第五節
朝、目がさめると、布団の中に里咲の姿はなかった。
目元を手の甲で擦りながら寝ぼけ眼で部屋を見回すと、里咲は急須で淹れたお茶を飲みながらテレビで地方のニュース番組を見ていた。
なんだか、部屋の中は落ち着く懐かしい香りがした。
物憂げな様子の里咲を眺めていると、ふと里咲が私に気付いた。
「あ、起きた?」
「……うん」
「気持ちよさそうに寝てたね」
「私、そんなにしっかり寝てた?」
「寝てた寝てた。もうイビキをかいてたレベルでぐっすりと」
「え、嘘」
「嘘だよ」
里咲はクスリと笑う。
少しだけ焦った私が馬鹿みたいだった。
「じゃあ、顔洗ったら朝食食べに行こっか」
テレビに表示された時間は朝の七時過ぎだった。
朝食は部屋ではなく、エントランス脇の広間で全宿泊客が揃って食べることになっていた。
広間に行くと二人分の朝食のセットだけが用意されていて、他に一組も客がいないことが暗に示されていた。
用意されていたのは焼き魚と味噌汁と納豆、それから卵焼きと海苔とひじき。
なんというか、旅館の高い食事という感じはしなかった。
けれど、食べてみるとやっぱり美味しくて、直前までけち臭い食事だなと思っていた自分が恥ずかしくなった。
中でも焼き魚は絶品だった。
なんの魚かはわからなかったけれど、間人で取れた魚を一夜干しにしたものだそうだ。
女将さんがそう説明してくれた。
普段食べる焼き魚よりもずっと油が多かったから、正直食べきることができるのか不安だった。
まぁ、美味しかったからペロリと食べきってしまったのだけれど。
朝食を食べ終わると、バスを待つまでの間に周辺を散歩した。
調べたら近くに神社があるようで、私たちはそこへ向かった。
「これが神社?」
神社を見た里咲が呆れたように言った。
里咲の気持ちはよくわかった。
何せ、たどり着いた場所には小さな祠があるだけだったのだ。
あとはその傍に申し訳程度の説明書きの看板が置かれているだけ。
鳥居すらもない、本当に道端に置かれただけの祠。
「なんか、思ってたのと違ってしょぼいね」
私が言うと、里咲は頷いた。
結局、私たちはそれぞれ賽銭箱に十五円を投げ入れて形だけの参拝をしてその場を去った。
バスがやって来ると乗り込んで駅まで行った。
そこからは前日と同じ私鉄にのり、天橋立駅を目指した。
今回はコーヒーを飲むほど乗車時間は長くなかったからコーヒーは飲まないことにした。
天橋立駅に着くとあまりの観光客の多さに驚いた。
「なんか、外国人と老人ばかりだね」
私が言うと、里咲が説明をしてくれた。
「天橋立は日本三景の一つだからね。それなりに生きた人とか日本好きの外国人はみんな知ってるんだよ。代わりに若者はあまり知らない。だから外国人と老人がいっぱい来るの」
他の観光客に紛れるように天橋立を歩くと、進めば進むほど観光客の数は減っていった。
その様子を見て「あれだね〜。奥まで行っても何も無いからみんなが引き返していくんだねぇ」と里咲が言った。
気にせずに歩み進めていくと、途中で分かれ道があった。
先まで続く道と明らかに行き止まりとなる道の分かれ道だった。
私たちは行き止まりの方の道へと進んでいった。
すると、すぐ右手に神社が見えた。
「あ、神社があるよ! 燈! いこ!」
手を引かれ、私は神社へと駆け寄った。
神社の入り口には『 天橋立神社』と書かれた石柱が建てられていた。
「いやぁ、やっぱり神社はいいね。写真写りがいいよ」と、里咲は持っていたポラロイドで写真を撮り始めた。
里咲が写真好きだったのは知らなかった。
「ほら、今度こそちゃんと参拝しようよ燈」
一通り写真を撮り終えて満足すると、里咲はそう言って私へ手を差し伸べた。
「うん。そうだね」
今度こそ、私たちは正しく参拝をした。
そのあとは天橋立を向こう端まで歩き、来た道を再び引き返した。
引き返す途中、駅側入り口付近にあった趣深い茶屋で汁粉と甘酒を味わった。
汁粉は美味しかったけれど、甘酒は私の口には合わなかった。
こう言っちゃあ何だが、まるで吐瀉物を……いや、無粋な事を考えるのは止そう。
一通り歩き終えて近くの智恩寺も見終わった頃、時間は昼時だった。
私たちは駅の向かいにあった土産屋に入って、その二階にある食堂で食事をとる事にした。
「燈、これ見て、生牡蠣だってさ! あれだよね、入り口の水槽に入れられてたやつだよね。一つ千円もするけど凄くおっきいやつだ」
「えー。牡蠣食べるの? 私食べた事無いから怖いよ」
「大丈夫大丈夫。私も食べた事無いから」
さらっと言う里咲に、それって全然大丈夫じゃあ無いのではと思った。
「じゃあ私は海鮮丼にするから里咲は生牡蠣食べなよ」
「えー。それじゃあお腹壊すの私だけじゃん」
「壊すの前提なんだね」
「いい思い出になると思うよ」
「なんないよぉ。牡蠣が嫌いになって終わりじゃん」
「いいからいいから。お腹壊してから牡蠣を嫌いになろうよ。すみませーん。注文いいですか?」
「はーい」
里咲が呼ぶと、キッチンの中から赤ちゃんをおぶった四十代くらいの女性店員が出てきた。
なんだか、自由な店だなと思った。
「えーっと、生牡蠣二つと海鮮丼を二つ、あと生ビールをください」
「ビールも御二つで?」
「はい。お願いします」
里咲の注文を私は唖然とした表情で聞く事しかできなかった。
「当然のように二人分の牡蠣とビールを頼んだね」
「せっかくの旅行だから思い出作らないとね」
「それはそうだけど……」
なんだかんだで私は丸め込まれてしまった。
何だか私、里咲にかなり甘いっていうか、弱い気がする。
まぁ、彼女に手を引かれて大人の階段を登るのは楽しいから良いのだけれど。
ちなみに、人生で初めて飲んだビールは不味かった。
ハイボールよりもきつい風味がねっとりと襲いかかってきたし、飲めば飲むほど喉が渇いた。
こんなものは二度と飲まないと誓った。
牡蠣はなんだかんだで美味しかったし、お腹を壊す事もなかった。




