第三節
結局、数日前と同じようにマクドナルドでいいのではと言う話になり、私たちはまたシェイクを片手に席に座った。
里咲は相変わらずストロベリーだった。
私はいつもの通りにバニラ味にしようと思っていたけれど、期間限定のカルピス味に目移りしてしまって結局それを頼んだ。
「燈ちゃん。本当に気にしなくていいからね?」
先ほどから里咲はそうやって私を気遣って声をかけてくれている。
本当になんて事ない話だから、私が気にする必要はない。
別に聞いてはダメな類の話ではなかった。
そうやって里咲は言ってくれるけれど、どうしても彼女のあのときの表情がそんな生ぬるい話に対して浮かべるものではないと思えてしまって、私は思うように心のモヤを払うことができなかった。
気を紛らわすためにシェイクを少しだけ啜ったが、期待していたカルピス味は思いの外美味しくなかった。
一向に晴れない私の表情を見てなのか、それとも本心なのかはわからないけれど、ほどなくして里咲は今日の本題を切り出した。
いつものサメの頭をモチーフにしたリュックサックから三冊の五ミリ方眼を取り出し、里咲は私の前に置いた。
「すごく、面白かったよ」
言葉を不自然な部分で区切ったのは、後者に来る言葉を際立たせるためかもしれない。
私はそう思いながら里咲の言葉を聞いた。
「なんていうか、小説としては凹凸が少なくてダメなのかもしれないけれど、それでも面白いっていうか、どう言ったらいいのかなぁ」
困ったように小さく顔をしかめて少しばかり考えた後、まるで当てはめるべき言葉を見つけたかのように小さく息を漏らして私に聞こえるか聞こえないかほどの声で「あっ、そうか」といった。
次いだ言葉に私は胸を締め付けられた。
「燈ちゃんの小説は綺麗なんだ。すごく切なくて、それでいて……綺麗」
そうやって下手くそなウィンクをしながらいつものように綺麗に笑う里咲の顔に、私の心は締め付けられた。
不躾に相手の事情に覚悟もないのに踏み込もうとして相手を傷つけて、その上で自分も傷ついてしまうような汚い私とは大きく違って、里咲は綺麗だ。
それは容姿だけの問題じゃあなくて、もっと内面的なところで。
喜ぶべき言葉をかけられても尚、晴れない表情をした私に里咲は言った。
「燈ちゃんの小説、すごく似てるんだよ。私の好きな小説家の作品に」
「好きな小説家の……作品?」
「うん。そう」
その瞬間は里咲がどうしてそんな話をしたのか私には理解できなかった。
きっと、私が書いた小説が里咲の好きな小説家の作品にすごく似ていて、里咲はその作品を私が模倣して書いたのではないかと疑っているのだと思った。
責めているのではないかと思った。
お前の世界はありふれているのだ。
お前の想像力はその程度なんだと言われているのだろうと思った。
まだ黒い靄に心が覆われてしまっている私を気にすることなく、里咲は言葉の続きを話す。
「私の好きな小説家はね、良く言えばロマンチストで悪く言えばひねくれ者なんだ」
直前までの会話の流れを大きく変えるようなその言葉に、私は首をかしげる。
「最初に読んだのはその人の割と新しい方の作品だったの。私はこれまで読んできた小説がどれだけ温い結末を迎えていたのか思い知らされたんだ。だって、その作品の主人公はほとんど必ず、最後の最後で死ぬことになっちゃうんだもん。いくら手前で主人公を幸せにしたところで、最後にその主人公の不幸を描くなんて、そんな作品でハッピーエンドを語るなんてふざけているのかとも思ったよ」
嬉しそうに語る里咲の声はいつもより少しばかり高かいように感じた。
里咲は一度言葉を区切ってストロベリーシェイクで口の中を湿らせて再び言葉を紡ぐ。
「でもね、私は途中で気づいちゃったんだ。最後に不幸が待っていて……あ、この人の作品において不幸っていうのは最後に未来を捨てて若くして死ぬことなんだけれど、それでもね、その直前に幸せを感じる時間があるって、それって、人生そのものの構成にすごく似ているんだってね。だから私は思った。きっと、この作者は誰よりも現実っていうものを見ていて、それでいて、現実から逃れるような小説を現実に縛られながら書いているんだって。こんな説明でロマンチストだなんて言えないかもしれないけれど、それでも多分、この人の作品を読んだら私と同じ感覚を味わうとおもうな。きっと、この人はロマンチックな人間で、どこまでも生きることに辛さを感じているのに、その生きづらさの美しさを作品として書落としているひねくれ者なんだって思うはずだよ」
まだ里咲と知り合ってからそんなに長い時間は過ごしていない。
きっと、世間一般でいう友人と言う関係にしてはあまりに短い付き合いだ。
だから私がこんなことを思うのは些か根拠のようなものが足りないのかもしれないけれど、それでも思った。
里咲がこれほどまでに嬉しそうに話をすること、里咲がこれほどまでに熱を交えて言葉を放つことは珍しいと思った。
私が里咲の話に返す言葉を見つけられずにいると、里咲は恥ずかしそうにエヘヘとはにかんだ後、補足をするように言葉を付け足した。
「それでね、私、思ったんだ。燈ちゃんの小説を読んだ時、読み終わった時の感覚が私の好きな小説家の作品を読んだ時にすごく似ているって。それに、話の構成もそうだった。燈ちゃん、気づいてやっているのか無意識なのかはわからないけど、やっぱりラストシーンはとてもハッピーエンドなんて言えるものじゃなかった」
私は思わず頷いた。
わざとそんな書き方をしたわけではないけれど、自分が所謂バッドエンドと言う類の締めくくり方で作品を終わらせているのだと気づいてはいた。
思うに、ハッピーエンドなどという結末は、幸せというものをわかりやすく感じたことがない自分には語ってはダメなものなのだと心の奥底で感じているからだ。
だから私はバッドエンドを描いた。
無意識のうちに、きっと自分もそうなるのだとバッドエンドに話を傾けた。
「でも、ハッピーエンドとは言えない最後だったけれど、それでも燈ちゃんの物語はラストの直前に主人公が確かに幸福の中にいて、すごく綺麗だった。お話としても儚さをうまく持っていて、言葉遣いも丁寧で、書いた人間がものすごくお話を大切に想って書いたってのが伝わってきたの」
はにかみながらそんな小っ恥ずかしい事を真面目に言う里咲の顔には、相変わらず火傷の痕が残っている。
目は出会った時に比べたら治ったようだけれど、顔の右半分ほどを占めるその大きな大きな火傷痕はあの時から微々たる修繕しか為されていない。
胸中を蝕もうとしていた申し訳ないと言う感覚が、より一層強くなるのがわかった。
別に、里咲の顔を見たから私の中の何かが変化したとかそう言った失礼なものではない。
ただ、触れてはいけない話をして相手を傷つけたのは私なのに、その相手に気をつかわせてしまっていると言う事実があり、私はそれがどうしようもなく恥ずかしく感じて、自分の方が辛いであろう里咲に対して申し訳ないと言う感覚が強くにじみ出てしまったと言うだけの話だ。
だから私は、里咲の一生懸命の言葉にしっかりと言葉を返さないとダメだと思った。
私を低い低いどこかの暗い場所から引っ張り出してくれた里咲に恩を返すためにも、里咲にしっかりと私の思いを返さないといけないのだと思った。
里咲の言葉はただ私を肯定するだけで甘やかすものではなくて、要所要所に否定の言の葉を交えながらも私が間違っていなかったのだとやんわりと肯定してくれた。
完全な肯定ではないが、私の物語のあり方は否定されるものではないのだと言ってくれた。
そんな素敵な里咲の言葉の数々に、私が返すべき言葉はどんなものなのだろうと考える。
色々な言葉が脳の奥底から溢れ出してくる。
けれど、そのどれもが何かが違うのだと思えてしまう言葉で、どれもが言葉として音にして発するには値しないものだった。
結局、私はぎこちない笑顔で目線を里咲ではなく不味いカルピスシェイクへと向け、吃るように「ありがとう」ということしかできなかった。
それ以上、里咲は私から礼の言葉のようなものを引き出そうとかそう言ったことは決してしなかった。
はい。ここで出てくる燈の小説は文学フリマで販売してますので、よかったら買いに来てください。
本当は作者名を燈の名前にしたほうが粋だったかもしれないですが、僕は強情なので自分の名前にしてしまいました。




