第六節
「で、その家庭教師はいつからなの?」
里咲はいつものマックでいつものようにストロベリー味のシェイクを飲みながら首を傾げた。
「うー。来週だよ来週。月曜に学校が始まるのと同時に始まるの」
信じられないと、私は項垂れた。
自らが受け入れた事であるとはいえ、家庭教師というものに積極的な感情を抱いているわけではない。
「あー。それは確かに面倒かも」
「しかもさ、時間は夜の七時からだよ? 七時から三時間。科目は日によって変わるらしいけど何が悲しくて十時まで知らない人を部屋に上げて勉強しなきゃいけないのかな」
「まぁそういう言い方したら確かに家庭教師って嫌だね」
そう答える里咲は、どこか上の空のように感じた。
「どうしたの? 里咲ちゃん今日なんかテンション低いよね」
「そう? 私はいつもこんなものだよ」
「そうかなぁ。何か悩みがあるんなら相談してよね。友達なんだから相談ぐらい乗るよ」
友達、という言葉を口に出して、自分で恥ずかしくなった。
頬が熱くなる。
厄介だ。
春の冷房の所為か一層の事で顔が熱い。
「……うんそうだね。ありがとう」
妙な間が空き、里咲は噛みしめるように言った。
そして、直ぐにハッとした様子で目を見開き、いつものように下手くそなウィンクをしながらぎこちなく笑う。
「まぁ、強いて言うなら学校が始まるのが嫌だって思っていただけだよ」
それが苦し紛れに作った嘘である事はわかった。
私たちはまだ友達になったばかりだが、それがわかるくらいには多くの時間を共にしている。
「ああ確かに。いつまでも休みでいいのにね」
里咲の言葉が心の底からのものではないのだと分かっていながらも、私にはそれを指摘する事ができなかった。
私はまだ、人に怯える普通の人間だから。
里咲のように明るく振る舞って相手の内側にまでは入っていけない。
そして、そんな葛藤の末に私は同意の言葉を吐いたのだ。
「うん。私もその方が気が楽で嬉しいんだけどね」
私の同意の言葉に、里咲はさらに同意を重ねる。
ため息をつきながらだった。
その様子を見て、私はふと気づいてしまった。
彼女は私と同じで虐められている。
しかも、私みたいに精神的苦痛をあたえられるタイプのいじめではなく、彼女は殴る蹴るとかそう言った、身体的にも精神的にも苦痛をあたえられてしまうタイプの虐めを受けている。
環境としては私よりも最悪な場所にいて、私よりも学校が地獄になっている。
そんな事を差し置いて、私は虐められる日常が来てほしくないからと、自らの不幸を遠ざけたいと、いつまでも休みでいいなどと言ってしまった。
迫る春休みの終わりが地獄の到来とイコールである里咲の前で、まるで自分だけが学校を嫌がっているかのように。
私は随分と軽率な同意だと思った。
里咲の学校が始まるのが嫌だという感情と、私の春休みがいつまでも続けばいいという感情。
この二つは同じ方向に進む感情ではあるが、その源泉は大きく違う。
私が感じているよりも、ずっと生々しく残酷に学校に行きたくないと里咲は思っている。
そうか。それが里咲の悩みなのか。
この時の浅はかな私は、純粋にそう思った。
だから、私のような人間が里咲の悩みを解決するには、何ができるのだろうか。
自然と、そんな事を考えていた。
私の内に巡る思考が感情として表情に滲み出てしまっていたのか、里咲は私の顔を見て小さく笑った。
可笑しくて笑うというよりは、どちらかというと困って笑うに近い表情だった。
「大丈夫だよそんなに気にしなくて。燈ちゃんが気にするようなことじゃないよ」
里咲から吐き出されたその言葉は私を気遣っての物なのだろうけれど、何故か少しばかり引っかかりを覚えた。
ただ、それ止まりだった。
言葉遣い。抑揚。声音。私がどれに引っかかりを覚えたのか、結局この日はわからなかった。
手に持っていたシェイクを飲み終わると、私たちは学校近くのショッピングモールで映画を見た。
有名なSF小説が原作のアニメーション映画だったけれど、私はいまいち面白さがわからなかった。
里咲も同じことを思っていたみたいで、何が面白いのかわからなかったよねと言いながら私たちは笑った。
もう、楽しい春休みが終わってしまう。




