第二節
ハッキリ言って異常以外の何物でもなかった。
専攻学科変更やコース変更は幾つか学科があってコースが分かれている学校ではよくある話だ。
けれど、それはあくまでも一年生から二年生に上がる際がほとんどであって、卒業や進学就職を控えた三年への進級時に学科変更やコース変更をすることははまずない。
そのごく普通の常識から考えて、この時期での転コースは異常以外の何物でもなかった。
私はなんだかよくない予感がした。
「燈ちゃん! お昼一緒にたべよ!」
昼休みの時間になると里咲は駆け寄るように私の席までやってきた。
ここまでの四限の間、クラスに流れる空気というものが私だけではなく皆に取っても心地の悪いものであることは確かで、いつもは騒がしい凛花と圭子ですら静かに授業へ現実逃避していた。
里咲に話しかけられた私へと視線が集中する。
けれどその視線はこれまで向けられていた視線とは種類が違っていて、以前が嫌悪だとか嘲笑の視線であったとするならば、今向けられている視線は好奇心だとか心配だとか、そう言った類のものだった。
無理もない。
彼女は、彼女を詳しく知らない一部の人々から人殺しと呼ばれているようだから。
いったい何をしてそんな渾名が付いてしまったのかは私にはわからない。
けれど、彼女が人殺しと呼ばれていることは事実で、名は意味を成すではないけれど、そんな悍ましい渾名が付けられている以上は皆が怯えてしまう。
そんなある種の恐怖の対象とも言える里咲が私に友人として接触しているのだ。
当然、接触対象である私が何者なのかと言う話になる。
何者でもない私は何者かではないのかと疑われてしまう。
解釈違いの成れの果てだ。
このままでは私まで不必要な名を当てられて、意味を成さなければならなくなる。
とにかくこの場所から逃げようと思った。
「場所はあそこでいい?」
と、濁しながら里咲の誘いを受ける。
私はカバンの中から弁当箱を取り出し、里咲の手を引いて教室を後にした。
背に刺さる視線は困惑の色に染まっている。
背筋をつつぅ。と、指先でなぞられているような感覚がして、私は身震いした。
屋上へ向かう途中、すれ違う生徒が悉くと言っても過言ではないほど、私と里咲を見てきた。
そんなに里咲が気になるのか。
そんなに里咲と共にいる私がおかしいのか。
自意識過剰でしか無いだろうに、私は皆の視線を敏感に感じ取ってしまい、薄暗い感情を身の内に蓄積した。
その感情に押し出されるようにイラつきが心の奥底から少しずつ、だが確かに湧き上がってきて、里咲の柔らかい手のひらを握る私の手に力が入る。
「燈ちゃんは優しいね」
歩く途中、里咲がそんなことを言ってきた。
哀れみのようなものが篭った優しすぎる語調だった。
優しさだけで構成されたその言葉はあまりにも優しすぎて、私は彼女に向けるべき感情がどういうものなのか理解できなくなりそう。
私が彼女へ向けるべき感情は友人としての敬愛だ。
断じて、悲哀のような見下した感情ではない。
だからその辺りは決して違えてはいけないのだ。
ただ、私は忘れてしまっていた。
本当にすっかり忘れてしまっていた。
本来私が彼女へと向けていた感情は友人としての尊敬などではなく、一人の人間としての尊敬。
こうなりたいという願望。
凛とした姿が羨ましいという妬み。
そう言ったものであることを。
何が違うのかといえば簡単で、私は別に彼女と友人になりたいと思っていたわけではなく、ただ、憧れて彼女との交友を開始したということだ。
この違いがわからないのなら話は永遠に平行線を辿ることになるだろう。
ともあれ、彼女から放たれた「優しいね」という言葉と、そこに込められた感情で私は一つ実感した。
やっぱり、里咲にはかなわない、と。
「家庭教師って今日からだっけ?」
コンビニのサンドイッチを食べながら里咲が言った。
「そうだよぉ。嗚呼、嫌だなぁ。知らない人を部屋に上げたくないよ」
「先生って男の人? 女の人?」
「それがまだわからないんだよねぇ。お母さんは私の成績を上げてくれるならどっちでもいいって言っちゃったらしいし」
「へぇ〜」
ニヤニヤとした笑みを浮かべて里咲が見てきた。
「何?」
「いや、もし男の先生だったら面白いなぁって思って」
「えー。どう面白いの?」
「そこから始まる禁断の愛! 的な展開になりそうで面白い」
目を輝かせながら、里咲は言う。
ただ、私はそんな展開を望んでなどはいないのだから、大きく頭を振って否定した。
「いやいやいや。そんなこと実際にはないでしょ。少女漫画の読みすぎだよ」
「そうかなぁ。一度は考えなかった?」
「……いや、多分一回も考えてない」
「え、嘘」
信じられないと言った様子で、里咲は言う。
その顔には正真正銘の驚きが張り付いている。
「嘘じゃないから! 家庭教師自体が嫌すぎてそんなこと考えなかったんだって」
「わかったわかった。でももう考えずにはいられないよね」
大人っぽい顔立ちの里咲が子供のように無邪気に笑う。
その表情の中に、僅かな寂しさがあることに私はふと気がついてしまった。
思わず、生唾を飲み込んでしまう。
きっと、その寂しさを解消してあげる事が私の使命なのだと。
西野燈と言う一人の少女に与えられた江口里咲と言う少女の友人としての使命なのだと。
そう感じてしまったから。
「そういえばさ、里咲ちゃんは私のクラスに来ることをいつから知ってたの?」
「あー。そのことね」
里咲は気怠そうに片手を持ち上げ、その手のひらで顔の火傷痕をなぞった。
妙に艶かしい不思議な動作だった。
「実は、私も数日前に教えられたの」
「……そうなんだ」
何か引っかかりを覚えたのだけれど、その引っかかりの正体はもちろんのこと、そもそもどの部分に引っかかりを覚えたのかすらわからなかった。
でも、里咲の言葉回しに言い得ぬ不快感があることは間違いなかった。




