第三節
私鉄に乗った私たちは、思わず「わぁ〜」と声を揃えて感嘆の声をこぼした。
一両編成の列車内が喫茶店のようになっていたからだ。
車両後部にはカウンターのようなものがあり、そこではコーヒーなどのドリンクや軽食のほか、ちょっとした私鉄のオリジナルグッズを買うことができた。
座席も喫茶店のテーブル席のようになっていて、乗客はみんなコーヒーを嗜みながら本を読んだり雑談に花を咲かせたりしていた。
私と里咲も他の乗客に倣ってコーヒーを買い、ミルクと砂糖をたっぷり入れて飲んだ。
車窓に投影される景色は普段見慣れないような山景色ばかりで、時々姿を表す集落はまるで何かの映画や漫画の舞台のようで、とても幻想的な印象を受けた。
きっと、里咲のおかげでなんでもない風景を幻想的に捉えることができたのだ。
そう思うと、あの雨上がりの日は私の中で重要な日だったのだろうなと実感する。
目的の駅にたどり着くと、そこからバスに乗ってさらに北を目指した。
最終目的地は丹後の最北端の海岸部にある旅館。
バスは私たちの他に乗客が見当たらず、私と里咲だけの空間と言っても過言ではなかった。
「ねぇ」
「何?」
里咲の主導で、自然といつものように会話が始まる。
「目的地の周辺って、最寄りでも徒歩で三十分の場所にしかコンビニがないんだって」
「コンビニがでしょ? 他には何かしらのお店があるんじゃないの?」
「ううん。コンビニどころか普通のお店すらないの。近くに道の駅があるらしいけれど、所詮は道の駅だよ? 程度が知れているよ」
言われてみれば、先ほどから流れる景色に店の類が映らない。
どれもこれも、日本家屋とも呼べないような古い平屋ばかり。
普段暮らしている街では見かけない景色だ。
「飲食店もないの?」
「あるにはあるけれど、調べた限りでは営業時間がわからなかったから、営業している確証はないよ」
我ながら、かなり不便な場所を旅先に決めてしまったものだと思った。
まぁ、二人で決めた事だからきにする必要も無いか。
「ねぇ」
「何?」
「幸せってさ、なんだと思う?」
不意に飛んできた重い質問に私は少しだけ戸惑った。
拙い語彙力で言葉を探るが、適切な返答に指先が触れない。
結果、私は頭を振った。
「わかんないよそんなの」
「……だよね」
その声はなぜか、少しだけ嬉しそうだった。
里咲の横顔は笑みを孕んだもので、美しい。
彼女に惹かれた私は、つい無意識に言葉を選んでいた。
「でも、今この時間は幸せだよ。私」
「えへへ。ありがとう」
里咲が照れているのがよくわかった。
そのまま暫く、沈黙に染まってバスに揺られた。
すると、ふとした瞬間に立ち並ぶ民家が途切れ、視界にはるか先まで延々と続くような海が映った。
「綺麗」
里咲が言葉を零した。
その様子を見て、私も「綺麗」と言った。
多分、里咲には私が海を見て綺麗だと感嘆を零したようにしか捉えられていないだろう。
遥か先の水平線を見て、私は不思議な感覚に襲われた。
それは胸を掻き毟るような心地よくも不快な感覚。
何かの感情が、確かにこみ上げてきていた。
目的地にたどり着いてバスを降りると、日が落ちようとしていた。
辺りに外灯の類はなく、人気もほとんどない。
暗くなる前にと、私たちは慌てて宿泊予定の宿へと向かった。
宿泊予定の宿は周りを田畑に囲まれていて、古墳型の堤防の上に建てられていた。
夕方の時間帯になり、自動作動で明かりのついた看板を見て、私と里咲は首を傾げた。
看板に書かれた旅館の名前は『 とト屋 』。
なんだか、不思議な名前。
「なんて読むんだろ。ととや?」
里咲が苦虫を噛むように読み上げる。
「とうらやじゃない?」
「どっちだろうね」
「とりあえず入ってみようよ」
とト屋は、旅館という割には少しばかり洋風な外観をしていた。
外壁は少しだけくすんでいるものの白く、扉はガラス製のスライド式。
旅館と称するには違和感があるが、ホテルと称するにも違和感が残る。
まぁ、とト屋が旅館なのだと自己申告しているのだから、旅館なのだろう。
扉を開けると、エントランスにいた初老の男性が「ようこそ『 ととや 』へ」と言った。
里咲が「よしっ」と言いながら小さくガッツポーズをした。
「すみません。六時からで予約していた江口ですが」
「ああ。江口さんね。予約は二泊素泊まりでの予約だけどどうする? 夕食か朝食が付いたプランに変更する? この辺りはなんもないから宿で食べるくらいしかないんだよ。それかすぐそこにある居酒屋」
それほどまでに周辺に何もないのかと思った。
いや、普通に気付いてはいた。
というか、事前のリサーチでなんとなく分かってはいた。
さっき里咲もその事についての話題を持ち出してきていたわけだし。
ただ、あまりにも衝撃的な事実だったものだから信じたくはなかったのだ。
「燈、どうする?」
「うーん。せっかくだからプラン変更する?」
「燈がそうしたいなら私も賛成。ちなみに、おいくらですか?」
ニヤリとしながら初老の男性は値段表を出した。
私と里咲はあまりの金額に「わー」と失礼な声を漏らしてしまった。
「じゃあ、一泊目は朝食のみのプランで、二泊目は夕食朝食付きのプランでお願いします」
正直、高校生からすれば背伸びしたような金額だった。
けれど「せっかくなんだし」と言う里咲に流され、私たちは背伸びをすることにした。
一泊目は夕食なしのプランだった為、私たちはなんとかして夕食を済ませる必要があった。
だから、私たちは真っ暗な中をびくびくと震えながら五分ほど歩き、近くにある居酒屋へと向かった。
最初、その建物が居酒屋だとはわからなかった。
なにせ、ぱっと見はただの民家だったのだ。
少し広めの庭を持つ 、田舎に在るにしてはやけに小綺麗な平屋の洋風な小さな一軒家。
庭には自動販売機があり、玄関のあたりには表札とはまたちがう看板のようなものがあった。
看板のようなものに近づいてみると実に達筆な筆跡で店名が書かれていて、そこが居酒屋なのだと申し訳程度に知らせてくれた。
ただ、あまりにも達筆が過ぎて店名は読めなかった。




