第三節
最初は口止めのような物だと認識していた。
けれど、里咲の振る話題はテレビの話や遊びの話ばかりで、ごく普通の会話としか言えなかった。
次第に緋奈は、里咲がただ本当に友人として自身に接してきているのだと認識するようになっていった。
こうして、二人は普通の友人同士として、ごく普通の日常を送ることになる。
学校では休み時間のたびに話をして、一緒に登下校をして、休みの日には電車とバスを乗り継いで少し離れた場所に遊びに行った。
それは夏休みも同じだった。
部活動が終わると合流し、校庭のベンチでくだらない話をしてから帰った。
取り留めのない日常を積み重ねるにつれ、二人は旧来の、本当の友人同士のような関係になっていった。
互いを無条件に信用し、互いを根拠もなく頼った。
勉強を教えあい、互いに困ったことがあると助けを求めた。
もちろん、虐待についての相談もあった。
里咲が「もう耐えられないかも」と泣いた日もあり、その度に緋奈は「私がそばにいてあげるから」と慰めた。
気づけば二人は親友と呼ぶにふさわしい関係になっていた。
中学三年になる頃、二人は二人でいる時間ばかりになっており、他の友人とはほとんど関わらなくなった。
別段、里咲や緋奈が友人たちを拒絶したわけではない。
それまで通りに変わること無く接した。
しかし、友人たちはそうでは無かった。
里咲と緋奈が楽しそうに過ごすのを見て、自分たちが邪魔者だと感じるようになった。
結果、二人の周りから人はいなくなった。
嫌われるわけでも無く、好かれたままで、二人は世界から孤立した。
ある種の楽園だった。
二人は進級の際のクラス替えを警戒していたが、無事に三年になっても同じクラスに割り振られた。
それからも二人は変わらない距離感で二人の世界を作り続けた。
けれど、この世に永遠なんてものは無かった。
二人の楽園は些細なことを原因に崩れ去った。
何が問題だったかといえば、単に運命が意地悪だっただけだ。
運命が動いた季節は夏。
プールの授業の日のことだった。
新任の熱血男性教師が、一回目の授業からずっとプールサイドで見学をしていた里咲に対し、「どうしてプールに入らないんだ」と怒った。
女子の体育を担当する女性教師が「彼女、体調が悪いの」と言った。
男性教師は「だとしても、プールの授業のたびに体調不良になるはずがない」と言った。
「年頃なので仕方がないですよ」
そう言って女性教師が男性教師をなだめたが、男性教師は「仕方なくない」とものすごく大きな声で怒鳴った。
男子生徒も女子生徒も、皆が怯んだ。
女性教師も同様だった。
「体育の授業は基礎的な体力をつけるために必要なんだ。意味がない授業じゃない。もしこのまま一度も出ないと言うなら履修扱いにはできないから体育の単位はあげられないぞ」
このままだと、後日一人だけで体育の授業を受けてもらう事になると男性教師は言った。
里咲はそれに対し、「無理です」と言った。
そっけない里咲の返答に男性教師の怒りは増し、「だったら、単位不取得で留年が確定する」と怒鳴った。
その言葉に皆がざわついた。
「普通、中学生に留年は無いよな。このままだと困るのはお前だぞ」
後々になって考えてみれば、新任である男性教師に単位をどうこうする権力など無かった。
だから別に、男性教師のあからさまな脅しに怯む必要はなかった。
けれど、里咲はわかりやすく動揺した。
留年するぞ。
普通じゃ無いぞ。
それらの中のどの言葉に里咲が反応したのか、緋奈にはわからなかった。
「今回だけ参加すれば大丈夫ですか」
折れた里咲が確認をするように弱々しく問いた。
里咲を見下すように仁王立ちしていた男性教師は満足げに「ああ」と言った。
してやったりといった表情だった。
きっと、今後も同じような脅しで里咲をプールの授業に参加させるのだろうと緋奈はわかった。
里咲も同じく理解していたようで、緋奈にアイコンタクトをした。
そのアイコンタクトに緋奈は困惑した。
何せ、男性教師をぶん殴ろうと動き出した緋奈に、里咲は動かなくて良いというアイコンタクトをしたのだ。
だから緋奈は困惑した。
どうして?
このままだと里咲の秘密が周知のものになってしまう。
里咲はそれでも良いというの?
様々な考えが緋奈の頭の中に浮かんだ。
けれど、焦る緋奈を余所に里咲は立ち上がり、女性教師とともに更衣室に向かった。
男性教師は相変わらず満足げな様子で、何度も頷いて自身の功績に浸っていた。
直ぐに女性教師が戻ってきて、男性教師と何かを話した。
何を話していたのかはわからなかった。
里咲が戻るよりも前に、自然と中断されていた授業が再開された。
五分ほど経ち、プールサイドに悲鳴や困惑の声が充満した。
騒ぐ皆の視線の先にはスクール水着に身を包んだ里咲がいた。
数日前に機会があって見たときよりも里咲の体の痣が増えていて、右肩のあたりには大きな火傷が新たにできていた。
その悍しい光景に、皆が困惑した。
生徒だけでは無く、女性教師も困惑した。
そしてもちろん、悍しい光景を引き出した男性教師も困惑した。
皆から嫌悪の部類にある視線を向けられた里咲は、両目から涙を流しながら、両手を広げて見せた。
それはまるで、自身の姿を包み隠さず皆に見てもらおうとしているようだった。
涙を流す里咲を見て、緋奈は以前のように両手で口元を覆った。
こみ上げもしていない吐き気を堪えるように、何かを必死に飲み込むように口元を覆った。
里咲は涙を流しながら笑っていた。
その様子は、奇怪以外の何物でも無かった。
「ほら、これで満足ですか?」
里咲の言葉に男性教師は無言で頷くしかできなかったという。
江口里咲が普通では無いことがクラスメイトに露呈した翌日から、里咲は学校に行かなくなった。
それに合わせるように緋奈も学校に行かなくなった。
「〜た」ばかりですけど、そういう演出ですので。
過去の話をしているのであえて過去形を乱用しています。




