第三節
インターホンが鳴った。
ついに来てしまったのだ。
忌々しい家庭教師の時間が。
私は緊張でガッチガチになりながらも近づいてくる足音を自室で待った。
ノックされる扉に「どうぞ」と返す。
「それじゃあ失礼します」
帰ってきた声は男性のものだった。
私の緊張が一気に拡大した。
「あ、初めまして。君が燈ちゃんだね?」
そう言いながら入ってきた男性は、スラッとしていて背が高かった。
多分、身長は百七十センチくらいだろうか。
短めの癖っ毛が特徴的で、黒いフレームのメガネをかけていた。
「は、はい。そうです。わ、私が燈です」
緊張を隠すこともできずに噛みながら言うと、そんな私の様子を見て家庭教師の先生は笑った。
「あはははは。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」
そう言うと、羽織っていた薄手の上着を脱いで手持ち鞄とともに勉強机の脇に置き、先生は用意されていた椅子に座って自己紹介を始めた。
「初めまして。僕は三宮雅といいます。今日から燈ちゃんの家庭教師です」
これが、私と三宮先生……いや、雅さんとの出会いだった。
__________
「でさ、三宮先生に教えて貰った本を読んだんだけどさ」
雅さんが私の元に家庭教師としてやって来るようになってから、早いものでもうひと月が経つ。
時期は未だ春。
旧い暦で言うなれば夏も半ばの皐月。
暑さを感じる時もあるけれどやっぱりまだまだ寒くて、こんな時期を昔は夏だと定義していたとはとても信じられない。
私の話を聞きながら、里咲は嬉しそうにニヤニヤとした笑みを浮かべる。
そんな里咲の髪を靡かせながら屋上に吹く風は、やっぱりまだ冷たさの方が勝っている。
「な、何?」
「いやぁ、ちょっとね」
「ちょっとって何よ」
里咲の笑みが気になって問い詰めると、里咲は「んふふ」とわざとらしく笑った。
「燈ちゃん。あんなに家庭教師を嫌がっていたのに、今ではもうその三宮先生って人が大好きになっているんだなぁって思っただけだよ」
頬が熱を持つのがわかった。
「あ、ちがう。ちがうよ! そんなのじゃあないから!」
「そんなのってどんなの?」
からかうように笑う里咲。
その顔の火傷痕は一向に治る様子がない。
これは仕方がないことなのかもしれない。
里咲の顔のおよそ半分を覆い尽くしているものは火傷自体ではなく、重度の火傷の後遺症のようなものなのだ。
それは既に治った傷に対して残ってしまうものであるのだから、痕自体が治ることはない。
だから、これから先も里咲は自身にまとわりつく醜さの象徴と付き合っていかなければならない。
いや、私から見ればその火傷痕すらも美しさの象徴ではあるのだけれど。
それでも、なんというか。
こんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、彼女がものすごく可哀想だ。
里咲の顔に巣食う火傷痕は、これから先に就職活動などの場面できっと彼女の足枷となるはずだ。
そんなある種のハンディキャップを背負っている彼女は、私を羨ましく思うことはないのだろうか。
これから先、”私は”彼女を疎ましく思うことがないと約束することができるのだろうか。
「ねぇ。燈ちゃん?」
コンビニのサンドイッチを食べる手を止め、里咲が深刻そうに言葉を放つ。
「……どうしたの?」
「三宮先生って人への感情はどんなもの?」
「どんなって……」
「それは、本物?」
そう問いかけてくる里咲の表情には、哀愁が漂っていた。
本物の感情って、一体なんだろうか。




