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雨上がりの宝物  作者: 人生依存
第1話:火傷の少女
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第五節

 年老いた男性教諭が語る声と、生徒たちのヒソヒソ話がうっすらと聞こえてくる。

 けれど、そのどちらの内容も頭の中には入ってこない。

 理由は簡単。私はそれらに興味がないから。


 いつも私の興味が向いているものは私の世界が広がる五ミリ方眼のノートだけ。

 でも、今日は珍しくノートへの興味が薄れている。

 新しいノートに中途半端なところで変わってしまったからだろうか。

 思考が閑散してしまっている。

 だからこそ、授業を進めている先生の声や暇な授業の時間から逃れるために雑談をするクラスメイトの声が聞こえてくるのだ。


「はぁ……なんでだろ」


 周りの誰にも聞かれないよう、ほとんど声を音にして出さずに呟いた。

 自然とため息も漏れ出る。


「こんなんじゃあダメだな」


 私は諦めるように書く手を止め、シャーペンを放ってノートを眺めた。

 ページをめくってこれまで書いた文字列を辿る。

 誤字を探して修正でもしようかと思ったけれど、最初から誤字をしないように丁寧に描き進めていたからか全くもって誤字が見つからない。

 時計を確認すると十一時五十分を指し示している。

 なんというか、微妙な時間だ。


「んー」


 首をかしげて私が今日書いた文章を読み返す。


「三十ページか……」


 思ったよりも描き進めなかったなと思いながら呟くと、黒板を指差しながら話していた先生が私の名前を呼んだ。


「お! 西野さん、挑戦してみましょうか」


「へ?」


 先生の言葉の意味が理解できず、思わず変な声が出た。

 クラスメイトたちが訝しむようにこちらを見てくるのがわかる。

 それこそ、先ほどまでしていたはずのヒソヒソ話をやめてまでこちらを見てくるほど、皆が不思議そうに疑うようにこちらに視線を送ってきた。


「あれ、もしかして違いましたか?」


「えっと……何がですか?」


 困ったように首を傾げる先生に私も困ったように首を傾げ返してしまう。

 本気で話の脈略を理解できずに私が苦しんでいると、先生は苦笑いをしながら「授業はちゃんと聞いてくださいね」と言った。

 恥ずかしさで頰が熱を持つのを感じたけれど、周りはすでに何事もなかったかのように雑談に戻っていて、恥ずかしがる必要がないのだと気がついて私はより恥ずかしくなった。


 時計はようやく十二時を指し示していて、授業の終わりまでまだ二十分もあるという残酷な現実を私に教えてくれる。

 すでに五ミリ方眼ノートへの私の集中力は失われていて、再び自分の世界に閉じこもる事はできない。

 仕方なく、私は退屈な授業に珍しく真剣に参加してみる事にした。


 先生の書き連ねる言葉たちを視線でなぞると、現在の授業が経済の授業である事がわかった。

 さらに先生の話にしっかりと耳を傾けていると、ついさっき私が先生に「挑戦してみよう」と言われたのは何かの用語について説明をしてみようという事だったらしいと分かった。

 なんでそんな事が分かったのかと言うと、先生が授業の間で新しい経済用語が出てくるたびに生徒に向かって「誰かこの用語の意味を説明できる人はいますか?さぁ、挑戦してみよう」と言っていたからだ。

 だからこそ、私がぼそりと一人でに言葉をこぼしてしまったのを見て、先生はもしかしてと思って指名してきたのかもしれない。


 なんだか、少しだけ申し訳ない事をしてしまったような気がした。

 やっぱり私はまだまだ普通の人間だ。

 良心が残っている。

 だからこそ、何度となく生徒に言葉を投げかけては無視をされている先生を助けるつもりで一度くらいは挑戦をしてみようとは思ったけれど、これまでサボり続けてきたツケが大いに出ている私は授業の終わりのチャイムが鳴るまで一度として先生の言う挑戦をする事ができなかった。


 そもそも先生の話す事が全くもって理解できなくてほとんど話の内容が頭に入ってこなかったし、板書をまともにノートに写す事すらできなかった。

 同じような時間を午後からも繰り返し、全くもってうまくまとめられなかったノートをみて私は絶望した。


「こんなに疲れたっけな……」


 久しぶりにまともに授業を受けていつも以上に疲労を感じ、大きくため息をつく。

 時計は十六時四十分を指し示している。

 教卓では担任が何やら話をしているけれど私の頭にはそれが入ってこない。

 今はもう興味がどうとかではなくて単純に疲れ切って思考がうまく機能しない。


 とにかく早く家に帰りたいと思って教科書やノートをリュックサックに詰め込んでいると、不意に一枚のプリントが私に差し出された。

 それが前の席の子から回された配布物だと気づくまでに少しだけ時間がかかって、「あ、ご、ごめん」と吃りながら差し出されたプリントを受け取る。

 プリントの最上段には他の段とは違って大きめのフォントで『 春休み期間中の過ごし方について 』と書かれていた。

 春休みまでまだ数日あるのに随分と気が早い配布物だなと思っていると、先生が自分用に一枚残しておいたプリントを見ながら口を開いた。


「春休みだけどな、少しだけ日数が増える事になったぞ。本当なら金曜日までは登校しないといけなかったんだけど、大人の事情で授業は明日までになったんだ。で、明後日は年度終わりの式とちょっとした配布物があるから午前中だけ登校してきてほしい」


 その言葉にクラスメイトたちは大きな声を出して喜び、先生は皆の様子を見て「ははは」と空笑いをしてホームルームを終わらせた。

 春休みが予定よりも早くやってくるという事実にクラスメイトたちはわかりやすく浮れる。

 いつもなら部活をやっている生徒たちは帰りのホームルームが終わるなり直ぐに部活へと向かっていき、その他にも掃除当番の生徒はすぐさま掃除へと向かう。

 けれど、今日はみんな友人同士で話をしていてなかなか教室から出て行かない。


 みんないつも私を虐めているくせに今は私に興味がないとでも言っているようだった。

 でも、それは別に私にとってマイナスな事ではない。

 私は凛花や他のクラスメイトに捕まって変に時間を取られてしまわないよう、足早に教室をあとにした。


 案の定、廊下にはいつもよりも多くの生徒がいて、皆が皆、春休みの予定などを楽しそうに話し合ったりしていた。

 校内全体を満たしているような楽しい雰囲気にあてられたのか、私も昇降口へと向かう最中に春休みの事を考える。


 本を何冊ぐらい読もうかだとか。

 どこかへ一人で旅行でも行ってみようかだとか。

 春休みを通してどれくらい書き進める事ができるのだろうかとか。

 もし書き終えたとして、その先で私はどうするのかだとか。

 それらの事を考えるだけで私は楽しかった。


 自然と口角が上がってにやけ顏になってしまう程度には私の気分は高揚していた。

 そうこう考えているうちにあっという間に昇降口に着いてしまって、脱いだ上靴を下駄箱に入れようとしたところで私の気分は落ち込んだ。

 下駄箱にあるはずの私の靴がなくなっていたから。


 そんな事で気分が落ち込むの? だなんて思う人もいるかもしれない。

 きっと、そんな事を思う人には私みたいな弱者の気持ちはわからないんだ。

 下駄箱に私の靴が見あたらない時、大体決まった場所から私の靴は見つかる。

 昇降口の隅に置かれている二つのゴミ箱に近づいてペットボトル用のゴミ箱に手を突っ込んでみる。

 探るように手を動かしてみるけれどどこにも私の靴は見つからない。

 と、いう事はもう結果はひとつだ。


「……はぁ」


 深い深いため息がこぼれた。

 直前までニヤけながら春休みの事を考えていた自分がバカに思えた。

 ペットボトル用のゴミ箱から腕を抜き、隣に設置された燃えるゴミ用のゴミ箱に手を突っ込んだ。

 コンビニ弁当のゴミだとか飲み終えたパックジュースの飲み残しだとかとにかく色々なものが捨てられていてものすごくベタベタする。

 その気持ち悪い感触に「うへぇ」と声を漏らして顔をしかめながらもゴミ箱をあさっていると、革のようなものに手が触れた。


「……あった」


 引っ張り出して出てきたものはやっぱり私の靴だった。

 長い間磨かれていないくすんだ色合いの革靴が、ゴミ箱に捨てられていた生ゴミによって見てられないほど汚れてしまっていた。

 なんだろう、ハンバーグのデミグラスソースみたいな匂いもするし、ミルクティーみたいな甘ったるい茶葉の匂いもする。


「洗わなきゃ」


 そうやって自分に言い聞かせ、保健室の前にある車椅子用と書かれているトイレへと向かう。

 このトイレは車椅子用だなんて書かれているけれど、別段車椅子の人しか使えないわけじゃあなくて、松葉杖を使っている人だとか、足が悪くなくても通常のトイレに行けないような人が使ったりしている。

 さらに言えば、このトイレ自体、学校に設置された他のトイレに行けないような生徒が利用するために作られたらしい。

 だから私がそのトイレに入っていっても周りから不審に思われるような事はない。

 だって、私もよほどの条件が揃わない限りは学校の普通のトイレには行けない生徒だから。


 これまで何度となく使ってきた車椅子用トイレで、私はクラスメイトの誰かしらに対する恐怖を気にすることなくゆっくりと靴の汚れを洗い落とした。


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