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雨上がりの宝物  作者: 人生依存
第1話:火傷の少女
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第三節

 思いもしない出会いがあったけれど、私はそもそもこの場所に忘れ物を回収するという目的があってやってきた。

 だから私は机の中を覗き込んで動揺した。

 それこそ、教室に入ってきてすぐに里咲を見つけた時よりも動揺していたはずだ。

 そこには……あるはずの物が無かった。


 私がわざわざ大嫌いな学校へと放課後に足を運んだ理由。

 どうしても回収しなければならない忘れ物。

 大切な大切な私の世界。

 表紙に科目名を書いていない五ミリ方眼のノート。

 それが、机の中に見当たらなかった。


「どうして! どうしてなの!」


 そうやって声を荒げながら自身の机の中に手を突っ込み、隅々まで探す。

 けれど、指先に伝う感覚は拭いきれていなかったシュークリームのべたつく感覚と、冬の日の冷えた金属の感覚だけだった。


 急いでロッカーを探すが見当たらない。

 あるのは体操着と体育館用のシューズが入った袋だけ。

 それは正直わかりきっていた。

 私の場合、教科書などを置いて帰ってしまえばクラスメイトたちのおもちゃになってしまう。

 そして、最終的には使い物にならなくなるほどにボロボロになるのだ。

 だから私は最低限の物しかロッカーに置いていなくて、ここに五ミリ方眼のノートがないだなんて事はハッキリとわかりきっていた。


 次に私はクラスメイト全員の机を探した。

 もしクラスメイトがさっきみたいに教室にやってきたのなら、私は今までよりもずっと酷い仕打ちを受けることになっただろう。

 ただ、そんな少し考えれば分かることを私は考えもしなかった。

 私は空っぽになってしまった頭の中身を取り戻そうともせず、とにかく‘どうしよう’といった焦りの感情に身を任せてひたすらに探した。


 幸い、教室を隅々まで探している最中にクラスメイトが戻ってくることは無かった。

 そして、ノートが見つかることも無かった。


 どれだけ教室を探してもノートは見つからない。

 そうわかった途端に私は失ってしまった頭の中身を取り戻した。

 そして、自分の席に力なく座り込んだ。

 先ほどまでは持ち合わせていなかった冷静な思考で私は考える。


「ノート……どこだろう」


 すでに時計の短針は六を指し示しており、遠くで揺らいでいた筈の太陽は姿を隠してしまっていた。

 日の届かぬ教室は暗く冷たく、どこか寂しい雰囲気を孕んでいる。

 教室に明かりをもたらしてくれるのは野球部が練習をしているグラウンドのナイターの大きなライトだけ。

 けれど、そのライトは太陽と大違いで暖かくない。


 ふと、自分の頰を涙が伝っていることに気がついた。


「なんで?」


 なんで?


「どうして!?」


 どうして?


「なん……で」


 自分の意思とは関係なく流れ落ちる涙の理由なんて分りきっていた。

 分りきっていたからこそ、その事実に助長されてまた涙がこぼれ落ちる。

 次第に頰を伝う涙の量は増えていき、私はそれを堪えようともせず嘔吐えずくように泣いた。

 私はまだこの息苦しい世界に縛られてしまうのか。

 そう考えると涙を止めることなんてできなかった。


 今日、本当ならノートを回収して家でノートを処分した後に私は自分の人生にさよならを告げるつもりだった。

 けれど、それは叶わない。

 ノートが回収できなかった以上、私はノートを回収するまで死ぬことができない。

 別に本当に死ぬことができないわけではなく、自分個人として決めてあるルールのようなものだけれど、それでもやっぱり私はノートを見つけないままでこの世からは踏み出せない。

 私は、私の宝物を……私の夢を笑われたくない。


 だから、クラスメイトのおもちゃにされない確信を得るために私はノートを見つけなければならない。

 それまでは、私は生きなければならない。


 ひとしきり泣いた後、どれだけ教室を探したところでノートは見つからないのだと結論付け、私は帰路に着いた。

 もしかしたら自分が勘違いしているだけで実際は家に持ち帰っていたのかもしれないとも思ったからだ。

 教室から出る際、振り返って自らの席を見た。

 誰もいない教室の誰も座っていない自分の席を見て、つい数時間前のことを思い出す。

 江口里咲と出会った時のことを思い出す。


「不思議な子……だったな……」


 でも、それ以上に綺麗だった。

 顔の右半分は痛々しい火傷で覆われていて、そちら側の目元には痣ができてしまっていて白目は内出血で赤く染まっていた。

 けれど、両の瞳は綺麗な黒色で、それに比例するように私よりも長い彼女の髪の毛も黒く美しかった。

 女の子にしては低くてザラついた声をしていたけれど、その声は聞く人をどこか安心させるような声で、私は思い出しただけで胸のうちに不思議な感覚が湧き出てくるのを感じた。

 彼女が去り際に口にした言葉。

 それを思い出して不思議な感覚はさらに膨れ上がる。


「また来週ね……か」


 そんなことを言われたら彼女を裏切らないためにもまた来週以降も学校に来なければいけないじゃないか。

 まるで不満であるかのように私は自分の心の中でつぶやくが、別段彼女の言葉に不満を持ったわけではない

 私は、自分の無愛想な顔に少しだけ笑みが浮かぶのを感じた。

 きっと、この時にあっさりと五ミリ方眼の大切なノートを見つけていたのだとしても、私は自殺をすることは無かっただろう。

 だって、リサが置き去りにした言葉に、彼女の美しさに、私は心を奪われていたのだ。

 また彼女に会いたいと思ってしまっていたのだ。


 だからきっと、無事にノートを見つけていたのだとしても私はこの息苦しい世界を捨てることなどしなかった。

 その中に僅かでも美しいものが存在しているのだと知ってしまったから。



__________



 家に帰るとお母さんが既にご飯を作り終えていて、私はお母さんに急かされるように席に着き、ご飯を食べた。

 粉っぽい唐揚げとキノコの炊き込みごはんを食べていると、うにごはんを食べ終えていたらしいお母さんが向かいの席に座り、私の顔をまじまじと見てきた。


「何? どうしたの?」


「いや、別になにもないよ」


 だから安心して食べなよ。とお母さんは言ったけれど、まじまじと眺められてゆっくりとごはんを食べられるはずもなく、私はさっさと茶碗一杯分の炊き込みごはんだけ掻き込んでお風呂へと向かった。

 温かい湯船に浸かり、天井に溜まった水滴がポツリポツリと落ちてくる様を眺めていると、私の頭に一つの可能性が浮かび上がってきた。


「もしかしたらあの子かも……」


 私の席に座っていたあの子が間違えて持って帰ってしまったのかも。

 だったら……


「またあの子に会わないとなぁ」


 そのためにも月曜日は学校に行かないとダメだ。

 浮かび上がったこの可能性がこじつけでしかない事は十分に分かっている。

 そのために彼女に会わなければならないなんてことも、学校に行かなければならないなんてことも、全てがこじつけでしかない事は十分に分かっている。

 

 なんて考え事をしている間にじんわりと眠気が襲ってきて、私は慌ててお風呂から出た。


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