爽やかな香りに、ときめきがとまらない!
「質問、ですよね? ええっと、ええっと……」
ドキドキして、聞きたいことが吹っ飛んだ。頭に浮かんだ疑問を、そのまま口に出す。
「ええっと、先生が好きになるのは、どんな方ですか?」
「……は?」
「ですから、あの、その……。どんな生徒だと、教えやすいのでしょうか?」
「ああ。そういうことですか」
――ふう、どうにかごまかせたみたい。最初の授業で好みのタイプを聞くなんて、はしたないと思われかねないもの。
「どんな方でも、誠心誠意努めます。今回はカトリーナ様の視野が広がるよう、手助けさせていただきますね」
模範的な解答だが、好みの女性は聞き出せなかった。
それなら食べものは? どんな食事がお好きかしら。
「クロム先生に、好き嫌いはありますか? お好みでない食材があれば、あらかじめ伺っていた方が……」
「それは、王女殿下の仕事ではありませんね」
「……そうですね」
バレたか。彼を笑顔にするため、好きな料理をたくさん用意するよう、城の料理長に頼んでおこうと思ったのに。
明くる日も次の日も、またその次も。「質問は?」と聞かれるたびに、クロム様について尋ねてみる。
「気になる動物は、もしかして犬ですか?」
「居心地はいかが? お好きな色があれば、壁紙を取り寄せて貼り替えてもらいましょう」
「人物、静物、風景。絵画はどれがお好きでしょう?」
でも、クロム様は何を聞いても同じ答えだ。
「みんな好きですよ」
推しの貴重な『好き』、いただきましたあああああ‼
「カトリーナ様、どうなさったのですか?」
いけない、脳内で興奮している場合じゃなかった。そもそも、私にあてた言葉じゃない。
「なんでもありません。ただ、先生が好きになるのはどんな感じの女性かなって、考えていて……」
「カトリーナ様、本日はセイボリー語を教えたはずですよ」
その通りだが、彼は脇役なのでファンブックに載っている情報は少ない。もしも答えを得られたら、今後の助けになるのに!
「雑談ばかりを好まれるとは、感心しませんね。誕生日の兄君の心遣いを、無駄になさるおつもりですか?」
「いいえ、そんなつもりはありません。ところで誕生日と言えば、クロム先生がお生まれになった日を、伺っていないように思うのですが」
「さあ。そんなものは、とうに忘れました」
「嘘!」
「嘘ではありません」
クロム様はムッとしながら、眼鏡の位置を直している。
――いけない。しつこく聞きすぎて、怒らせてしまったみたい。
これだと推しを笑わせるどころか、不機嫌にさせている。
それなら自分で考えないと。
こうなったら、ファンブックの情報だけが頼りだわ!




