ニコとかたつむり
「ニコは知ってる? 人間って」
お友だちのシメッジーに聞かれて、ニコはかさをそっとかたむけました。
「人間って、なあに?」
「それじゃあ知らないんだ。あのね、こないだカエル君が教えてくれたんだけど、人間っていう大きな動物が、ぼくたちをとって食べちゃうんだって」
驚かすようにいうシメッジーに、ニコはもうびっくりしてしまいました。
「ひゃあっ! たたた、食べちゃうの?」
「うん、そう。なんでも、『きのこ狩り』とかいうんだって。カエル君がおたまじゃくしだったときに、水たまりから人間ってやつらを見てたんだって。そしたら、ぼくたちと同じきのこをひっこぬいてて、怖かったって……」
ニコにいっているうちに、シメッジーもだんだん怖くなったのでしょうか、白くてふんわりしたかさを、ぎゅうっとちぢめてぶるぶるします。
「やだよぉ、食べられたくないよぉ」
「ぼくもだよ、そんなのやだよ。ぼくたちは、なんにも食べないのに、どうして動物さんや、その人間ってやつらは、ぼくたちを食べるんだろう?」
シメッジーに聞かれても、ニコにはなにもわかりませんでした。でも、ニコには一つだけ、知りたかったことがあります。
「でもね、シメッジー、わたし、お願いがあるの」
「なあに、ニコ?」
シメッジーがふんわりしたかさを、ゆっくり開きました。
「シメッジー、もしわたしが食べられそうになったら、シメッジーは、いっしょにいてくれる?」
シメッジーは、ぎゅうっとかさをちぢめてしぼんでしまいました。ですが、ニコがじっと待っているのに気がつくと、そろそろとかさを広げたのです。
「……わかった。いっしょにいるよ。だってぼくとニコは、ずっといっしょだったもんね」
「……うん、ありがとう、シメッジー」
かさのところに、にっこり笑ったようなもようがあるニコも、かさを開いてゆれるのでした。
「ふうむ、だいぶん奥までやってきたが、さすがにこんなところにはないかのぉ。いや、こういうところは穴場なんじゃ。もうすこし探してみると……あっ!」
ある日、ニコとシメッジーがお昼寝をしていると、どこからともなく声が聞こえてきました。しわがれた声が、なんだか森のざわめきを大きくして、ニコはニコニコもようのかさをぎゅうっとします。シメッジーも同じだったようで、きゅっとかさをしぼめてちぢこまっています。
「あったあった、ほう、こりゃ立派なブナシメジじゃないか」
ガサガサと音がすると、突然ニコとシメッジーの前に、巨大な顔が現れたのです。今まで見た動物たちとは全然ちがうその顔は、なんと大きく、そして恐ろしいのでしょうか。ニコもシメッジーも、かさを目いっぱいちぢめて見つからないようにします。ですが……。
「やはり野生のブナシメジは、市販のものと比べて大きさが違うわい。それっと」
「ぎゃあああっ! 痛い痛い痛いよぉ!」
ニコの目の前で、シメッジーが大きな指でちぎられてしまったのです。ニコはもう恐ろしさと悲しさで、何度も何度もシメッジーの名前を呼びます。
「シメッジー、シメッジー!」
「ふむ、いい香りじゃわい。お前さんはわしの晩飯にしてやろう。……おや、こっちにもなにか生えておるな」
その太くて大きな指の持ち主は、ぎょろっとした目でニコを見おろします。ぶるぶるふるえるニコでしたが、シメッジーと約束したことを思い出したのです。
――そうだ、わたしたちはいつもいっしょだったんだ。だから、食べられるなら、わたしもいっしょに――
「おじいさん、わたしもちぎって、ニコといっしょに食べてよ!」
ニコがありったけの大声をあげましたが、その声はおじいさんには届きませんでした。おじいさんは、小さくため息をついてから、軽く首をふりました。
「……残念、これは『ニコニコタケ』じゃな。毒きのこじゃ。図鑑にも、ほれ、のっておった。きのこ図鑑を持ってきておいてよかったわい」
おじいさんが、ハンドブックを開いてみせました。そこにはニコとうり二つの、にっこり笑ったもようがあるきのこが描かれていたのです。
「さて、それじゃあここらで切り上げるかな」
「待ってよ、置いていかないで! わたしもちぎってよ! シメッジーといっしょがいいの! 一人はいやだよ、お願い、わたしも……、シメッジー!」
ニコがかさをバタバタさせながら、おじいさんとシメッジーにさけびます。すると、ちぎられたシメッジーから、よわよわしい声が聞こえてきたのです。
「……ニコ……、ごめん……ね……」
「シメッジー!」
おじいさんは立ち上がると、ざくざくと枯れ葉をふんで、ニコの前からいなくなってしまいました。あとに残されたのは、がっくりするニコと、そしてちぎられたシメッジーの足の部分だけでした。
「……わたし、シメッジーといっしょにいけなかった。シメッジーと約束したのに。わたしが毒きのこだから? わたしが悪いきのこだから?」
おじいさんが去ったあとから、長い長い雨がずっと降りつづけています。森の中はじめじめと暗く水滴でいっぱいになっていました。雨もじめじめも、きのこであるニコは大好きなのですが、今はちっともうれしくありませんでした。
「シメッジー、痛かったよね。それにきっと、わたしのこと怒ってるよね。わたしが、シメッジーと約束したのに。それなのにわたし、うそつきになっちゃった。だからわたし、毒きのこなんだ。悪いきのこなんだ。シメッジーのこと、守らないから」
ニコは知るよしもありませんでしたが、にっこり笑っているようなかさのもようは、今はぐしゃぐしゃによごれて、泣いているように見えました。いいえ、実際にはニコは、ずっとずっと泣きつづけていたのです。シメッジーのことを思い出して。そして、自分が毒きのこであることを、ずっとずっと責めつづけて……。
「わたしなんか、生えてこなければよかったんだ。わたしが悪い毒きのこだから、おじいさんがわたしたちのところに来たんだ。わたしが悪い毒きのこだから、シメッジーをちぎったんだ。わたしが悪い毒きのこだから、わたしのことだけ置いていったんだ。そして、こんな悲しい気持ちになるんだ」
雨はずっと降りつづけました。
「……うぅ、葉っぱから落っこちちゃって、からだじゅう痛いよ……。それに、もうずっとなにも食べていない。お腹すいたよ、ひもじいよぉ」
ニコが雨にうたれて、笑っているかさのもようがよごれで見えなくなったあとに、どこからか声が聞こえてきました。
「なんだろう? またおじいさんかな。ううん、違うよね、わたしみたいな悪い毒きのこ、おじいさんは食べないもの」
「……あれ、いいにおいがするよ。んしょ、んしょ……」
声がだんだんと近づいてきました。ずっとかさをちぢめてぎゅうっとちぢこまっていたニコは、ひさしぶりにかさを広げました。するとそこには……。
「わぁっ! きのこだ! やった、きのこだ! あぁ、助かった、これでなんとか生きていけるよ」
そこにいたのは、ぐるぐるのからをつけたかたつむりだったのです。かたつむりは、のそり、のそりと、ニコのかさによじ登ろうとします。
「あっ、だめ! だめよ、わたしを食べちゃ!」
ニコがぎゅうっとかさをちぢめます。びっくりしたのか、かたつむりはよろけてニコのかさからすべり落ちてしまいました。
「あいたたた……。えっ、どうして? ぼくもうお腹すいてしかたがないんだ。……そりゃあ、きみには痛い思いをさせちゃうけど、でも、お願いだ、ぼくこのままじゃ死んじゃうよ」
泣きそうな声でいうかたつむりに、ニコのかさがわずかに開きました。ちぢまったり開いたり、まるで別の生き物のように、にこのかさが動きます。そして、ニコは悲しそうにかたつむりにいったのです。
「わたしは、痛い思いしても平気よ。わたしなんか、きっと食べられちゃえばいいんだもの。……だけど、だけどね、わたしを食べちゃダメなの。だってわたし、毒きのこだから」
「毒きのこ?」
かたつむりが、長い目をくるくる回して聞き返します。ニコはかさをゆっくりと開いて答えました。
「そうよ、毒きのこ。ニコニコタケっていうんだって。おじいさんがいっていたの。わたしは毒きのこだから、食べられないって。だからわたし、シメッジーも助けられなかったし、それに、ごめんなさい、あなたのことも助けてあげられないわ」
ニコのかさが、しおれていくようにしぼんでいきました。でも、かたつむりはよじよじとそのかさによじのぼってきたのです。
「ダメよ、死んじゃうわ! わたしなんか、誰の役にも立たずに、このままくさっちゃえばいいのよ! あなたがわたしを食べたら、きっとあなたも死んでしまう! そうしたら、わたし、どうすればいいか……」
「……おいしい」
かさにわずかな痛みを感じたあとに、ニコはかたつむりの声を聞きました。
「なんて……いったの?」
「おいしいっていったんだよ。おいしい、すごくおいしいよ! 君はきっと、毒きのこなんかじゃない! だってこんなにおいしいんだもん。ぼく、すごいうれしいよ! ありがとう、ありがとう!」
かたつむりは、ハムハムと夢中でにこのかさを食べていったのです。そのたびに痛みは感じましたが、そんなものはもう気にもなりませんでした。ニコはもう一度、おそるおそるたずねました。
「……本当に? 本当においしいの? あの……からだ、なんともない?」
「なんともないどころか、もりもり元気がわいてきたよ! あぁ、ありがとう、ありがとう! ……あ、でも……ごめん。そうか、ぼくが食べると、きみは痛いよね」
かたつむりが、長い目をグーッとのばして、ニコをのぞきこみました。ニコは答えるかわりに、食べかけになっていたかさを大きく開いたのです。
「痛くないよ。だってわたし、うれしいもの。……わたし、ずっとずっと怖かったの。このままひとりぼっちで、シメッジーもいないこの森のかたすみで、くさっていくんじゃないかって。誰の役にも立たないで、悪い毒きのことしてくさっていくんじゃないかって」
「そんな、そんなこと」
かたつむりがなにかいいかけましたが、ニコはかさを思いっきり開いてつづけました。
「だから、うれしかったの。あなたがわたしのことを食べてくれたことが。わたしのことを、おいしいっていってくれたことが。……わたしは、悪い毒きのこじゃなかったってことが。だからいいの。おなかいっぱいになるまで食べて。わたしがこのままくさっていかないように、全部食べて。わたしのこと、全部あなたの栄養にして」
かたつむりは、少しのあいだとまどっているようでしたが、やがて、もくもくとニコのかさを食べていきました。長い時間をかけてかさを食べ終わると、今度は残っていた柄の部分も、残らず全部食べていきました。そしてかたつむりがニコを食べ終わったころに、ようやく雨はあがって、空に晴れ間が見えたのです。その晴れ間は、まるでニコのかさのもようのように、笑っているように見えるのでした。
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